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私の「体験的官僚論」

中立性・継続性を担保するルールが機能

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

大蔵省拡大大蔵省の正面玄関=東京・霞が関、1995年撮影

 日本の官僚制度の歴史は古い。7世紀後半から10世紀ごろまで、中国の制度を参考にしながら、いわゆる律令制が実施されていた。そして、645年の「大化の改新」において、四つの施策方針が示された。その内容は、(1)豪族(国造)らの私有地を廃止し、人民の所有を廃止すること。(2)中央(朝廷)による統一的な地方統治制度を維持すること。(3)戸籍・計帳・班団収受法を制定すること。(4)租税制度を再編成すること。(5)中央政府が統率する大規模軍(軍団)をつくること。つまり、日本の地方統治制度を、中央政府(朝廷)が、構成する諸国を官僚制による直接統治することとしたのだ。また、日本の君主を天皇とし、諸国の上に君臨することを明確化した。

 そして、いわゆる「科挙」の制度が導入され、特に明治時代に入ると、科挙を原型とした「高等文官試験」が実施された。高等文官試験は第二次世界大戦後1948年に廃止されたが、人事院が実施する国家公務員試験と法務省が実施する司法試験に引き継がれた。現在、高等文官試験を継承するのは、国家公務員試験総合職試験である。平成27年に実施された総合職試験の合格者が多かったのは、(1)東京大学(459名)、(2)京都大学(151名)、(3)早稲田大学(148名)、(4)慶應義塾大学(91名)等となっている。

「格落ち」でスタートした官僚人生

入省写真拡大入省時の記念写真。後列左から7番目が筆者 筆者提供
 筆者は1965年(昭和40年)大蔵省(現財務省)に入省したが、合計20人が採用となり、東京大学の卒業生が18人、京都大学の卒業生が2人だった。ただ、入省時の成績があまり良くなかったので、関税局国際課に配属となった。入省成績の良かった竹島一彦氏は大臣官房秘書課に、薄井信明氏は大臣官房調査課に、後に衆院と参院で議員を務め先頃亡くなった浜田卓二郎氏は大臣官房文書課に配属に、そして鏡味徳房氏は主計局総務課それぞれ配属された。関税局に回された筆者は若干、格落ちという事だったのだろう。
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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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