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自民党・民主党は新人議員をどう教育してきたのか?~中央政治大学院の役割は

「政党」としての公明党~一学究の徒の政治学研究【7】

岡野裕元 一般財団法人行政管理研究センター研究員

党執行部主導で新人議員研修会

 中選挙区制時代、「新人議員の大量当選」は例外的事象であり、党内マネジメントやガバナンス上、そこまで大きな課題とはならなかった。選挙ごとの議席数の変動が顕著になったのは、小選挙区比例代表並立制が採用されてからである。典型例は2005年9月11日の小泉純一郎総理による郵政選挙だ。

 この選挙で初当選した83人の新人議員は“小泉チルドレン”と称された。選挙後、間髪を入れずに、「小泉首相(自民党総裁)の『脱派閥』のかけ声で新設された自民党の新人議員研修会が[9月—引用者注]20日、初めて開かれた」(「小泉首相、『派閥不要』説く 意見・情報、自民党本部で交換を 新人議員研修会」『朝日新聞』2005年9月21日朝刊)。

 研修内容は先述の派閥主体のものと異なる。具体的には、「研修会の講師役は政調会長や国会対策委員長らが務める。国会運営、党務、政策決定の仕組みのほか、財政、社会保障、憲法などの政策課題についても講義する」と紹介されている(「脱派閥、引き金なるか 自民新人議員、党主導で教育 今日から研修会」『朝日新聞』2005年9月20日夕刊)。

 実際、「国会議員にとってはイロハである予算編成の過程や政策決定の仕組みの研修、小泉首相とのカレーライス昼食会……。武部氏らは、新人議員全員を対象に異例の手厚いサービスを与え続けた」(「(06自民総裁選 新人議員の行方:上)『83会』不協和音」『朝日新聞』2006年2月2日朝刊)。財界幹部との懇談や、総理とのツーショット写真撮影も行われた(「小泉チルドレンどう動く 自民新人議員83人」『朝日新聞』2005年12月21日朝刊)。

拡大2005年の郵政選挙で当選した自民党新人議員「83会」の議員たち。「UBUDAS(うぶだす)」を出版会見で=2006年3月30日、東京・永田町で

「数は力」になる新人議員たち

 とはいえ、大勢の新人議員の人数は、「数は力」でもある。当時の自民党新人衆議院議員の割合は、党内の衆参両議員を分母として20.39%。自民党総裁選(2006年9月)に大きな影響を及ぼす。新人議員の多くは、小泉の出身派閥であった清和政策研究会入りを選択した。例えば、2006年2月2日付けの朝日記事では、「新人議員82人の中で44%の36人がすでに派閥入りしている」と紹介されている(「(06自民総裁選 新人議員の行方:上)『83会』不協和音」『朝日新聞』2006年2月2日朝刊)。

 当時の各派閥の勢力は、第1派閥である森派(清和政策研究会)の87人のうち、14人が新人議員で占めた(同上)。第2派閥となった津島派(平成研究会)では72人のうち、新人議員が3人にすぎない(同上)。清和政策研究会からは、安倍晋三、福田康夫と総理・総裁を輩出した。

 とはいえ、派閥でしか担えない機能も残っていた。郵政選挙後、当時の「伊吹派の島村宣伸・前農相は『新人は役所に行くのにも、誰を訪ねていいか分からない。そんな時に先輩議員が紹介できる』と指摘」している(「最大勢力は“小泉派” 自民、無派閥新人60人 『囲い込み』批判も」『読売新聞』2005年9月24日朝刊)。新人議員が派閥入りした理由も、「『陳情の受け方や人脈作りは党の研修だけではわからない』『政局の動向は無派閥ではだれも教えてくれない』」といったものが挙げられた(「小泉チルドレンどう動く 自民新人議員83人」『朝日新聞』2005年12月21日朝刊)。

 さらに、小泉政権下であっても、「主に若手が就く副大臣・政務官や党の部会長などのポストは、派閥の推薦に基づいて行われてい」た(「脱派閥、引き金なるか 自民新人議員、党主導で教育 今日から研修会」『朝日新聞』2005年9月20日夕刊)。小泉以前の自民党システムも、残存していた。

民主党も直面した「新人議員の大量当選」

 「新人議員の大量当選」にどう対応するかという課題は、2009年に政権を獲得した民主党(308議席)も抱えた。筆者は、民主党政権で問題となった党内の一体性やガバナンスについては、平成以降に常態化した連立政権下での与党間関係をどう構築するかという点だけでなく、大勢の新人議員とどう向き合うかという点も密接に絡み合うと考えている。ちなみに、09年衆院選で初当選した民主党の議員は143人。民主党内の衆議院議員の46.43%を占めた。

 小泉時代、武部勤幹事長など党執行部が実務を担って新人議員研修会が展開されたが、発案者であった小泉総理・総裁自身も関与した。他方、民主党での新人議員研修会については、管見の限り、鳩山由紀夫総理・代表が積極的に関与した形跡が見当たらない。なぜなのか。

 政権発足(2009年9月16日)直前の9月5日、小沢一郎・衆議院議員は、鳩山代表との会談内容を次のように明らかにした(「(政権交代 鳩山内閣発足へ)小鳩分担、滑り出す 屋台骨、大物ずらり」『朝日新聞』2009年9月6日朝刊)。

 政府のことに関しては「私がやります」と。党務に関しては「幹事長にしっかりやっていただきたい」と申し上げました。

 内閣(鳩山)と党(小沢)の「役割分担」が明確にされた。役割分担を明確化することは、省庁の「分担管理の原則」の原則や、三権分立における行政権の「控除説」のように、当該セクションが他のセクションへ積極的に「関与」することを防ぐ意味合いも持つ。実際、政権発足早々、次の変化が報じられた(「『党務は小沢氏』鮮明 陳情処理・新人教育に課題 鳩山氏不在、初の民主党役員会」『朝日新聞』2009年10月14日)。

 小沢一郎幹事長になって初の民主党役員会が13日開かれた。同党は「政府・与党の一元化」をめざしてきたが、鳩山由紀夫党代表(首相)が「政策は政府、選挙と国会運営は党」と仕切り、政府・与党の「二層構想」がくっきりしてきた。

 鳩山代表もはじめ政府入りした議員は党から切り離された。党所属議員のうち、政府内に約60人が入り、政府外に約360人が残った。通常、政府へは当選回数を重ねた議員らが入るため、党内に残った新人議員の割合は高かった。内閣は政策決定、法案提出を、党は国会運営、選挙対策の役割を担った(「『党務は小沢氏』鮮明 陳情処理・新人教育に課題 鳩山氏不在、初の民主党役員会」『朝日新聞』2009年10月14日)。

 問題は、この大勢の新人議員に小沢幹事長がどう対応したのかであった。彼らを管理、掌握することは、小沢幹事長の党内権力の基盤強化につながる。他方、もし新人議員が集団としてまとまれば、彼らが党内議論を大きく左右する危険性も秘めていた。いずれも、自民党の2006年総裁選と同様、「数は力」である。

拡大国会の正門が開門し、一番乗りする民主党の新人議員たち=2009年9月16日

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筆者

岡野裕元

岡野裕元(おかの・ひろもと) 一般財団法人行政管理研究センター研究員

1989年千葉県佐倉市出身。学習院大学法学部卒業。学習院大学大学院政治学研究科政治学専攻博士後期課程修了、博士(政治学)。現在、一般財団法人行政管理研究センター研究員のほか、報道番組の司会者の政治アドバイザーも務める。元青山学院大学文学部・学習院大学法学部非常勤講師。専門は、地方政治、政治学。著書に、『都道府県議会選挙の研究』(成文堂)、『官邸主導と自民党政治――小泉政権の史的検証』(共著、吉田書店)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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