新進党は男の政党? 苦難の政治スクール 政治へのワクワク感薄れ細川さんも引退
「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【4】
円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
元参院議員の円より子さんが1993年に「女性のための政治スクール」を立ち上げてから来春で30年。多くのスクール生が国会議員や地方議員になり、“男の社会”の政治や社会を変えようと、全国各地で奮闘してきました。平成から令和にいたるこの間、女性など多様な視点はどれだけ政治に反映されるようになったのか。スクールを主宰する円さんが、「論座」の連載「ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」で、スクール生や自身の経験をもとに現状や課題、将来展望などについて考えます。(論座編集部)
※「連載・ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」の記事は「ここ」からお読みいただけます。
「政治改革」と「女性スクール」が織りなす物語り
今から30年前の5月、細川護煕さんが日本新党を結成した。同党は日本の政党としては初めて党則にクオータ制を取り入れた。ひょんなことで、日本新党にかかわることになった私は、女性議員を増やそうと「女性のための政治スクール」を開校した。
冷戦が終わり、日本は「改革の時代」に突入していた。政治、行政、経済などの改革が進められたが、そこでは既得権益や既存の価値観との摩擦も生じた。ジェンダーも然(しか)り。改革の波に乗せて、前に進めようとしたものの、押し返す波の力も強く、行きつ戻りつを繰り返した。平成の「政治改革」という縦軸と、「政治スクール」という横軸が織りなす「ジェンダーと政治」をめぐる物語りの、今回は第4話である。
政治へのワクワク感をつくりだした細川さん
2022年の今、政治にワクワク感を持つ人はいるだろうか。残念なことに、ほとんどいないのではないか。
しかし、1992年はそうではなかった。細川護煕さんが日本新党を旗揚げすることでつくりだした「うねり」が、それまでの閉塞した政治を揺り動かし、女性も男性も政治が変わっていく気配に、ワクワクするような期待と高揚感を抱いたものだ。
岐阜県大垣市でクリニックを開いていた医師の小嶋昭次郎さんもその一人だった。

新党の党名を「日本新党」にすると発表した細川護煕さん=1992年5月22日
「自分が入りたい党が出てきた!」
小嶋さんは医師として人助けのできる立場ではあったが、政治だとより多くの人を助けられる。政治こそが、人として目指すものとの考えを持っていた。
とはいえ、医師や弁護士なら、勉強して資格を取ればなれるが、政治家は、勉強したからといってなれるものではない。それに彼にすれば、既存の政党は、たとえば自民党も社会党も、そこで共に働く気になれないところばかりだった。
そこに現れたのが細川護煕さんであり、日本新党だった。
「やっと、自分が入りたい党、一緒に日本を変えたい党が出てきた!」と感動に震えたという。
日本新党から政治家になりたいと思った小嶋さんは、ある女性誌が名古屋で日本新党の海江田万里衆議院議員を招いて講演会を開くことを知った。抽選に当たるよう、何十枚も応募の葉書を書いた。
会場で会った海江田さんは、「円より子さんが『女性のための政治スクール』をやっているから、そこに入ったら」と教えてくれた。女性の? 男の自分が入れるのか?
スクールに皆勤、衆院選に出馬

新進党公認で、岐阜2区で初出馬した小嶋さん=1996年10月
男性も入れる、年齢も問わない、という海江田さんの言葉に励まされて応募。小嶋さんはスクールの2期・3期と、岐阜の大垣から通い続けた。“皆勤賞”だった。当時、スクールは月にほぼ2回、年に21回も開いていたのだから、地方から皆勤というのは熱心という他ない。
「他の講演やシンポにも行ったけど、円さんのスクールは本当に刺激的で面白かった。細川さんだけでなく、小沢一郎さん、羽田孜さん、米沢隆さんら、生の政治家に直接質問もできたから」
3期目のちょうど細川さんの講義の日、「次期衆院選の新進党公認になれそうだから、すぐ大垣にもどるように」と、小嶋さんのケータイに地元から電話が入ったのだという。1996年4月だった。
その年の10月、第41回衆院選が行われ、小嶋さんは岐阜2区から新進党公認で出馬。私も大垣まで応援に行った。
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