「政党」としての公明党~一学究の徒の政治学研究【7】
2022年06月15日
「論座」では「『政党』としての公明党~一学究の徒の政治学研究」を連載しています。1999年に自民党と連立を組んで以来、民主党政権の期間をのぞいてずっと与党だったこの党はどういう政党なのか、実証的に研究します。7回目は、小選挙区時代に自民党、民主党が直面した新人議員教育について論じます。(論座編集部)
◇連載「『政党』としての公明党~一学究の徒の政治学研究」はこちらからお読みいただけます。
「特に今、できたら女性専門の塾を作りたいです。それから、そもそも女性の受講者をもっと増やしていきたいと思っています。日本は、国会議員だけでなく、地方議員も含めて女性の比率が世界の中でもランキングとして非常に下位です。自民党が国民政党として、今後も幅広く各層の人たちを代弁するためには、もっと女性議員が増えることが必要だと思っています。
しかし、女性には様々なハンディキャップがあり、意欲はあっても、『地盤、看板、鞄』があるわけじゃない人が、いくら優秀であっても手を上げることができません。女性をできるだけリクルートしていきたいと思っていますので、その受け皿として女性政経塾というものを是非作りたいと思います。
自民党女性局の中でこれまで2回、特に意欲のある女性を中心に、『女性政治家養成塾』というものを始めました。そこで政経塾と同じように研修していますから、卒業した人を同時に都道府県連の政経塾に紹介するとか、中央政治大学院としてできるだけそういう人を応援して、もっと女性が手をあげやすいような状況を党としてバックアップしていきたいと思っています」
下村博文・自民党衆議院議員(中央政治大学院学院長)は、候補者リクルートのジェンダー平等について熱く語った(2022年5月16日インタビュー(筆者取材))。
実際、2022年7月の参議院選では、自民党の比例区候補に占める女性の割合が目標の3割を超えた(「自民、参院選に女性4候補決定 『比例で女性候補3割』の目標は達成」『朝日新聞』2022年5月30日、2022年6月14日閲覧)。
「連載・『政党』としての公明党~一学究の徒の政治学研究」ではこれから数回、候補者のリクルートを扱いたい。対象は、自民党、立憲民主党、公明党の3党である。本稿では、まず自民党を扱う。前半では、自民党と民主党の新人議員教育の比較、後半では現在の自民党の中央政治大学院について議論を展開していく。
自民党の議員教育はどう展開されているのか。派閥内の取組もあり、明らかでない部分も多い。しかし、自民党史を振り返ると、新人議員教育について共通点が見えてくる。それは、「新人議員の大量当選への対応」である。
筆者が調べた限りでは、1986年10月16日の読売記事に、その萌芽が確認できる(「自民 若手議員研修会ブーム 総裁選での“即戦力”を期待?」『読売新聞』1986年10月16日朝刊)。
自民党の各派が、最近、そろって若手の“研修”を開始した。政治、政策の「勉強会」と銘打って、すでに中曽根派が会合を重ねているほか、十五日には、田中派が初会合を開いたのに続いて、安倍派も開催を決め、ちょっとしたブームとなっている。先の衆参同日選挙で各派とも新人議員を大量に当選させたため、その“オリエンテーション”(政治活動に関する指導)が主な目的だが、総裁候補を抱える派閥には「早く一人立ちして、戦力になって欲しい」との期待もあるようだ。
背景を少し補足する。中曽根総理の「死んだふり解散」による衆参同日選挙(1986年7月6日)で、自民党は衆議院で公認候補だけで300人当選(追加公認含めると304人)という大勝をおさめた(石川真澄『戦後政治史[新版]』岩波書店、2004年、p.158)。前回の83年12月18日衆院選の250人(追加公認入れて259人)から大きく増えたため、どう面倒を見るかという問題点が生じる。そこで、若手議員を集めた「勉強会」が行われた。中曽根派ではパーティーの開き方など政治資金の集め方、公共事業の予算獲得法、陳情処理のノウハウなどがテーマになっている。
中選挙区制時代、「新人議員の大量当選」は例外的事象であり、党内マネジメントやガバナンス上、そこまで大きな課題とはならなかった。選挙ごとの議席数の変動が顕著になったのは、小選挙区比例代表並立制が採用されてからである。典型例は2005年9月11日の小泉純一郎総理による郵政選挙だ。
この選挙で初当選した83人の新人議員は“小泉チルドレン”と称された。選挙後、間髪を入れずに、「小泉首相(自民党総裁)の『脱派閥』のかけ声で新設された自民党の新人議員研修会が[9月—引用者注]20日、初めて開かれた」(「小泉首相、『派閥不要』説く 意見・情報、自民党本部で交換を 新人議員研修会」『朝日新聞』2005年9月21日朝刊)。
研修内容は先述の派閥主体のものと異なる。具体的には、「研修会の講師役は政調会長や国会対策委員長らが務める。国会運営、党務、政策決定の仕組みのほか、財政、社会保障、憲法などの政策課題についても講義する」と紹介されている(「脱派閥、引き金なるか 自民新人議員、党主導で教育 今日から研修会」『朝日新聞』2005年9月20日夕刊)。
実際、「国会議員にとってはイロハである予算編成の過程や政策決定の仕組みの研修、小泉首相とのカレーライス昼食会……。武部氏らは、新人議員全員を対象に異例の手厚いサービスを与え続けた」(「(06自民総裁選 新人議員の行方:上)『83会』不協和音」『朝日新聞』2006年2月2日朝刊)。財界幹部との懇談や、総理とのツーショット写真撮影も行われた(「小泉チルドレンどう動く 自民新人議員83人」『朝日新聞』2005年12月21日朝刊)。
とはいえ、大勢の新人議員の人数は、「数は力」でもある。当時の自民党新人衆議院議員の割合は、党内の衆参両議員を分母として20.39%。自民党総裁選(2006年9月)に大きな影響を及ぼす。新人議員の多くは、小泉の出身派閥であった清和政策研究会入りを選択した。例えば、2006年2月2日付けの朝日記事では、「新人議員82人の中で44%の36人がすでに派閥入りしている」と紹介されている(「(06自民総裁選 新人議員の行方:上)『83会』不協和音」『朝日新聞』2006年2月2日朝刊)。
当時の各派閥の勢力は、第1派閥である森派(清和政策研究会)の87人のうち、14人が新人議員で占めた(同上)。第2派閥となった津島派(平成研究会)では72人のうち、新人議員が3人にすぎない(同上)。清和政策研究会からは、安倍晋三、福田康夫と総理・総裁を輩出した。
とはいえ、派閥でしか担えない機能も残っていた。郵政選挙後、当時の「伊吹派の島村宣伸・前農相は『新人は役所に行くのにも、誰を訪ねていいか分からない。そんな時に先輩議員が紹介できる』と指摘」している(「最大勢力は“小泉派” 自民、無派閥新人60人 『囲い込み』批判も」『読売新聞』2005年9月24日朝刊)。新人議員が派閥入りした理由も、「『陳情の受け方や人脈作りは党の研修だけではわからない』『政局の動向は無派閥ではだれも教えてくれない』」といったものが挙げられた(「小泉チルドレンどう動く 自民新人議員83人」『朝日新聞』2005年12月21日朝刊)。
さらに、小泉政権下であっても、「主に若手が就く副大臣・政務官や党の部会長などのポストは、派閥の推薦に基づいて行われてい」た(「脱派閥、引き金なるか 自民新人議員、党主導で教育 今日から研修会」『朝日新聞』2005年9月20日夕刊)。小泉以前の自民党システムも、残存していた。
「新人議員の大量当選」にどう対応するかという課題は、2009年に政権を獲得した民主党(308議席)も抱えた。筆者は、民主党政権で問題となった党内の一体性やガバナンスについては、平成以降に常態化した連立政権下での与党間関係をどう構築するかという点だけでなく、大勢の新人議員とどう向き合うかという点も密接に絡み合うと考えている。ちなみに、09年衆院選で初当選した民主党の議員は143人。民主党内の衆議院議員の46.43%を占めた。
小泉時代、武部勤幹事長など党執行部が実務を担って新人議員研修会が展開されたが、発案者であった小泉総理・総裁自身も関与した。他方、民主党での新人議員研修会については、管見の限り、鳩山由紀夫総理・代表が積極的に関与した形跡が見当たらない。なぜなのか。
政権発足(2009年9月16日)直前の9月5日、小沢一郎・衆議院議員は、鳩山代表との会談内容を次のように明らかにした(「(政権交代 鳩山内閣発足へ)小鳩分担、滑り出す 屋台骨、大物ずらり」『朝日新聞』2009年9月6日朝刊)。
政府のことに関しては「私がやります」と。党務に関しては「幹事長にしっかりやっていただきたい」と申し上げました。
内閣(鳩山)と党(小沢)の「役割分担」が明確にされた。役割分担を明確化することは、省庁の「分担管理の原則」の原則や、三権分立における行政権の「控除説」のように、当該セクションが他のセクションへ積極的に「関与」することを防ぐ意味合いも持つ。実際、政権発足早々、次の変化が報じられた(「『党務は小沢氏』鮮明 陳情処理・新人教育に課題 鳩山氏不在、初の民主党役員会」『朝日新聞』2009年10月14日)。
小沢一郎幹事長になって初の民主党役員会が13日開かれた。同党は「政府・与党の一元化」をめざしてきたが、鳩山由紀夫党代表(首相)が「政策は政府、選挙と国会運営は党」と仕切り、政府・与党の「二層構想」がくっきりしてきた。
鳩山代表もはじめ政府入りした議員は党から切り離された。党所属議員のうち、政府内に約60人が入り、政府外に約360人が残った。通常、政府へは当選回数を重ねた議員らが入るため、党内に残った新人議員の割合は高かった。内閣は政策決定、法案提出を、党は国会運営、選挙対策の役割を担った(「『党務は小沢氏』鮮明 陳情処理・新人教育に課題 鳩山氏不在、初の民主党役員会」『朝日新聞』2009年10月14日)。
問題は、この大勢の新人議員に小沢幹事長がどう対応したのかであった。彼らを管理、掌握することは、小沢幹事長の党内権力の基盤強化につながる。他方、もし新人議員が集団としてまとまれば、彼らが党内議論を大きく左右する危険性も秘めていた。いずれも、自民党の2006年総裁選と同様、「数は力」である。
民主党内での新人議員教育は、小泉時代が手探り状態であったのに対し、「管理教育」の様相を相当強めた。新人議員の教育は、2009年10月13日の研修会からスタート。130人が出席し、先輩議員や国会職員から国対委員会の役割などを学んだ(「『党務は小沢氏』鮮明 陳情処理・新人教育に課題 鳩山氏不在、初の民主党役員会」『朝日新聞』2009年10月14日)。
当時の朝日記事には、「国対副委員長が指導する『勉強会』も発足する。社会人の経験が少ない議員も多く、『会議に遅れるな』『中座もするな』などのマナーも教わるという」という紹介もある(同上)。国対の勉強会は、朝8時30分から。「新人教育は十数人単位の班ごとに行われるが、班長となった中堅の国対副委員長らも指導の成果を問われる」(「民主新人鍛える『小沢小学校』 朝8時半から勉強会、欠席・遅刻に厳罰」『朝日新聞』2009年10月24日夕刊)。
当時の民主党新人議員教育の様子は、どうだったのか(「民主・新人議員黙らす『小沢5原則』執行部、10班に分け管理」『朝日新聞』2010年1月30日朝刊)。
衆院本会議や予算委員会の日。民主党の新人議員たちは国会内での「朝礼」を終えると、10班に分かれてミーティングに移る。10人の班長は中堅の国対副委員長らだ。
「黙って聞け!」「お前らはどうなんだ!」。予算委員会には常に2班が乗り込み、ヤジを飛ばす。昨年の臨時国会ではヤジの飛ばし方も教育された。「朝礼」では小沢氏に近い山岡賢次国対委員長が訓示。教育方針には小沢氏の意向が反映されている。いわば「小沢5原則」だ。
その一つが「党内の出来事はすべて班長に報告」。班別行動は班長が新人を把握し、執行部の意向に反する不穏な動きに備え、新人たちの連携を分断する狙いから。非小沢系の議員グループの会合が、新人議員の報告で発覚したこともある。
「小沢5原則」には、「目立つべからず」、「政府の要職につくべからず」というものもある。新人議員が相互監視もする「管理教育」だけでない。党政策調査会の廃止、議員立法の制限、議員連盟の登録制による活動管理、政府要職への登用阻止、陳情処理の幹事長室への一本化(与党・自民党は陳情の“ノウハウ”を派閥内で新人議員に教えていた)。新人議員の様々な「手段」や「場」が、次々と封印や管理されていった。
2012年12月16日の衆院選で、自民党と公明党は政権に復帰した。自民党からは119人の新人議員が当選(いわゆる“安倍チルドレン”)、2013年1月22日から新人議員の研修会が行われた。当時の朝日記事には、「研修会は、議員の教育機関を派閥から党に移すことを目指す石破茂幹事長の発案で始まった」(「自民の新人教育、手取り足取り 115人、生き残りへ『品格』伝授」『朝日新聞』2013年1月23日朝刊)とある。「石破氏らは振幅の大きい小選挙区制度で新人を勝ち残らせるため、地元での活動を管理して選挙対策を徹底させる考えだ」と紹介されている(同上)。鴨下一郎国対委員長が仕切った。(「自民・石破幹事長、新人を徹底管理 『派閥作り』との批判も」『朝日新聞』2012年12月29日朝刊)
政権復帰後の新人議員研修会では、2005年の経験や民主党政権下での知見も活かされたと考えられる。具体的には、「新人を10班に分け、国対会議への定期的な出席や本会議の出欠のとりまとめも義務づけ。研修会への出席も互いに監視させ」た(「自民の新人教育、手取り足取り 115人、生き残りへ『品格』伝授」『朝日新聞』2013年1月23日朝刊)。自民党青年局も、13年2月10日に新人議員の研修会を行い、「石破幹事長や伊吹衆議院議長、党の幹部職員らが、党の綱領や政策決定の仕組みなどについて講義を行った」(「自民党・青年局、新人の国会議員らに研修会」日テレNEWS、2013年2月10日、2022年5月18日閲覧)。
2013年参院選後も新人研修会が行われた。石破幹事長は、「ミニ集会の開催や地方議員との緊密な連携など『選挙活動』のノウハウを丹念に指南」した(「熱血『石破教官』新人議員に夏の心得と宿題-お盆、お祭り、お礼回り」THE SANKEI NEWS、2013年8月8日、2022年5月18日閲覧)。
このように、平成政治史を振り返ると、自民党と民主党が「新人議員の大量当選」という課題に向き合ったことがわかる。実際、「石破氏の熱血指導の理由は、大量当選と落選を繰り返す『振り子現象』から脱皮すること」にあった(「熱血『石破教官』新人議員に夏の心得と宿題-お盆、お祭り、お礼回り」THE SANKEI NEWS、2013年8月8日、2022年5月18日閲覧)。
現在、国会は「一強多弱」で落ち着いているが、選挙制度が「新人議員の大量当選」も生じやすい仕組みである点に変わりない。今日、自民党内で人材育成や候補者リクルートの面で重要な役割を持つようになってきていると考えられるのは、中央政治大学院という組織である。
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