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憎むべきものを憎むべき時に憎む勇気こそ~ロシアのウクライナ侵攻に 

国際政治をルールが意味を持たない力任せの闘争の場に戻さないために必要なこと

神谷万丈 防衛大学校総合安全保障研究科教授

 世界から紛争を少しでも減らしていくために重要なことのひとつは、国や、集団や、人々の間から、憎しみの感情をとり除いていくことだ。憎しみが敵対感情を生み、それが争いにつながっていくという負の連鎖の例は、枚挙にいとまがない。

 しかし、だからといって、われわれは、憎むべきものを憎むべき時に憎むという勇気を失ってはならないとも思う。憎むべきものとは、われわれが大切にしている価値や理念に照らし合わせて許すべきではない悪のことだ。

 今われわれが直面している、ロシアによるウクライナに対する言い訳の余地のない侵略戦争は、まさにそうした悪に他ならない。

Fly Of Swallow Studio/shutterstock.com

国際社会が育んできた理念が脅かされた

 ロシアの今回の行動は、国際社会が多年にわたり育んできた、「国際秩序は力ではなくルールを基盤としたものであるべきだ」という理念を脅かしている。

 2月24日の開戦から3週間で、ウクライナが1991年に旧ソ連からの独立を果たしてから30年余りをかけて営々と築き上げてきた市民の暮らしや繁栄や幸福は、ロシアの力の行使によって理由なく破壊された。子どもや老人を含め、無辜の市民の犠牲も増え続けている。平穏な生活を奪われ、着の身着のままで国外への避難を余儀なくされた人の数は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、本稿執筆中の3月15日時点で既に300万人を超えたという。

ウクライナの首都キエフで3月16日、砲撃によるがれきの中を進む人たち=ウクライナ非常事態庁のSNSから

停戦協議はまっとうな協議なのか

 戦闘の一方で、ロシアとウクライナの間では停戦協議が行われている。ウクライナのゼレンスキー大統領は16日、「交渉の立場がより現実的になっていると報告を受けている」と述べたが、これが本当にまっとうな協議たり得るかは、甚だ疑問だ。

 ロシアはウクライナに、「非武装化」と、北大西洋条約機構(NATO)に加盟せず軍事的に中立を保つよう憲法を改訂することを要求している。ウクライナの現政権を根拠なく「ネオナチ」と呼び、「非ナチ化」も求めている。あまつさえ、2014年にロシアがウクライナから奪ったクリミア半島の併合を承認し、さらには今回の侵略に先立ってロシアが一方的に国家承認した、親ロシア派が実効支配するウクライナ東部のドネツクとルガンスクを主権国家として認めなければ、停戦はできないとも言っている。

 これは、たとえはよくないかもしれないが、おおむね次のような状況として理解できよう。暴力団が、一般市民に因縁をつけ、お前の家の敷地の一部を自分によこせとゆすりにかかる。悲鳴をあげた市民がより力を持った別の市民に助力を求めようとすると、殴る蹴るの暴力をふるってそんなことは認められないと言う。暴力は家族にも向けられる。そして暴力団は、これ以上痛い目をみたくなければ、自分にとって不都合な仲間とは深くは付き合わず、暴力に対する力での抵抗もやめ、要求している土地をおとなしく引き渡せと言う。

 まさにこれと同じような「条件」をウクライナに高飛車につきつけ、しかもウクライナへの暴力行使の手は緩めていないのが、今のロシアなのだ。

※ロシアのウクライナへの軍事侵攻に関する「論座」の記事は特集「ウクライナ侵攻」からお読みいただけます。

19世紀型の権力闘争の場に戻るリスク

 国際社会は、こうしたロシアの悪行を憎み、手を携えて立ち向かわなければならない。もし、大国による小国に対するこのようなふるまいが国際社会でまかり通ってしまうようなことがあれば、過去数十年にわたり世界の平和の土台となってきたルールを基盤とする国際秩序は根底から傷つけられる。

 そうなれば、世界は他国の力に対抗して身を守るためには力しかないという、19世紀型の権力闘争の場に戻ってしまいかねない。それは、世界にとっても日本にとってもきわめて好ましくないことだ。われわれは、ルールを基盤とする国際秩序を守るために、ロシアの暴挙に決然と対峙しなければならない。

キエフで3月15日、ロシア軍による攻撃を受け、炎上する共同住宅=ウクライナ緊急事態省提供

ルールを基盤とする国際秩序とは

 では、ルールを基盤とする国際秩序とは何か。

 国際社会は、中央政府を欠いた、国際政治学の専門用語で「アナーキー」と呼ばれる状況にある。この状況の下では、力の強い者がその気になれば、特に弱い者に対しては、実はかなりの程度まで勝手なことができてしまう。

 国内社会では、いかに力の強い個人や集団でも、法やルールに違反すればただではすまない。政府やその機関である警察、裁判所、さらには場合によっては軍隊などが、法に基づいてそうした者を取り締まり、あるいは罰してくれるからだ。先ほどのたとえ話のようなことが起きた時には、被害を受けた市民は自力では暴力団にかなわなくとも、警察や裁判所に駆け込んで助けを求めることができる。

 だが、国際社会にはそうした存在がない。そのため、国際法には強制力が乏しく、力の強い者のルール違反がまかり通ってしまいやすい。今回のロシアのウクライナ侵略は、この国際社会の根本的現実が、21世紀の今日でも基本的には変っていないことをあからさまにした出来事だった。

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