阿部 藹(あべ あい) 琉球大学客員研究員
1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。島ぐるみ会議国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力する。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。琉球大学客員研究員。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「屈辱の日」から70年、サンフランシスコ平和条約を手がかりに考える
今年、2022年は沖縄にとって大きな意味を持つ年である。1952年にサンフランシスコ平和条約が発効し、主権を回復した日本から沖縄が日本の施政権から切り離された「屈辱の日」から4月28日で70年を迎え、27年間に及ぶアメリカによる統治を経て1972年に沖縄が日本に返還されてから、5月15日で50年を迎えるからだ。
日本にとって、「沖縄」とは何なのか。そして沖縄にとって「日本」とは何なのか。
多くの人が、今この問いに様々な観点から向き合っている。
僭越ながら私もこの問いに国際人権法という観点から向き合い、一つの推論を提示したい。
先日惜しまれながら亡くなった、沖縄選出の前衆議院議員・照屋寛徳氏は、生前「ウチナーの未来はウチナーンチュが決める」という言葉をよく繰り返していた。これはまさに「自己決定権」をわかりやすくあらわした言葉と言えるだろう。沖縄返還から50年という節目にあたり、沖縄ではこの「自己決定権」という言葉に、今あらためて注目が集まっている。
しかし、国際法における「自己決定権」は、非常に複雑で難しい権利である。
自己決定権は第二次大戦後、植民地支配をはじめ、外国による支配や搾取に苦しむ人びとがその支配を断ち切り、独立を勝ち取る権利として発展した。しかしその後、たとえば先住民族など国内における特定の集団が高度な自治を確立する権利も含むようになるなど、その内容が国際社会の変容を受けて変化をしている権利でもある。
また、国際人権法で保障されている権利のほとんどが「個人の権利」であるのに対し、「自己決定権」の主体は個人ではなく「people」、つまり集団であり、そのために自己決定権を考える際には、法主体である「people」たりえる人びとはどのような集団か、という問題がついてまわるのだ。沖縄のケースで言うと、沖縄の人びとが国際人権法上、自己決定権を有する「people」なのか、という問いである。
筆者は、その問いを考えるための重要な起点が、70年前のサンフランシスコ平和条約と、50年前の沖縄返還である、と考えている。まだまだ研究の途上ではあるが、沖縄返還から50年という節目に、考え続けてきたこの問いに対し一つの可能性を提示したい。
(本稿の内容はAsian Journal of International Law で公開予定の筆者の論文「An Outstanding Claim: The Ryukyu/Okinawa Peoples' Right to Self-Determination under International Human Rights Law」に基づく要約である。)
その前に、私が「沖縄の自己決定権」を考えるきっかけとなった経緯を少し紹介したい。