憲法論議を空疎にする主権者の不在~「砂川判決」のキーマン二人の「主題」から考える
政治家たちに主権を横取りされるな。今こそ主権者として「覚醒」を
倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)
コロナ禍は3年目に突入。ロシアのウクライナ侵攻で世論が沸騰するなか、日本では社会的な話題にどこかしらで憲法論議が伴走する。今年も憲法記念日には、威勢の良い与党幹部の改憲提案から、シビアな現状認識が欠如した学者のポエムまで、メディアの“陳列棚”には既視感のあるコンテンツが並んだ。夏の参院選に向けて、憲法改正にからむ議論が高まる気配もある。
9条改定、緊急事態条項、敵基地攻撃能力等々、憲法をめぐる論点はさまざまだ。しかし、筆者はこうした議論に対してどこか空疎な思いを払拭できないでいる。

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「主権者」が加わっていない憲法論理
なぜなのか? 憲法論議に「主権者」たる国民が加わっていないからだ。
確かに、政治勢力は「国民は憲法改正を望んでいない」と言ってみたり、「国民の●割が有事の緊急事態法制を必要といっている」と主張してみたり、仮想の「国民」を作り上げて、自身の“ポジショントーク”に援用はしている。しかし、肝心の主権者は憲法に対して、それほど当事者意識を持っていないようにみえる。
こうした現状を招いた理由は幾つかあるだろう。まず政治の不作為、そして司法の不作為、なにより一番の核心には、我々主権者一人一人の不作為があると、筆者は考えている。
本稿では、「高度に政治性を有する」国家行為は、「一見明白」に違憲と言える場合でなければ裁判所は憲法判断をしないと判示したいわゆる「砂川事件判決」を入り口に、我々一人ひとりが「主権者」として“起動”するために、忘れられた「主題」に思いを馳せたい。
「砂川事件」を取り上げるのは、戦後司法判断の性質を左右する判断であるだけでなく、まだ「生煮え」だった日本国憲法の行く末を左右する「主題」を秘めているからである。日本国憲法を巡る「砂川事件」の主題とその変奏に、しばしお付き合いを願いたい。
“伊達判決”を異例のスピードで破棄した最高裁判決
「砂川紛争」の発端は、1955年、立川のアメリカ空軍基地拡張工事に反対する地元の砂川村住民(農民、組合員、学生)らによる運動だ。反対運動は過激化し、1957年、反対派7人が境界を突破して基地内に侵入し、逮捕される。逮捕者の立入・不退去が、日米安全保障条約に基づく行政協定に基づく刑事特別法により起訴された。
1959年3月、第一審東京地裁は裁判長の名を冠した“伊達判決”により、駐留米軍は9条の「戦力」にあたり日米安保は違憲、したがって、特別法の適用は根拠を欠き、憲法31条の「適正手続」に照らして7人を無罪とする衝撃の判断を下した。
翌年に日米安保改正を控えていた政府は焦り、国は即刻最高裁に「跳躍上告」を行う。最高裁は1959年12月14日、異例のスピードで判決を下した。その核心が、かの有名な以下の一節である。
ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。
かくして最高裁は、一審“伊達判決”を破棄し、日米安保条約を合憲、被告人らを有罪とした。
「高度の政治性を有する」国家行為については、「一見極めて明白に違憲無効」という例外的場合のほかは司法裁判所の審査にはなじまず、究極的には「主権を有する国民の政治的批判」によるべきという一連のロジックをもって「統治行為論」と呼ばれる判決だが、後で詳しく述べるが、これは純粋な統治行為論ではない“亜型”である。

砂川事件の7人の被告に無罪を言い渡した東京地裁の「伊達判決」の上告審で最高裁が言い渡した破棄、差し戻しの判決に対して、被告団を先頭に新橋をデモ行進する人たち =1959年12月16日、東京・新橋
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