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なぜいまマルコスなのか〈前編〉 「あいつの息子がやってくる」

現地で見た歴史的なフィリピン大統領選

鈴木暁子 朝日新聞GLOBE副編集長(休職中)、国立フィリピン大学第三世界研究所客員研究員

 6年に1度のフィリピン大統領選挙で、愛称ボンボンで知られる元上院議員のフェルディナンド・マルコス氏(64)が勝利を決めた。当選が伝わると、フィリピンでは一時「Here Comes The Son(ヒアカムズザサン)」という言葉がツイッターでトレンド入りした。ビートルズの名曲にあるSun(太陽)ではなくSon(息子)。つまり、あいつの息子がやってくるぞと。

「マルコスを戻せ」ミンドロ島の集会に多数集まったマルコス支持者たち

 ボンボンの父は、20年以上にわたってフィリピン大統領の座につき、「独裁者」と呼ばれたフェルディナンド・マルコスだ。

独裁者の息子が当選する「ミステリー」

 1965年に大統領についたマルコスは、道路や病院の建設など、社会基盤の整備や経済振興をすすめた。一方で「共産勢力の台頭」を理由に72年に戒厳令を宣言。議会や憲法が停止されるなか、政権に反対した人が連行され、殺害または行方不明になった2300人をふくむ1万1000人以上が人権侵害をうけた。83年に反マルコスの人気政治家ニノイ・アキノが空港で何者かに暗殺されると、国民のあいだで反マルコスの声が高まり、86年に起きた「ピープルパワー革命(エドサ革命)」で一家は国外に追放された。マルコスは89年に亡命先のハワイで死去した。

(左)マニラの大統領府近くに集まり、マルコス政権の崩壊に狂喜する市民たち=1986年2月、マニラ (右)博物館に並ぶイメルダ・マルコス夫人の靴=マリキナ市

 大統領府から見つかった妻イメルダの「3000足の靴」が象徴するくらしぶりは有名だ。マルコス時代には国の財産の私物化がなされ、円借款にかかわる日本企業も不正蓄財に加担し、86年には数百億円ともいわれるキックバックがマルコス家にわたった「マルコス疑惑」が連日報じられ、日本の政府援助のありかたを見直すきっかけにもなった。

 2003年にはフィリピンの最高裁が、スイスの銀行に凍結されたマルコスの資産6億5800万ドル(現在のレートで約855億円)の没収を政府に認める判決を出した。ウェブメディア・ラップラーの報道によると、不正に取得された財産のうち、21年9月までに政府は1740億ペソ(同約4300億円)を没収し、さらに1259億ペソ(同3100億円)を回収すべく、いまも裁判が続いている。

 そんな悪名高い「独裁者」の息子であるボンボンが、5月9日の大統領選で3110万票以上(約98%開票現在)と、次点でライバルのレニ・ロブレドの2倍の得票で大勝を果たした。いったい何がおきているのか? 外国人からするとミステリーでしかない。

ミンドロ島で演説するボンボン・マルコス=2022年4月20日

 私はこの歴史的な選挙を見たいあまり、3月に勤め先の朝日新聞を休職し、4月からフィリピンに滞在している。マルコスの選挙集会を5カ所あるき、支持者に話を聞く中で、ボンボンの圧勝の背景にはすくなくとも「四つの理由」があると感じた。以下に挙げたい。

理由(1)変化した過去へのまなざし 「エドサエドサいいやがって!」

 86年の「エドサ革命」は、フィリピンが「独裁者から民主主義をとりもどした記念日」といわれてきた。翌87年に民主化を果たした韓国や東欧諸国など、世界情勢に大きな影響を与えたといわれる。革命があった2月25日はフィリピンの国民の休日でもあり、すべてのフィリピン人が誇りに思っている日なのだ、と私は思っていた。

 でも、間違っていたようだ。

ボンボン・マルコスを支持する若者たち。父マルコス元大統領と母イメルダ夫人の写真を沿道で掲げていた=2021年3月15日、ルソン島中部タラベラ

 「ラジオで追放を知って涙が出ました。なぜこんなことをするのかと。マルコスは最高の大統領だったのに」。マニラから約470キロ離れたカガヤン州に住むロザリンダ・パスクアさん(74)は話した。

 エドサ革命の当時マニラにいたレオニダ・ノベノさん(72)も言う。「地区のリーダーにお金をもらってエドサに行ったけど、いやだと思ってすぐ帰った。マルコスの時代は電気代も水も食べ物も安くて、犯罪もなく安心して暮らせたのに」。

 そんなふうにマルコス時代を肯定的にとらえる見方があると、私は最近まで知らずにいた。

 マルコスを熱狂的に支持する「マルコスロイヤリスト」と言われる人たちは昔からいた。マルコスに土地や仕事をもらうなど、恩義を感じている人が多いようだ。86年にマルコスがハワイに追放されると、マルコスの出身地であるイロコス地方からの移民が中心になって現地で一家を支えたといわれている。

 とてもわかりやすい数字がある。ボンボンの母イメルダは、夫マルコスの死後に帰国を認められ、翌92年、なんとフィリピン大統領選に立候補し230万以上もの票を集めた。革命の記憶がまだなまなましいこの時期に、それだけ「マルコス」を支持する人がいたということだ。

南部ミンダナオ島タグム市の集会に集まったマルコス・ドゥテルテ支持者

 驚いたのは、今回の大統領選挙のマルコスの集会で、スピーチのために登壇した人のこんな発言を耳にしたことだ。

 「エドサ革命ははったりだ!」。元下院副議長のロダンテ・マルコレータはステージの上でこう言い、戒厳令下で起きた国による人々へのむごい行為は「うそ」だと話した。さらに「(ニノイ)アキノを殺したのは誰か、その後2人もアキノ(ニノイの妻コリーと息子ノイノイ)が大統領になったのに明らかにしようとしなかった。全部マルコスのせいにするためだ」とまくしたてた。

 また、マルコス元大統領の支持で知られる弁護士で上院議員に立候補したラリー・ガドンはマルコスを支持しない人たちについて、「エドサエドサいいやがって、ばかやろうが!」とまで言った。

 つまり、マルコスを追い出した革命で民主主義を取り戻した、といわれてきたその歴史を否定する「見方」が、ここまで堂々と語られるようになっているのだ。

 3110万という得票数から見ても、昔からのロイヤリストの数とは比較にならないほど、今回の選挙でボンボン・マルコスを推す人の数はふくれあがったといえる。その理由はいくつか考えられるが、一つには、戒厳令当時の記憶が社会から失われていることが大きいだろう。フィリピン国民の平均年齢は24.3歳(2020年)と若い。6750万人の有権者登録数のうち3割が30歳以下で、人口のおよそ半分は86年のエドサ革命を覚えていないか、知らないといわれる。

 共有された記憶が薄れるなか、追い打ちをかけたのがフェイスブックなどのソーシャルメディアやYouTubeの広がりだ。SNSを通じて、

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