大森真紀(おおもり・まき) 「権利の上に眠るな」上演会発起人代表・早稲田大学名誉教授
(公益財団法人)市川房枝記念会理事、(NPO法人)日本ILO協議会理事長。1951年生まれ、経済学博士(慶應義塾大学)、社会政策専攻、近著『性別定年制の史的研究』(2021年)
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「自分の一票では何も変わらない」という諦めを超えて
母は政治感覚の鋭い人だった。身内が言うのも口幅ったいが、内心、舌を巻くことも少なくなかった。
男性についての普通選挙法が成立した翌年1926(大正15)年生まれの母は、第二次世界大戦後、初めて女性が参政権を行使できた総選挙(1946年)の時に20歳、自分の母親、祖母(筆者の祖母と曽祖母)と3人揃って投票所へ行ったという話をよく聞いた。
父親(筆者の祖父)は大正デモクラシー期における農民運動の地方リーダーであり、戦後最初の地方選挙では、県議選に出馬した病身の父親を支えて、娘である母が選挙区内を周る立会演説会の前座を務めた。結婚後は、夫の転勤も頻繁だったため、いわゆる「専業主婦」の時期が長かったものの、時折、新聞へ投書したりしていた。
50歳前後からだろうか、「(財団法人)婦選会館」(現在の市川房枝記念会)の講座に通い、日本婦人有権者同盟の会員として、署名集めや集会への参加、国会傍聴などを地道に続けた。さらに、父親の農民運動活動を陰で支えた母親を中心に『母の肖像:山梨農民運動と女たち』(1984年、論創社)をはじめ、在野の女性史研究家として何冊か上梓した。高齢で外出がままならなくなると、家の中を少しずつ整理しながら、市川記念会のバサーに寄付できる品物をまとめることを日課として過ごした。
母が市川房枝を敬愛し、次世代の人々にその存在を知ってほしいと強く願ったのは、なによりも市川が「理想選挙」を掲げて、お金にきれいな政治家であり続けたことにある。そして、母なりに「婦選は鍵なり」を受け止め、ささやかではあっても実践しようとしていたのだと、今、改めて思う。
筆者は母の勧めで市川記念会の会員になって長いが、理事としての関与は2019年夏からに過ぎない。また、自分の研究領域としてきた社会政策は、政治に大きく左右されるとはいえ、経済的側面への関心も強く、政治学とは異なるので、距離を置いていた。しかし、母を送った後に大きな病を得た筆者は、大学を早期退職後、市川記念会にボランティアの理事として関わるようになった。
そこで市川生誕130年(2023年)を前に、生誕100年に母が執筆した『市川房枝と婦選運動のあゆみ』の残部を、少しでも活かせないかと考え始めた矢先に出会ったのが、奥山眞佐子さんだった。
奥山さんの読後メールは、小伝を刊行した母の想いを見事に捉えていた。活字がこれほど人の気持ちを伝えられるのかと、メールを受け取った筆者が驚くほどだった。今回の演劇上演が、奥山さんと私の出会いから始まったとすれば、それを大きく育てた触媒は、明らかに母の著作であった。しかも、甲府(山梨県)出身の奥山さんは、母の生まれ育った甲府郊外地域(中巨摩郡、現在は甲斐市)への親しみもあれば、理解もより深い。
今回の4月上演企画がまとまるまでには、もちろん紆余曲折があった。
まず、朗読劇もしくは一人芝居という私の思いつきは、市川房枝の婦選運動に対する非難・中傷を本人役に語らせるわけにはいかないという指摘を受けて取り下げた。
また、当初の心づもりとしては、生誕130年に当たる市川の誕生日(5月15日)に近い2023年春の上演を目指していた。ところが、昨年(2021年)10月末に行われた総選挙の低い投票率に愕然とさせられ、次の大きな選挙として今年夏の参議院選挙が控えることから、急遽、計画を
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