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安易な憲法改正がいかに危ういか、ロシアを見れば明らかだ

2020年改憲に透けて見えるウクライナ侵攻への布石

国分高史 ジャーナリスト・元朝日新聞編集委員兼論説委員

75年前、私たちも共有した「民主主義」や「自由」が攻撃されている

 ロシアのプーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻は、世界中を驚かせた。ただ、プーチン氏はそれに先立つ2020年にも、現代のリベラルな民主主義国からすれば考えられない行動に踏み切っている。大統領権限を強化するとともに、自らの任期の2036年までの延長を可能にする大規模な憲法改正である。

 改憲が成立した当時、日本では大統領任期と、北方領土交渉にかかわる「領土割譲禁止」条項のふたつが大きく注目された。ただ、この時の改憲内容を改めて検討してみると、これ以外にも近代憲法のありようとかけ離れた保守的、国家主義的思想や、ウクライナ侵攻への布石とも受け取れる条項がいくつも見受けられる。

憲法改正案に投票するため身分証明のパスポートを示すプーチン・ロシア大統領=2020年7月1日、ロシア大統領府ホームページより

 これらを考え合わせると、今回の軍事侵攻はプーチン氏がいうようにウクライナ国内のロシア系住民の保護や領土をめぐる争いというだけにはとどまらない。

 いまから75年前の1947年5月3日に施行された日本国憲法により、日本が欧米諸国と共有することになった民主主義や自由。これらの憲法的価値に対する権威主義国からの攻撃だとも言える。

 その意味で、私たち日本人も他の民主主義国の国民とともに、ロシアからの攻撃にさらされている当事者にほかならない。

改憲提起から半年弱、国民投票はプーチン氏への信任投票の様相に

 プーチン氏は2020年1月、ロシア連邦上下両院への年次教書演説で憲法を改正する考えを表明した。

 演説でプーチン氏は、大統領任期について「連続2期を超えてはならない」とする憲法の規定から「連続」を削除し、任期を最長で通算2期までとすることを提案。これにより、任期満了を迎える2024年以降の再登板の可能性を自ら否定した。同時に議会の権限強化も提案しており、大統領退任後に「院政」を敷く布石と受け止められた。

 その風向きが一転したのが、議会による改憲案の修正だ。元宇宙飛行士で国民的英雄の与党議員ワレンチナ・テレシコワ氏が3月の下院本会議で「(プーチン氏の続投こそが)わが社会の安定の要だ」と述べ、大統領任期を2期に限る規定の撤廃を提案。「撤廃できないなら、現在の大統領だけは再選可能に」とも訴えた。この後、議会に呼ばれたプーチン氏は、「憲法裁判所が認めれば可能だ」との考えを表明。これを受け議会は、2期に限る任期規定について現職大統領や大統領経験者は対象外とする修正案を可決した。

 この改正を成立させるには国民投票は不要だったが、プーチン氏はあえて「全ロシア投票」の名で6月下旬から7月1日にかけて実施した。最低賃金の保障や医療の充実など、あからさまな人気取りも含めた全改正条項の賛否を一括して問い、投票率68%、賛成78%で承認された。

 プーチン氏が最初に改憲を提起してから半年足らず。投票はプーチン氏への信任投票の性格を帯び、2024年にいまの任期が終わった後も大統領選に立候補することができるようになり、最大で2036年までの在任に道を開いた。

「祖国の土地は一寸たりとも渡さない」と書かれた憲法改正の看板。背景には、ロシアが一方的に併合したウクライナ南部クリミア半島の写真が使われている=2020年6月2日、モスクワ

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国際法に対する憲法の優位、同性婚排除……際立つ欧米の価値観への対抗心

 当初の改憲案で自らの続投を明確に否定しておきながら、与党議員の提案に乗る形でそれを180度ひっくり返したこの憲法改正は、日本国内でも「権力の私物化」と批判された。

 ほかの改正条項も見てみると、プーチン氏の大ロシア主義や欧米諸国への対抗意識が随所にちりばめられ、保守的、国家主義的思想が色濃く反映した異色の憲法に変容したことがわかる。

 内容を具体的に見てみよう(条文は三省堂「新解説 世界憲法集第5版」から引用し、溝口修平氏による解説も参考にした)。

 まず目につくのは、第2次世界大戦後、あるいは冷戦終結後に欧米諸国が中心になって築き上げてきた国際秩序や価値観への対抗心だ。

 国際組織への参加について定めた79条で、「国際組織の決定は、ロシア連邦憲法と矛盾すると解釈された場合、ロシア連邦において執行されない」と、国際法に対するロシア憲法の優位を明文化した。

 欧州人権裁判所は近年、反体制派などへのロシア政府の弾圧を人権侵害と認定し、賠償金の支払いを命じる判決をいくつも出している。ロシア政府はこれらの命令を拒否してきたが、その根拠をそれまでの国内法から憲法に格上げした形だ。ロシア国内への欧米の影響力を排除する狙いが見て取れる。

 67条では「ロシア連邦は、その主権及び領域的一体性の保護を保障する」とうたい、「領土の一部の譲渡に向けられた活動、およびそのような活動を呼びかけることは認められない」と明記した。

 日本との北方領土問題を意識したかのように、条文には「隣国との範囲の画定、国境画定および再画定をのぞく」とのただし書きがある。ただ、改憲案作成に向けた過程では、ロシアが2014年に一方的に併合したクリミア半島や北方領土を守ることを念頭に議論が交わされていたという。

 また、同性婚を認める国が増えつつある中、72条では婚姻制度について「男性と女性との結びつき」と新たに規定し、同性婚を排除した。

国後島では2020年7月2日、領土の割譲を禁じる憲法改正の記念碑の除幕式が行われ、ロシア国旗を持った島民らが歓声を上げた=サハリン州政府のサイトから

祖国防衛の功績を貶めることは認めぬ、国外同胞の利益を保障……侵攻の布石か

 保守主義、国家主義が際立つのが、67条に新たに加えられた条項だ。

 ロシア連邦を「ソ連の法的継承国」であると位置づけたうえで、「千年の歴史によって団結し、我々に理想および神への信仰、ならびにロシア国家発展の継続性を授けた祖先の記憶を保持するロシア連邦は、歴史的に形成された国家の統一を認める」と記した。さらに「ロシア連邦は祖国の防衛者を追悼し、歴史的真実の保護を保障する。祖国防衛に関する国民の功績の意義を貶めることは、認められない」と軍人をたたえ、愛国心を前面に打ち出している。

 また、69条には「ロシア連邦は、国外に居住する同胞に対し、その権利行使、利益保護の保障

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