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普通の女性が議員になる時~疑問に声をあげる勇気を持つ 背中を押す人の存在も

「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【5】

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

「凄腕ですね、どんな手を使ったんですか」

 参院選公示の前夜、順位が委員会で決まることになっていたので、私の支持者10人くらいが、私の宿舎の部屋に待機していた。本来なら、翌朝発表される順位は外に漏れないはずだが、夜12時近くになって、さる筋から8位に決まったとの報告が入った。

 誰もががっかりし、「細川を馬鹿にしている」「これは円さんの問題じゃない」と怒り、「比例なんか降りてしまえ」「東京選挙区から無所属で出るぞ」「細川代表に電話だ」と息巻く人も。電話をするには遅すぎる時間なので、ケータイではなく自宅に恐る恐る掛けてみると、娘さんが出た。薬師寺の高田好胤さんが亡くなられ、お通夜に行って今帰ったが、疲れてもう休んでいる、とのこと。一晩考えてみようと、会合はお開きになった。

 翌朝8時前、畑英次郎さんから電話が入った。円さん、3位になりました、という。

 えっ、3位? そうです。小宮山さんが1位で申し訳ないが、3位でも当選はできますから。

 すぐさま、細川さんに電話を入れた。昨夜は8位だと言われたのに、なぜか3位で、と言うと、円さん、果報は寝て待てというでしょ、と細川さんはとてもご機嫌だった。

 そこへ、高木剛ゼンセン会長(後の連合会長)から電話。「円さん、しばらく国会に行かない方がいいよ。嫉妬の炎が渦巻いているからね」と言う。

 忠告どおり、国会にはいかなかったが、この日は選挙戦の初日である。新宿に党代表や候補者があつまり、私も候補者として、第一声を発することになっていた。15分前に着くと、真っ先に鳩山由紀夫さんが、「円さん、良かったですね、おめでとうございます」と優しく挨拶してくれた。街宣車の屋根にあがると鳩山邦夫さんがいて、「あなた、凄腕ですね、どんな手を使ったんですか」。

 この第18回参院選で民主党は27議席を得て、現有議席が47となった。自民党は17議席も減らし、橋本龍太郎総理が責任をとって退陣。小渕恵三総理が後を継いだ。

拡大参院選敗北の責任をとって自民党総裁(首相)を辞任した橋本龍太郎氏の後任の総裁に選出された小渕恵三氏=1998年7月24日、東京都千代田区の自民党本部

地方から参加が増えた「政治スクール」

 この頃、「女性のための政治スクール」は6期目を迎えていた。

 新進党の時と違って、応募者も増えた(このあたりの経緯については、前回「新進党は男の政党? 苦難の政治スクール 政治へのワクワク感薄れ細川さんも引退」で触れた)。特に地方から参加してくれる人が多かった。地方にいるキーマンが、スクールで勉強しろと、女性たちに勧めてくれたのも大きかった。

 前回に紹介した、岐阜大垣の医師で、新進党で衆院選に落ちたものの、民主党の総支部長になっていた小嶋昭次郎さんもキーマンの一人だった。

 まずは、既に社会党の県議だった不破照子さんに、もっと知識を得たいなら、女性スクールに行ったほうがいいと勧め、彼女の後継者にと考えた小嶋さんの秘書の野村美穂さんと一緒に、スクールに送り込んでくれた。さらに、市議候補として、粥川加奈子さんにもスクールの門を叩かせる。

 結局、大垣から、4人ものスクール生が東京まで通うことになった。

 今、野村さんは、不破さんが引退した後の岐阜県議となり、粥川さんは大垣市議として活躍している。二人とも国民民主党の所属だ。小嶋さんを師と仰いで教えを乞い、「小嶋さんは私たちのお父さん、そのお父さんが尊敬する円さんは私たちのおばあちゃんです」と街頭演説で語る。

10年以上も通う粥川加奈子さん

拡大補助金申請のお手伝いのために危険な空き家を視察する粥川加奈子さん
 10年以上、スクールに通う粥川加奈子さんは、たぶんスクール生の中でも、一番長く通っている生徒だ。現職の市議になってからも、来ている。

 地方にいてはめったに聞けない、会えない講師の話が聞ける、たとえば、緒方貞子さん、世界銀行副総裁の西水美恵子さん、赤松良子さんなどの話はとても参考になったと言う。同じような問題意識を持つ人たちと話すとモチベーションがあがるし、スクール生から学ぶことも多いそうだ。

 政治の場面では決断をせまられることが多いが、そういう時の参考にもなると言う。ニュージーランドや韓国の研修旅行にも一緒に行った。

 粥川さんが政治の世界に入ったきっかけは、夫の友人が市議選に出るので手伝ってくれと言われたことだった。ウグイス嬢として、マイクを握るのは楽しかった。市長選も手伝い、女性の弁士が足りない時は応援演説までした。それが、小嶋昭次郎さんの目にとまり、出馬するはずだったところ、残念ながら死去した女性市議がいて、その後継として出ないかと誘われた。

 「夫がいやがると思ったら、頑張れと言うのよね」

 粥川さんが地域団体やNPO、PTAなどさまざまな活動をしていて、行政に言いたいことが山ほどあるのを知っていた夫は、市議になって変えればいいじやないか、と勧めた。その選挙では落選したものの、すぐさまスクールに登録。毎月上京して、本気で勉学に励んだ。

 2007年の統一地方選で民主党公認で出馬し当選。現在4期目を務めている。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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