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政府予算に賛成した国民民主党はどこへ 連立政治の作法とは~中北浩爾・中島岳志対談

国民民主党の動きは予定の事態か? 自公は割れないのか? 共産党と野党の関係は?

吉田貴文 論座編集部

 政府の新年度予算案が3月22日、参院本会議で自民、公明両党と野党の国民民主党などの賛成多数で可決、成立しました。政治の焦点は、政府が重要政策に掲げる経済安全保障推進法案や「こども家庭庁」の関連法案、そして7月に予想される参院選に移ります。

 注目を集めたのは、予算の策定にかかわっていない野党の国民民主党が、衆参両院で予算案の賛成に回ったことです。国民民主党の異例とも言える動きをどう見るか。これは参院選にどんな影響を与えるのか。連立政権が常態化したなか、与野党は連立にどう向き合うべきなのか――。自民党や自公政権に詳しい中北浩爾さん(一橋大教授)と、自民党にかわる「政権」を期待する中島岳志さん(東工大教授)に、縦横に語っていただきました。(聞き手 論座編集部・吉田貴文)

拡大オンラインで対談する中北浩爾さん(左)と中島岳志さん

中北浩爾(なかきた・こうじ) 一橋大学大学院社会学研究科教授
1968年、三重県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程中途退学。博士(法学)。専門は、日本政治史、現代日本政治論。立教大学法学部教授などを経て現職。著書に『自民党―「一強」の実像』、『自公政権とは何か』など。
中島岳志(なかじま・たけし) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授
1975年、大阪生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア太平洋賞大賞を受賞。著書に、『「リベラル保守」宣言』、『血盟団事件』、『親鸞と日本主義』など。

予想していたことがついに起きた

――国民民主党が政府の新年度予算案に賛成し、自民党、公明党と3党での政策協議も始めています。国の政策の根幹となる政府予算案に野党が賛成することはあり得ないという批判もありますが、こうした状況について中北さんはどう見ますか。

中北 二つあります。まずは率直に驚いた。もう一つは予想していたことがついに起きたかということです。私のメモによると、ちょうど1年前、自民党関係者は「次の参院選前になんらかの具体的成果を与えて国民民主党を抱き込む」という話をしていました。それがついに来たのかという感じです。国民民主党にすれば、事実上、与党側にぐっと歩を進めたと見るべきですね。

――旧民主党系が分断される形ですね。

中北 民主党系は長らく「非自民・非共産」の枠で塊をつくってきましたが、2015年の安保法制反対運動から「非共産」の枠が崩れ、反動として「非自民」という枠も揺らいでしまった。その結果、自民党に入る人が一気に増えました。いよいよその最終局面として、一定の塊が自民党のほうに振れたということでしょう。

拡大岸田文雄首相と公明党の山口那津男代表との会談を終えた国民民主党の玉木雄一郎代表=2022年3月4日、国会内

2019年参院選が大きなポイント

――中島さんはいかがですか。

中島 国民民主党の今回の動きは、ここ数年の一連のプロセスの末の話なので、そこを振り返る必要があります。なかでも非常に大きなポイントだったと僕が思うのは、2019年の参院選です。

 その前年から国民民主党と立憲民主党を合併させたいという話があり、僕は水面下で両党の橋渡し的なことを行いました。国民側の条件を立憲の枝野幸男代表に伝えましたが、結論から言うと、立憲は国民の条件のほとんどを蹴った。参院選で国民を崩壊させる方向に舵を切りました。

 この合併話は連合の存在が重要でした。神津里季生会長(当時)、枝野さんと3人の会合も繰り返しましたが、私の眼から見れば、立憲側の態度が硬直化していました。最終的には、静岡選挙区に立憲が徳川家広さんを擁立したことに連合が強い不満を持ちました。連合の同盟系の人たちは、共産党よりも枝野さんや、立憲幹事長の福山哲郎さんに対して怒っていました。

 参院選で立憲は勝てず、国民民主党は踏ん張った。参院選後、国民には「立憲とは一緒にやれない」という機運が強まり、それが自民党に向かう布石になっていると思います。

中北 その翌年、連合は再び立憲と国民の合流に動きます。9月には立憲に国民の一部が合流し、新しい立憲民主党ができました。この時は立憲がかなり譲歩したと思いますが、玉木代表は国民民主党を分党し、22人が国民に残りました。参院選の遺恨が玉木さんとその周辺にあり、党まるごとの合流をしなかったのだと思います。

 思い起こすのは、2017年秋の衆院選前に希望の党が旗揚げした時のことです。希望の党から排除されたり、排除するような希望の党に行かなかったりする民進党の人たちの受け皿として、枝野さん、福山さんが立憲民主党を立ち上げ、衆院選で野党第一党になりました。衆院選後、玉木さんは希望の党の代表になっています。

 こう見てくると、衆院選の時に排除された枝野さんや福山さんが、参院選では玉木さんたちに意趣返しをし、新しい立憲民主党をつくる段階で今度は玉木さんたちが合流を否定して今に至った、という遺恨の連鎖ですね。

拡大国民民主党の玉木雄一郎代表と公明党の山口那津男代表との会談を終えた岸田文雄首相=2022年3月4日、国会内
拡大岸田文雄首相と国民民主党の玉木雄一郎代表との会談に臨む公明党の山口那津男代表=2022年3月4日、国会内

含蓄があった河野洋平氏の言葉

――遺恨は理解できないではないですが、元々は同根の両党はどうして連携できないのでしょうか。

拡大中島岳志・東工大教授
中島 自民党総裁だった河野洋平さんにお会いした時、「強い勢力の方が譲るのが、勝つ条件だ」と言われたことがあります。「それは村山(富市)内閣のことですか」と聞き返すと、「その通りだ。自分が村山さんにトップ(首相)の座を譲ったことによって、譲られた方が崩れるんだ」とおっしゃった。

――1994年夏にできた自民党、社会党、新党さきがけの連立による村山政権ですね。

中島 河野さんは、僕が野党議員と話していることをご存じで、「首相の座を得た社会党は、帳尻を合わせないといけなくなり、大変なことになった。逆に自民党は安泰の基盤をそこから作った。譲った方が勝つということを、立憲民主党のリーダーは理解しているのかな」とつぶやくように言われた。含蓄のある言葉で、枝野さんへの「伝言」だと理解した僕はそのまま伝えたのですが、理解されなかったようです。あの時、もっとどうにかできなかったのかと、今でも悔やんでいます。

中北 民主党政権も連立運営に失敗して潰れたわけです。沖縄・辺野古の基地建設の問題で社民党に十分に配慮せずに連立離脱に追いやり、それがきっかけで参院選で負けて衆参がねじれ、政権は失速していきました。大きい方が小さい方に譲る形を取らないと、まとまるものもまとまらないということです。

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筆者

吉田貴文

吉田貴文(よしだ・たかふみ) 論座編集部

1962年生まれ。86年、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸、自民党、外務省、防衛庁(現防衛省)、環境庁(現環境省)などを担当。世論調査部、オピニオン編集部などを経て、2018年から20年まで論座編集長。著書に『世論調査と政治ー数字はどこまで信用できるのか』、『平成史への証言ー政治はなぜ劣化したのか』(田中秀征・元経企庁長官インタビュー)、共著に『政治を考えたいあなたへの80問ー3000人世論調査から』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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