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香港返還25年 反故にされた「自治」の約束~天安門事件記念集会も封じ込め

経済都市から警察都市へ。それでも忘れてはいけない声をあげることの大切さ

藤原秀人 フリージャーナリスト

25年前、香港では祖国への復帰返還を祝って盛大に花火が打ち上げられたが……=1997年7月1日、香港・尖沙咀(チムサアチョイ)で

 1997年7月1日、香港は英国から中国に返還された。今年はそれからちょうど25年になる。

 1日に香港で開かれる記念の式典には、コロナ禍で北京にとどまり続ける習近平国家主席・共産党総書記も出席し、返還の成果を誇示するのではと伝えられる。しかし、香港の高度な自治は50年間は続く、と中国側が宣言した「一国二制度」の約束は、約束の半分もたたないうちに反故(ほご)にされている。

警官隊に封鎖されたビクトリア公園

 中国の領土でただ一つ天安門事件の犠牲者を悼む公開の集会が続いていた香港。だが、中国共産党と政府の意向に反した言動を取り締まる香港国家安全維持法 (国安法)が2年前の6月末に施行され、集会は今年も封じ込められた。

 香港の選挙制度は北京に都合のいいように変えられ、民主派を厳しく取り締まった元警察官僚が特別行政区政府のトップになる。当局に異を唱えるメディアは強圧を受けて窒息状態だ。人々の抗議やデモもコロナ対策を名目にして禁じられている。

 天安門事件の起きた1989年6月4日と同じ日に毎年、ろうそくを手に市民が集まっていた、緑がまぶしい香港中心部のビクトリア公園は、昨年同様に警官隊により封鎖された。それでも、朝日新聞の報道によれば、4日夜、男性がマスクに「×」を書いて無言の抗議をした。彼は警察に連行された。

 香港紙明報は、6本の白いバラと4本の赤いバラを持った市民が、公園の近くで調べを受けたと伝えた。他にも「6月4日」「1989年」を連想させる物を持った市民はつぶさに調べられたという。

香港のビクトリア公園で、「4日に違法に集まるよう扇動する動きがあった」との理由で公園の出入り口を封鎖し、市民らを排除する警官=2022年6月3日

黎智英氏、周庭氏……知人が次々と逮捕、起訴

 私は返還前に新聞社の香港特派員していた縁で、多くの市民と知り合いになり、香港を離れてからも取材を続けてきた。そんな人たちが次々逮捕、起訴されている。ほぼすべてが言論や政治活動の自由にかかわる容疑だ。国安法が施行されてからは状況がさらに厳しくなっている。

 「中国首相はまぬけ」などと周りをハラハラさせるほど共産党をこっぴどく批判し続けた「リンゴ日報」紙創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏。

 創刊時に会ったときには「新聞発行はビジネスに徹する」と言っていたが、天安門事件直後から始めた民主派支援はやまず、集会やデモの先頭にいたのを何度も見た。国安法施行直後に逮捕されただけでなく、「リンゴ日報」は同法違反容疑で幹部が相次ぎ逮捕、資金も凍結されて去年廃刊となった。

 日本のアニメやアイドルが好きで、独学で習得した日本語でSNSを通じて発信を続けた周庭(アグネス・チョウ)氏。周氏も黎氏と同じ日に国安法違反で逮捕された。

 最初に会ったのは、2017年6月東京。彼女が20歳の時だった。名前の「アグネス」から歌手の「アグネス・チャン」を連想したが、「親中派で好きではない」とのことだった。別の容疑で実刑判決を受けて去年6月に出所したが、外との連絡を絶っているようだ。

刑期を終えて出所した周庭(アグネス・チョウ)氏。報道陣の呼びかけにも応じず、少し疲れた様子で迎えの車に乗り込んだ=2021年6月12日、香港

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82歳で逮捕された「香港民主の父」

 黎氏が民主派支援活動で知り合ったのが、「香港民主の父」と呼ばれた李柱銘(マーティン・リー)弁護士。ずっと会いたくて、香港に駐在した直後に取材を申し込んだ。秘書から「広東語か英語なら受ける」と連絡があった。彼は中国大陸で話されている「普通話」は操ると聞いていたが、しょうがないので英語で取材した。

 香港返還の意義を聞いたときの「significance」の発音が悪かったようで、インタビューは途中から英語の授業のようになり、冷や汗が背中を流れ続けた。

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