ウクライナ戦争の真因は何か~米国とロシア、2つの安全保障観の摩擦
「NATO加盟」に収斂した欧州安全保障の捩じれを考える
渡邊啓貴 帝京大学教授、東京外国語大学名誉教授(ヨーロッパ政治外交、国際関係論)

ベルギー・ブリュッセルで開かれた北大西洋条約機構(NATO)のサミット後、記者会見するジョー・バイデン米国大統領=2022年3月24日、Gints Ivuskans/shutterstock.com
米国への不信感を募らせていったプーチン
しかし米欧、とくに米国はACFEを尊重せず、プーチンを失望させてきた。
ロシアは2002年にはトラスニストリアからCFE条約に従って条約の対象兵器を撤収し、2004年にACFE条約を批准、07年にはジョージアから全駐留軍を撤兵させたが、その後も米国は態度を変えず、NATO諸国はACFE条約を批准しなかった。それを理由として07年ロシアは条約の一時不履行を決定し、15年には条約を離脱した。
ACFEをNATO諸国が批准しなかった背景にはG・W・ブッシュ米大統領の意向が強く働いたといわれる。昨年12月のロシアからの提案に対しても、翌月の米国の回答は軍事演習の制限を認めた以外はほぼゼロ回答だった。
この一連の米欧の対応はロシア側の不信感を募らせた。
ロシアはもともと威信を大切にする。プーチンがドゥーギンというロシアの著名な地政学者の影響を受けているのはよく指摘されることだ。ドゥーギンの議論は19世紀的な大国の地理的勢力圏の議論だ。
プーチンは、冷戦終結後の欧州ではNATOの軍事的圧力がじわじわと強まり、ロシア勢力圏が縮小されていると考えた。米国がバルト諸国に常駐軍の追加配備をしないという取り決めを守らなかったこと、07年に米国はNATOやロシアとの協議機関である「NATO・ロシア評議会」に諮らないまま、黒海への常駐軍の派遣を決めたこと、ルーマニアとブルガリアはCFEの東部側面地域であるためこの地域での軍の駐留は事前協議義務の対象だったが、それをせずに米国はこの地域に軍を駐留させたことなどが理由だった。これはドイツ政府系国際戦略安全保障研究所SWPが3月に発表した報告の分析でもある。
ロシアの米国に対する不信感は、2002年米国のABM(迎撃ミサイル)条約からの離脱、1999年のNATOの対セルビア攻撃と2003年米国のイラク攻撃によっていっそう大きくなった。プーチンは、それらは米国の国際法違反だと批判した。
そうした中で、今回のウクライナ攻撃の発端となったNATO加盟問題はロシアの西側国境に隣接する国をめぐる問題であっただけに、ロシアの態度が一層硬化したのはロシア側の論理からみれば自然であった。
この問題が顕在化したのは、2008年4月NATOブカレスト首脳会議だった。この会議でG・W・ブッシュ米大統領はウクライナとジョージアのNATO加盟に対する期待を述べ、「加盟アクションプラン(MAP)」を掲げた。2014年3月のロシアのクリミア併合はそうした米欧の圧力に対するプーチンの「危機感」の表れであった。これもプーチンの国際法を無視した暴挙だったが、この時も厳しい経済制裁をすぐに発動させたのはアメリカであった。

NATOのストルテンベルグ事務総長との共同記者会見に臨むゼレンスキー・ウクライナ大統領=2019年10月31日、ウクライナ・キエフ、Sergei Chuzavkov/shutterstock.com