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G7の一角をなす日本のウクライナ支援

始まりは2014年のマイダン革命とロシアの侵略

角茂樹 玉川大学、岩手大学、川村学園女子大学、上智大学客員教授、元ウクライナ大使

モスクワ公国とキーウ・ルーシー公国はべつもの

 まず、ウクライナとロシアがどのような歴史的関係にあったかを簡潔簡単に記してみることにする。

拡大ウクライナ侵攻前のキーウ中心部、噴水広場

 ウクライナは、9世紀から13世紀にかけて繁栄したキーウを首都とするキーウ・ルーシー公国にその始まりを求める。当時欧州にあって大きな勢力を誇った国である。それが13世紀にモンゴルの襲来により崩壊。100年のモンゴルの支配が終わったのち後14世紀から18世紀にかけてウクライナの地の大部分は、ポーランド・リトアニアの影響下に置かれる。

 ロシアがウクライナに進出してきたのは、17世紀末のピーター帝の時代であって、ロシアが現在のウクライナの大部分を領土に加えるのは、18世紀にポーランド分割を行ったエカテリーナの時代に過ぎない。ロシアは、ウクライナとロシア双方の始まりをキーウ・ルーシー公国に求め、その後この公国がモスクワを中心とする東ルーシーとポーランド・リトアニアの支配下に置かれた西ルーシーに分かれた後、ピーター帝によって再統一されたとの史観をとる。

 だが、ウクライナ人からしてみれば後にロシアを名乗るモスクワ公国とキーウ・ルーシー公国は全く別の存在であって、同根の歴史を有するとするロシアの歴史観は全く受け入れられないのである。

ウクライナの言語・宗教・独立

 言語的にも、ウクライナ語とロシア語は、古ロシア語として同じルーツを持つとする学説があるのは事実だが、ポーランドの影響下にあったことからウクライナ語は言語としてもむしろポーランド語に近い響きを有するのが実情である。

拡大ウクライナ侵攻前のキーウ中心部、独立広場

 宗教的にも確かに10世紀にキーウ・ルーシー公国のウラジミール大公がビザンチン帝国よりキリスト教(正教)を受け入れ、それがその後、モスクワ公国そしてロシアに伝播したことは事実であるが、キーウにあった正教会は、モンゴル及びポーランドの影響下にあっても、コンスタンチノープルの管轄下にある組織として存続していたのであって、モスクワの総主教庁の下に置かれることになったのは、17世紀の末の事である。

 また、ポーランドの影響下にあった西部には、ギリシャ・カトリック教会という儀式・典礼は正教会を踏襲しつつもローマ教皇の首位権を認めるという大きな勢力があり、さらに1991年の独立後には、ウクライナの正教会内部においてもモスクワ総主教庁から独立したキーウを中心とするウクライナ正教会が樹立されている。このウクライナ正教会は2019年には、コンスタンチノープルの全地総主教から正式な教会としての認知を受けている。

 ソ連時代にウクライナ語は抑圧され、1928年から1933年にかけては、スターリンによる無謀な集団農業政策の失敗と食物強奪により400万ともいわれるウクライナ人が餓死する惨劇を生んでいる。ホロドモールといわれる大飢饉である。ウクライナは第1次と第2次の世界大戦の双方において独立運動を起こすが、ボリシェヴィキとソ連による徹底的な弾圧を受ける。ウクライナが独立を手に入れたのは、ソ連邦が崩壊した1991年の事である。

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筆者

角茂樹

角茂樹(すみ・しげき) 玉川大学、岩手大学、川村学園女子大学、上智大学客員教授、元ウクライナ大使

東京都出身。一橋大学商学部卒業後、外務省入省(1977)、オックスフォード大学卒業(1980)。在ウイーン国際機関大使(2005)、国連大使(2008)、バーレーン大使(2011)、ウクライナ大使(2014)。2019年に退官。以後玉川大学、岩手大学、川村学園女子大学、上智大学院で国際関係論を教える。ウクライナ問題、国際機関関連の著作多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです