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維新・国民の合意文書破棄、自民・公明間にきしみ……日本政治の枠組みと作法に崩壊の危機

「連合政治」の果実を享受した自民党、「連合政治」の筋を違えた野党、これからは……

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

 この20年ほど、日本の政党政治を形成して来た基本の枠組みと作法の双方が、急速に崩れつつあるように思える。「自公」と「民主」の二大勢力が政権を競う枠組みと、政策合意を政党間協力の基礎に置く作法である。

 1998年の民主党結成と99年の自公両党の連立政権締結以降、この二つは密接に絡み合いながら、政権交代など政治権力の存亡を決定付けてきたが、今やその基盤が失われかねない混乱状況に陥っている。

国民と維新の“混乱劇”が示す深刻な事態

 選挙と政権構想を巡る合意文書に関し、国民民主党と日本維新の会が演じた“混乱劇”が象徴的だ。

 両党は、夏の参院選へ向けて京都、静岡両選挙区で相互推薦を行う選挙協力を決めたが、合意文書に「政権交代」を目指すとの一文があったため、国民民主党内で「報道で知った」などと反発が起きた。玉木雄一郎代表も調整不足を認めるほかなく、結果として、選挙協力を含む合意文書そのものが破棄される事態となった。

夏の参院選に向けた合意文書を交わす(左から)国民民主党の榛葉賀津也幹事長、前原誠司選挙対策委員長、日本維新の会の馬場伸幸共同代表、藤田文武幹事長。その後、合意文書は破棄されることに=2022年4月20日、国会内

 国民民主党は、政府予算に賛成し、ガソリン税を一時的に引き下げる「トリガー条項」の発動を巡って与党との政策協議機関も立ち上げた。同じく民主党から分かれた立憲民主党と共に野党で「政権交代」を目指す枠組みからは外れ、岸田文雄自公政権との「協力」へとシフトする意識が、はしなくも顕在化した形である。

 さらに深刻なのは、政党間協力を結ぶ進め方を誤った点だろう。国民民主党は参院選での埋没を恐れて、昨年秋の衆院選で躍進した維新との選挙協力を急いだあげく、その前提条件であるはずの政策や政権構想を巡る合意の取り付けを後回しにして、自ら混迷を招いた。この逆転現象は、国民、有権者に失望しか残さないのではないか。

「連合政治」の筋を違えてきた野党

 これまでも野党は、選挙が近付くと即席の新党結成や大同団結へと走り、後から政策を巡る不一致が問題化し、選挙に敗北して離合集散に至る歴史を繰り返して来た。2017年の希望の党騒動はその典的だ。

 昨年秋の衆院選でも立憲民主党は、共産党との選挙協力にこぎつけながら敗北した。参院選に向けて両党の選挙協力が宙に浮くばかりか、今国会では岸田・自公政権に対峙する野党の国会協力体制さえも、綻びが際立つあり様だ。

 共に実現したい政策の合意をもとにして、国会と選挙、政権の三つのレベルで重層的な共闘戦略を描く政党間協力、つまり「連合政治」の筋を違(たが)えるのであれば、与党を上回る支持を集めて多数派を形成する道は開けるはずもない。

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単独政権より長く続いた連立政権

 実際、政治改革が叫ばれた平成初期以降の30年以上に及ぶ日本政治を振り返れば、連合政治の果実をより多く享受してきたのは、非自民勢力でなく自民党の側だったことが分かる。政権交代のある政治を目指すという政治改革の主目的からすれば、まさに皮肉な逆転現象だ。

 政治改革は、古い昭和の自民党政治を超克するための方策だった。東西冷戦構造が崩壊し、低成長時代に入ったことが意識されれば、成長のパイの分配と派閥による「疑似政権交代」を権力維持の黄金律とした自民党の長期政権体制は、改革されるべき対象でしかなかった。

 二大政党が政権公約を掲げ、衆院選で単独政権の奪取を競う政治文化の定着が目指され、小選挙区制を軸とした衆院選挙制度改革が実現した。だが、実際には単独政権ではなく、連立政権が国政をあずかる時代の方が長く続いて来た。

TAKASHI SUZUKI/shutterstock.com

状況に合わせて協力の相手をかえた自民党

 しかもあり体に言えば、その実態は、自民党がその時々の状況に合わせて協力の相手をかえながら、連合政治の各レベルで多数派を形成し直してきた歴史に他ならない。

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