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沖縄に「自己決定権」はあるか~翁長前知事の宿題に対する筆者の回答(後編)

50年前の「沖縄返還」の過程から考える

阿部 藹 琉球大学客員研究員

沖縄側に知らされていなかった返還協定関係法案

 4月30日、那覇市で開催された「復帰措置に関する建議書」を学ぶトークイベント(屋良建議書を学ぶ会、ふーちばー企画主催)に参加した。「復帰措置に関する建議書」、通称“屋良建議書”とは、沖縄返還協定の承認と関係法案を審議していた第67回臨時国会(通称「沖縄国会」)に沖縄側の考えを届けようと、琉球政府トップの行政主席だった屋良朝苗氏らがまとめ、東京に持参した文書である。今沖縄では、この“屋良建議書”を改めて学び、未来に繋いでいこうという気運が高まっている。

 イベントでは、当時琉球政府復帰対策室の調査官で建議書の作成にも携わった平良亀之助さんが、その時の様子を詳細に語った。

拡大「建議書は生きている」と題されたトークイベントの様子。20-30代の参加者も多かった=筆者提供
拡大建議書作成の過程を詳細に語った平良亀之助さん=筆者提供

 驚くべきことに、平良氏によれば、「沖縄国会」(1971年10月16日召集)の直前になっても琉球政府側には返還協定の承認と復帰に伴う関係法案の内容がどのようなものか、日本政府側から全く情報が送られておらず、復帰対策室に勤めていた平良さんも含め、「これから沖縄は一体どうなるんだと沖縄中が疑心暗鬼の状態」だったそうだ。

 そんな中、1971年9月30日、復帰対策室の庶務係のところまで電話を借りに行った平良さんは、庶務係の怪しい仕草から、そこに沖縄返還協定関係法案がようやく届いたことを察知した。沖縄国会が始まるわずか16日前である。

 平良さんは同じようにやきもきしていた仲間たちにすぐに到着のことを伝え、有志で行政副主席にその文書を見せるよう詰め寄った。副主席もまだ知らされていなかったらしく、急いで動いてくれ、その晩のうちには平良さんら有志は文書を手に入れることができた。そして仲間とともに文書を読んだ平良さんは、その内容に唖然としたという。

 そこには沖縄側が求めていた米軍基地の「即時無条件全面返還」の文字はなく、「この中身で復帰が強行されればとてもじゃないが沖縄は立ち行かない」と憤った平良さんらは、翌日に副主席に直訴。危機感を共有した屋良朝苗主席の指示によってすぐに「復帰総点検プロジェクトチーム」が結成されると、メンバーは連日徹夜で内容を精査していった。

拡大建議書は今でも生きている、と語る平良亀之助さん=筆者提供

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筆者

阿部 藹

阿部 藹(あべ あい) 琉球大学客員研究員

1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。島ぐるみ会議国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力する。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。琉球大学客員研究員。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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