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子育てを終えた女性たちはなぜ政治に挑んだのか~少子化、自然保護……課題は様々

「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【3】

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

地方にも「政治スクール」の分校が

 「女性のための政治スクール」は1期目のまっ最中だった。都議選の間に開いたスクールに細川さんが講師として登場したことは2話で書いたが、さすがに衆院選の間は休校。かわりに選挙後の8月、埼玉県武蔵嵐山の国立女性教育会館に泊まりがけの研修合宿を実施。衆参両院の国会議員と東京都議による「女性と政治」のシンポジウムも細川佳代子総理夫人の基調講演も大好評だった。

 合宿の直前に細川さんは第79代内閣総理大臣に指名され、佳代子さんに総理夫人という肩書が加わっていた。スクール合宿がいやがうえにも盛り上がったのは言うまでもない。

 東京以外にも、熊本、名古屋、静岡にスクールの分校ができていた。名古屋は河村たかしさんが、静岡は牧野聖修さんが始めたが、候補者として女性票を取りこみたい思惑もあり、衆院選中も女性たちを集めての大集会となった。

 熊本校は、細川佳代子さんが女性議員を増やしたいと本格的に開校したスクールだ。熊本は、今でも県議会などの女性議員比率は全国ワースト3に入る、どちらかというと、女性は表に出るなと言われる地域だ。だからこそ、佳代子さんは張り切って、地元の講師だけでなく、東京からも樋口恵子さんや塩田丸男さんなどを呼び、熱心に生徒も集めた。

 細川さんが総理となって日本新党ブームはピークに達していて、熊本スクールだけでなく、すべての分校は活気づき、賑わっていた。

拡大細川佳代子さん(左)は「女性のための政治スクール」の名誉校長を勤めてくれている。何度も講師でも来てくれているが、特にスペシャルオリンピックスの話は感動的で、スクール生には、各地で、その手伝いをしている人が多い。

日本新党は解党したが「スクール」は継続

 ところが、支持率は高かった細川内閣は1994年4月25日、総辞職。羽田孜内閣が誕生する。だが、羽田内閣も2カ月で総辞職し、6月30日、自民党、社会党、さきがけが組んで、村山富市内閣が誕生する。

 社会党もさきがけも細川連立内閣の一員であった。残る6党は、次期衆院選に備えて大きな固まりを作る必要性に迫られ、新進党を結成する。

 この新進党に合流するため、日本新党は12月9日解党された。寂しさ、拠り所を失ったような不安感を振り払い、女性のための政治スクールだけは一人ででも続けようと覚悟を決めた。細川さんと日本新党の事務局長だった永田良三さんは、スクールは超党派だし円さんが作ったのだから、日本新党が解党しても、しっかり続けてくださいと言ってくれた。

永田さんと李香蘭

 ここで事務局長の永田さんにちょっと触れておきたい。陸士を出て、世が世なら将軍かと思えるような威風堂々とした人格者で、細川さんが新党をたちあげたので、熊本の経済界の人たちが、補佐役にと送り込んでくれた人だった。

 当時、70歳。人を、左翼だとか右翼だとか、保守とかリベラルとか、ゼロか一のような区分法は馬鹿げてると思うが、熊本の人から見れば、永田さんは保守中の保守の人である。

 エピソードがある。永田さんは満鉄の食堂車で、李香蘭と食事をしたことがあるという。

 当時の李香蘭といえば大スターである。彼女が食堂車に入ってきたが、あいにく、テーブルはうまっている。一人で食べていた永田さんに、「ご一緒してもよろしいですか」「もちろんです。光栄です。どうぞ」とさっと永田さんは立ち上がり、椅子を引いて彼女を座らせようとした時、陸軍将校の一人が、「おい、李香蘭、こっちに来いよ」
もちろん彼女は行かなかった。「私、こちらの方といただきますので」

 李香蘭の数奇な運命は調べていただきたいが、彼女は後に、参議院議員としても活躍した。

松崎哲久さん除名をめぐり一騒動

 話を戻す。実はその頃、私の身分は不安定だった。

 1993年の衆院選直前に除名になった松崎哲久さんが、手続きに瑕疵があるとして、中央選挙管理委員会を相手取り、訴訟を起こしていたのだが、解党の寸前の11月末に東京高裁で選管が敗訴。松崎さんの除名はないということで、「円より子の当選は無効」との判決が出た。

 判決当日の夕刊には「円より子議員の当選無効」との見出しが躍った。法務省の官房長だった原田明夫さん(後の最高検検事総長)が飛んできて、「円先生、最高裁で確定するまでは議員の身分は保障されますから、安心して今まで通りご活動ください。その後も大丈夫、大丈夫」と言ってくれたのは心強かった。

 手続きに瑕疵はなく公序良俗にも反していないことを証明するため、細川さんらは裁判の当事者として関わることを決め、翌年5月、最高裁で勝訴を勝ち取った。私の当選は有効となった。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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