花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授
在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
日本の政治家に力量はあるか/言葉の力を知らずして国民と国際社会は束ねられない
そういう大統領にとり、唯一、武器ともいえるのが「言葉」だ。大統領の発する言葉こそがウクライナ国民を一つにし、彼らを祖国防衛に駆り立て、国際社会の支援を確かなものにしている。
そして、過日、その言葉が日本国民にも届けられた。既に、米国、英国、ドイツ、カナダ等、大統領は多くの国で演説した。日本の演説も大統領が強く希望した。ウクライナ側は生中継を求めたという。それはそうだ。ビデオメッセージで伝わるものは限られている。生の迫力こそが聞く者の心を動かす。
23日夕刻、大統領は日本国民に感謝の意を伝えると共に、チェルノブイリの「原発」、「サリン」による化学兵器使用の可能性、「復興」の望み等に触れつつ、日本が引き続き支援を継続してくれることを強く求めた。大統領は、何を言えば日本国民の琴線に触れ、また、何を言わないことが、その支援を得る上で重要かを知っていた。
国内政治であろうと国際場裏であろうと、言葉こそが人を動かし人をまとめる。言葉こそが万感の思いを伝える。そのことは改めて言うまでもない。古今東西、危機に当たって、指導者はその言葉の力をもって国難を乗り越えてきた。それは、日本も同じだ。
しかし、もし、日本がウクライナの立場に置かれたとして、その指導者は同盟国の国会で演説し支援を求めようとするだろうか。仮にするとして、同盟諸国を結束させ、同盟国の国民を揺り動かし支援の輪を広げることができるだろうか。そのためには、聞く者に強く訴える力がいる。聞く者を揺り動かす力がいる。少なくとも、下を向き、用意した紙を読んでいてはその力は出てこない。
文化や政治風土の違いだろうか。日本の指導者が、演説を通し何かを訴え、国民や国際社会を揺り動かす例は多くない。日本は、元々社会のまとまりが強く、コロナ下のマスクを例にとるまでもなく、国民は既に結束している。結束に向け改めて国民を鼓舞するまでもないのかもしれない。この点、多くの移民で創られた米国のような国とは異なるのだろう。彼の国では、星条旗を前に、不断に国民に結束を呼び掛けることが不可欠だ。
もう一つ、日本の場合、会社や地方の集まり等、国の中に小さな共同体ともいえる存在があり、政治の役割は、その相互の調整に向けられがちとの事情もある。指導者が国民に何かを訴えこれを糾合していくことは、どちらかと言えばそれほど重視されない嫌いがある。
その例外が、評価は別として小泉純一郎元首相だったかもしれない。同氏の場合、「自民党をぶっ壊す」ためには、国民に直接訴え、世論の力をバックに「抵抗勢力」を排除するしかなかった。同氏は言葉巧みに短いフレーズを多用し世論を動員していった。
しかし、危機に直面した時、日本のような国でも、国民に直接訴えかけその支持を得ることは不可欠だ。国民の団結なしに危機など乗り切れるものでない。
いい例が今のコロナ禍だ。政府が何を言おうと、国民が応じなかったら緊急事態宣言など何の効果もなかった。国民が政府の言うことを受け入れてこそコロナ禍も乗り切ってきた。
ただ、政府の訴えがどれだけ国民に届いたかは定かでない。
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