国連安保理は憲章第6章の活用により、拒否権の束縛から脱却を
2022年04月22日
ロシアがウクライナに対して軍事侵攻を開始してから間もなく2カ月になろうとしているが、当初の思惑通りの軍事的成果を挙げられないロシア軍は、キーウの制圧を一旦あきらめて、東部のドンバス地方に的を絞った攻勢を強めている。
このままの状態が続くと、東部においてブチャの悲劇の再来も懸念される。その間、国際の平和と安全の維持に重大な責任を担う国連は、ロシアが安全保障理事会の決議案に拒否権を行使したため実質的な活動が全く出来ず、「何のための国連か」とその存在理由を問われる状況に追い込まれている。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、3月23日の日本の国会におけるオンライン演説において、安保理は拒否権により機能していないので、その改革が必要であると訴えたが、これは従来より安保理改革に主導権を発揮してきた日本への期待を込めての発言と思われる。
また同大統領は4月5日の安保理事会にもオンライン出席をして、「ロシアは安保理の拒否権を、死なせる権利に変えようとしている」として、その残虐な行為を激しく非難するとともに、拒否権の再検討を含む安保理改革の必要性を力説した。
この2カ月間、国連がウクライナ危機に関して何らの行動も取らなかったわけではない。まず第一に、ロシアによる軍事侵攻の即時停止とウクライナの領土からの撤退を求めた安保理決議案がロシアの拒否権により否決された翌日の2月25日に、安保理の要請により国連の緊急特別総会が開催され、同様の趣旨を盛り込んだ国連総会決議が、141カ国という圧倒的な多数により可決、成立した。
第二に、キーウ郊外のブチャなどにおけるロシア軍による民間人の大量虐殺を理由として、ロシアの国連人権理事会のメンバー資格を停止する総会決議が、4月上旬に成立した。
第三に、グテーレス国連事務総長は、人道を担当するグリフィス事務次長をロシアとウクライナの両国に派遣して、人道的観点から停戦の仲介を試みさせたが、この努力は結実しなかった。
第四に、最も最近の事例として、安保理において常任理事国が拒否権を行使した場合には、その国は総会で拒否権行使の理由を説明することを義務付ける趣旨の総会決議案をリヒテンシュタインが中心として準備しており、これは来週中に採決の見込みである。
このように国連としては、与えられた権限の中で真摯の努力を行っており、国際的世論の形成には役立つも、いかんせん総会決議には法的拘束力がないので、平和と安全の維持に寄与できる余地は大きくない。また国連の事務局幹部による仲介も、根拠となるべき安保理決議が存在しない中では、実質的な効果は期待できない。やはり国連が世界の平和と安全の維持のために機能するためには、安全保障理事会の活動に期待するしかないのである。
第二次世界大戦末期の1944年の夏から秋にかけて、米国、英国及びソ連の3カ月首脳がワシントン郊外のダンバートン・オークスに集結して、戦後の国際社会を律する国際的組織として「国際連合」の設立を議論した。その際には、安全保障理事会の表決方法について合意が得られず、この問題は翌45年2月にソ連のクリミアで開催されたヤルタ会談に持ち越された。
スターリンは、当初は安保理のすべての決議案採択に5常任理事国の拒否権を認めるべき旨を主張したが、チャーチルとルーズベルトは、拒否権を認めるとしても、極めて限定的にすべきと応じて、結論としては、手続き事項については拒否権を認めず、さらに実質事項のうち「紛争の平和的解決」(即ち、憲章第6章)にかかる問題については、紛争の当事国は棄権しなければならない、との妥協が成立した。なお、ソ連はこの妥協の代償として、自国内の共和国であるウクライナと白ロシア(現ベラルーシ)は独立国ではないのに、例外として国連加盟国として認めさせた結果、一国一票が大原則の国連において、ソ連は実質的に3票を有することとなった。この奇異な制度は、ソ連が解体して1991年にこの両国が独立するまで継続した。
ここで想起すべきことは、
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