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官邸主導なき岸田政権は「複合危機」を乗り越えられるか?

政権交代におびえた安倍・菅政権から脱却できるか……

牧原出 東京大学先端科学技術研究センター教授(政治学・行政学)

 岸田文雄政権の支持率が高止まりしている。昨年秋の発足から一時下がりはしたものの、概ね50%以上を保ち、最近では60%超を記録する調査もある。この間、新型コロナウイルス(以下「新型コロナ」)のオミクロン株の感染拡大や、ウクライナ危機などはあったが、大きな失政はなく、安定した政権運営ぶりを見せている。

 野党に目を転じると、第一党の立憲民主党は低迷し続けている。昨年の衆議院選挙で共産党との選挙協力が大きな支持を得られず、枝野幸男氏にかわって代表に就任した泉健太氏の存在感も希薄である。国民民主党は、与党との協力に舵を切り、日本維新の会にも接近する。また、もともと与党に近い日本維新の会は、今や立憲民主党と並ぶ支持率である。

 こうした現状を見る限り、夏の参議院選挙で自民党が大きく敗北するとは到底考えられない。政権交代の機運はすっかり消えてしまったと言っていい。

 では、これから日本の政治はどこへ向かおうとしているのだろうか。

ベトナム訪問を終え、タイに向かう政府専用機に乗り込む岸田文雄首相=2022年5月1日、ハノイのノイバイ国際空港

「長期政権」が前提となる政権の登場

 「政権交代後」の政権であった安倍晋三・菅義偉の時代が終わり、「政権交代」が遠景に退いて「長期政権」が前提となる政権が登場しつつある。その意味で、現政権の安定感は、2012年以降の安倍・菅政権とはまったく様相が異なる。

 象徴的なのは、新型コロナ感染症対策である。右往左往した二つの前政権と比べると、混乱がないわけでないものの、展望なく迷走している印象はない。いわゆる「専門家」との関係も、まったく無視するわけでもなければ、丸投げでもなく、意見を聞きつつ、政権として判断をしているようである。

 オミクロン株の感染拡大に伴い、まん延防止等重点措置を発動しても、さほど支持率は下がらなかったのは、それゆえであろう。

 同じことはウクライナ危機についても言える。アメリカ・EU諸国と歩調を合わせてロシアへの制裁に踏み切り、ウクライナへの物資援助などの措置を迅速に進め、日本国民からも支持されている。第3次世界大戦へと至る可能性もないとは言えないなか、可能な手段をとりつつ、ロシアに圧力をかけているのである。

「首相の思い入れ」を強調した安倍・菅政権

 首相の思い入れがある特段の政策がない中で、安定した政権基盤を構築しつつあるのは、意外と言えば意外である。むしろそこから気づくべきは、「首相の思い入れ」が政権への信頼を増すわけではないという事実である。逆に言えば、安倍・菅政権が、過剰なまでに首相の思い入れをアピールしたことが、今となっては不思議なのである。

 安倍・菅政権はなぜ、首相個人のイニシアティヴによる政策形成を、ことさら強調したのだろうか。それは、2009年と2012年の二度の政権交代の産物であった。

 政権交代の後は、前政権の政策体系を否定し、それに代わる政策体系を掲げて、これを実行に移す必要がある。新しい政策体系は、総選挙に際して、党首として掲げた政権公約の体系であり、それはとりもなおさず新首相が牽引する政策である。

 2009年に歴史的な政権交代を果たした民主党は、自民党の政策体系をガラリと変えた。脱官僚主導の政策決定は、その典型であり、政府委員制度の廃止と大臣ら政治家による国会答弁、各省事務次官による記者会見の廃止、政務三役による省の政策決定の導入といった手法は、それ以前に自民党が結党以来、進めてきた政策決定を大きく転換させたのである。

 2012年に民主党から政権を奪還した安倍自民党政権は、アベノミクスによる財政・金融政策と成長戦略を前面に打ち出し、地方創生、一億総活躍、全世代型社会保障などの新しい施策を次々と打ち出した。その極めつけが、新型コロナの感染拡大の中、首相の指示として打ち出された全国一斉休校やアベノマスクの配布である。

新型コロナ感染対策として臨時休校を求める記者会見で頭を下げる安倍晋三首相=2020年2月29日、首相官邸

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民主党からの政権奪還が大きく影響

 こうした安倍政権の首相を前面に押し出す政策革新は、民主党から政権を取り戻したことが大きく影響している。

 政権発足時、自民党に対する国民からの不信感は根強く、だからこそ安倍首相は当時、「国民の支持は一瞬にして失われる」という戒めを繰り返した。政権に復帰した自民党も、すべてを民主党政権以前に戻すことはなかった。民主党政権のような政治主導の仕組みを取り入れ、首相とこれを支える官邸が政策形成の拠点となることが目指された。

 一方で、民主党政権を反面教師として、大臣間、党と政府の間で混乱が生じないよう、意を尽くした。

 主要閣僚は財務相の麻生太郎元首相や法相の谷垣禎一前総裁のように、閣僚や党幹部の経験が豊富な議員を起用した。重要閣僚には大臣自らに省を仕切らせ、それ以外の閣僚の場合は、必要とあれば、官邸自身が省を仕切るというかたちで、首相が全閣僚の上に立つようにしたのである。

 また、党に対しては、首相が影響力を行使する際、政調会の部会などが抵抗勢力にならないよう、首相の意向が及ぶ議員を部会長に抜擢。さらに、首相直属機関を設置し、首相の意向にそって党内で政策を形成する仕組みを作り上げた。

 当時はこうした政策形成が、平成から進められてきた政治改革・省庁再編の成果のように見えた。確かに、この時期におこなわれた内閣人事局や国家安全保障会議・国家安全保障局の設置のような官邸への権限集中と見られる改革は、平成以来の改革の一つの到達点のように見えた。

国家安全保障局の辞令交付後、記念撮影に臨む(左から)谷内正太郎元外務次官、礒崎陽輔首相補佐官、安倍晋三首相、菅義偉官房長官=2014年1月7日、首相官邸

コロナには通用しなかった安倍・菅政権の官邸主導

 しかし、実は安倍・菅政権のもとでは、新型コロナをのぞけば、巨大な自然災害もなければ、リーマン金融危機のような経済危機もなく、ウクライナ危機のような大規模な武力衝突もなかった。凪のような状況のもと、政権は複数の重要課題に同時に取り組むこともなく、新規の課題を小出しにして取り組めばすんだ。話題をさらうことが目的であり、休暇中の首相のくつろいだ姿をアピールするといった手法も用いられた。

 だが、こうした安倍・菅政権の官邸主導は、新型コロナには通用せず、無残な結果を招いた。科学的根拠の薄い首相主導の政策形成、専門家の提言への恣意的な無視、各省の混乱の放置、首相のコミュニケーション能力の低さを露呈したのである。

 新型コロナ対策は確かに難しい。科学的根拠は必要だが、新型のウイルスであるがゆえに、科学的知見の蓄積は必ずしも十分ではない。専門家の提言は、安全策を十二分にとろうとして、社会活動を大きく制約しがちである。他方、社会活動を活発にする方向に舵を切れば、感染拡大は免れない。

 安倍・菅政権は、社会活動を活発にする方向に寄った判断を繰り返し、感染拡大を招いて信頼を失った。国民の真の希望は、社会活動ではなく感染抑制であったことを見逃し、科学的根拠のない官邸主導の施策を繰り返したのである。

官邸主導の三つの目的と実態

 ここまで見てきたように、2009年の政権交代以来の官邸主導とは、民主党政権であれ、安倍・菅政権であれ、各省や専門家の慎重な判断に対して、根拠の薄い官邸独自の見解を無理矢理、政府の政策とすることとほぼ同義であった。その目的は三つあった。

 一つには、それが成功すれば、既存の悪しき慣習の克服になる。それは政権の存在理由にすらなる。

 二つには、結果が出なくても、結果に向けて努力している政権をアピールできる。いまだ工事終了の見込みすら立たない沖縄の辺野古の埋め立てや、ロシアに対して2島返還に軸足を置きつつ平和条約交渉を働きかけたのは、その典型である。

 三つには、次々に課題を出せば、政権、とりわけ官邸を中心とする首相の存在感を高めることができる。各省や党政調会部会ではなく、首相と官邸が判断したという実績は積み上がるからだ。安倍政権の「やってる感」と言われた数々の施策は、概ねこうした状況を指している。それが官邸主導の内実であった。

 要するに、民主党政権にせよ、安倍・菅政権にせよ、政治主導・官邸主導は成果をあげる途上にあったと言っていい。9年も続いた安倍・菅政権ですら途上というのは、一見奇異に見えるが、それが実態である。

首相官邸=2021年9月7日、東京・永田町、朝日新聞社ヘリから

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政権転落の悪夢におびえた安倍政権

 と同時に、安倍・菅政権は、政権交代が次第に遠くにかすんでいくという実感を持てなかった政権でもあった。だからこそ、安倍首相は2014年、17年と小刻みに衆議院を解散し、政権基盤を確保しようとしたのである。いつ解散しても勝てるという自信があれば、このような手段はとらなかったであろう。

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