落合貴之(おちあい・たかゆき) 立憲民主党衆院議員
1979年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。三井住友銀行行員、衆議院議員江田憲司秘書などを経て、2014年衆院議員初当選、現在3期目。衆議院経済産業委員会野党筆頭理事、党政調副会長など歴任。著書に『民政立国論 一人ひとりが目指し、挑み、切り拓く新世界』(白順社)。東京6区。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
会社がためこんだ内部留保を有効な投資に活用させるための国の工夫が必要だ
国内外に山積する課題に政治はどう向き合い、解決すればいいか――。現役の国会議員が政治課題とその解決策について論じるシリーズ「国会議員、課題解決に挑む~立憲民主党編」。落合貴之衆院議員による緊急連続対談「いま必要な経済政策は?」の第2回の対談相手は大島敦衆院議員です。
大島議員は参院選の立憲の公約に盛り込む経済・産業政策をまとめた調査会の会長。平成以来、日本経済が低迷する理由と再生のポイントについて、幅広く語っていただきました。コメント欄にぜひ、ご意見をお寄せください。(論座編集部)
(構成 論座編集部・吉田貴文)
大島敦(おおしま・あつし) 立憲民主党衆議院議員
1956年生まれ。早稲田大学法学部卒業後、日本鋼管(現JFEスチール)に14年間勤務、ソニー生命営業職を5年間勤める。2000年衆院選で民主党公募候補として初当選。民主党政権で内閣府副大臣、総務副大臣などを歴任。現立憲民主党経済産業政策調査会長。当選8回。埼玉6区
落合貴之 立憲民主党は夏の参議院選挙の公約をつくるため、八つの政策分野ごとに調査会をもうけ、検討を進めました。調査会ごとにとりまとめは終わり、党の政務調査会で公約をまとめています。今回の対談では、調査会の一つの経済・産業政策調査会の大島敦会長と立憲民主党の経済政策についてお話したいと思います。
私は経済・産業政策調査の事務局長をさせていただいていますが、そもそもこの調査会の名称は従来のものとは違います。これまでは「経済政策調査会」でしたが、大島会長の提案で「経済・産業政策調査会」にしました。なぜ、「産業」という言葉を入れたのでしょうか。
大島敦 今の日本に「産業政策」がないからですね。そこで、あえて「産業」という言葉にこだわり、調査会の名称にも入れました。私は大学を卒業後、日本鋼管(現JFEスチール)に14年間いましたが、1970年代末から90年代初めにかけての日本には、産業政策がありました。その頃と今とではまったく違います。
落合 日本経済が好調だった頃ですね。高度成長を実現した日本の社会・経済構造を称賛する『ジャパンアズナンバーワン』という本が話題を呼び、日本企業の海外進出も盛んで、経済的な繁栄を謳歌していました。東京・世田谷の職人の家に生まれた小学生の僕も日本の豊かさを実感していました。
大島 1989年にアメリカで出版され、日本で翻訳も出た『Made in America』という本があります。80年代にすっかり疲弊したアメリカ産業の再生を願い、MIT(マサチューセッツ工科大学)が日本や欧米の労使を対象におこなったインタビューなどをもとにまとめたものです。この本では、アメリカが再生するための詳細な分析と具体的な政策提言がまとめられています。日本も今、そういう時期にあると思います。
落合 日本が再生のために必要なものはなんでしょうか。
大島 平成を通じて日本の「ものづくり」が弱体化し、円安になった今も「売るもの」がありません。円安で最高利益をあげたという企業もありますが、優れた製品で稼いでいるといいのですが……。
落合 製造業が弱くなったのは確かですね。自民党政権は、成長しないと分配もできないと言ってきましたが、成長戦略はいずれも成功せず、企業の競争力は失われました。なにより深刻なのは先端産業が弱いことです。
30年前からデジタルの時代の到来は分かっていたのに、1994年と2015年を比べると国のデジタル投資はほとんど増えていない。アメリカでは3倍になっているのとは対照的です。デジタル化の核であるクラウドは海外の企業に依存しており、その支払いで年に1兆円以上の資金が流出しています。政府のクラウドでさえ海外企業が受注し、情報管理の問題が指摘されています。
さらに、30年前には世界の半導体の5割を生産していたわが国のシェアは今、1割まで落ち込んでいる。汎用品の半導体さえつくれない状況です。グリーンの分野でも2000年代以降、再生可能エネルギーが広がると言われながら、世界シェア4割だった太陽光パネルは00年代半ばに補助金が打ち切られて減速し、今やシェアは1%未満です。風力発電の設備も自前ではつくれません。
日本は成長分野でことごとく世界から後れを取っている。どうしてこうなってしまったのか。どこに原因があると思いますか。