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イーロン・マスクのツイッター買収はワシントン・ポストの買収と何が違うのか

私たちを取り巻くメディア環境と民主政治システム

水谷瑛嗣郎 関西大学社会学部准教授

イーロン・マスク氏によるツイッター買収劇

 今年4月、SNSをめぐる大きなニュースが、海の向こうからもたらされました。Forbes誌の長者番付でトップを走るイーロン・マスク氏が、約440億ドル(日本円にして約5.6兆円)でTwitter社を買収すると発表したのです。

 その後、この買収騒動は二転三転し、Twitterのボットの割合をめぐってTwitterとマスク氏が攻防を繰り広げ、ついには買収中止までもほのめかされています。しかしこの一連の騒動は、私たち日本に住む人々にとって、遠い海の向こう側で起きた企業買収劇で終わらせることのできない意味を持っています。私たちは、このTwitter買収をめぐる騒動をきっかけにして、何について考えなければいけないのでしょうか。

ツイッターに「依存」する私たち

 そもそも、私たちにとってTwitterとはどのような存在なのでしょうか。30代の筆者は、Facebookを利用しているのですが、学生たちにどのSNSを使っているかと聞くと、むしろTwitterをよく使っている印象があります。これはデータでも裏付けられています。ある調査(*1)によれば、日本のTwitter利用者は、アメリカに次いで2位の位置づけにあるそうです。さらに総務省情報通信政策研究所の調査(*2)では、Twitterは、ソーシャルメディアの中でも、特に10代や20代の利用率が高いことが分かっています。

AppleZoomZoom/shutterstock.com

 加えて、Twitterは、情報の収集や検索のためのツールとしても重要な位置を占めつつあります。総務省の平成30年版情報通信白書によると、Twitterをはじめとする各ソーシャルメディアについて、「『ほとんど情報発信や発言せず、他人の書き込みや発言等の閲覧しか行わない』と回答する利用者の割合が、書き込みなどを行う利用者よりも多い」という結果が示されています(*3)

 また近年の若年層では、情報検索をGoogleで行う(「ググる」)よりも、Twitterのハッシュタグを利用する(「タグる」)ことが特徴的になりつつあるとの指摘も見られます(*4)

 さらにロイター研究所の最新レポート(*5)によれば、日本においてオンライン・ニュースを収集するために用いられるソーシャルメディアは、1位がYouTube(22%)で、Twitter(18%)は2位につけています(3位は16%でLINEです)。ちなみにアメリカでは、1位がFacebook(28%)、2位がYouTube(19%)、3位がTwitter(11%)となっています。

 こうしてみると、私たちはTwitterというプラットフォームに相当程度「依存」しつつある、ということがわかります。

SNS企業の「公共性」 

 それでは、SNSについて、筆者の専門である憲法やメディア法の分野からはどのように評価できるでしょうか。アメリカの連邦最高裁は、ある判決で、TwitterをはじめとするSNSを「現代のパブリックスクエア」と評し、そうした「場」へのアクセスを政府が法律などで不当に制限することは表現の自由(修正1条)に反するとしています(*6)

 かたや日本の最高裁はというと、前科情報に関するツイートの削除請求をめぐる直近の判決で、Twitterの機能を「利用者に対し、情報発信の場やツイートの中から必要な情報を入手する手段を提供するなどしている」と位置付けています(*7)。まさにSNSはただの私企業という存在を超えて、報道機関のように、一種の「公共性」をもつものと評価されていると言えそうです。

Rawpixel.com/shutterstock.con

 これらSNSを適切に駆使すれば、情報過多のこの時代において、自分の意見をより多くの人々に向けて発信したり、必要な情報を入手したりすることが可能となっています。これは、マスメディアがメディア環境を集中的に支配していた時代からすれば、考えられないメリットです。

 先述したSNSの利用形態も加味すれば、少なくとも私たちの社会を運営するための「民主政治システム」にとって欠かすことのできない機能を果たしているという意味での「公共性」をSNSがもっていることは否定できません。

「新たな統治者」としてのプラットフォーム

 ただし、SNSは右から発信された情報を単に左に流すだけの「導管」ではありません。SNSのアーキテクチャ(またはコード)は、私たちの情報発信・受領のあり方に大きな影響を及ぼします。SNSのフィードに表示される情報は、事業者が設計したアルゴリズムによって優先順位が付けられています。

 加えて、ユーザーの投稿は、事業者が定めたポリシーに照らして、時に削除されたり、警告スタンプがつけられたり、表示の優先順位が下げられたりすることがあります(こうした作業は「コンテンツ・モデレーション」と呼ばれています)。

 先ほど指摘したTwitterへの依存度を踏まえるならば、私たちのオンライン上の表現活動の大半を管理しているTwitter社の存在は、もはや「政府」に近いものがあります。もちろん、SNS企業には法律をつくる議会も、違法な表現を取り締まる警察もありません。その代わりに、SNS企業はアーキテクチャをデザインし、ポリシーを策定し、人間のコンテンツ・モデレーターやAIによって違反者へのルール執行を行うなど、まるで一種の官僚機構のような様相を呈しています。

 アメリカの法学者ケイト・クロニックは、こうしたプラットフォーム事業者の姿を捉えて、「新たな統治者(The New Governors)」と評しています。これら事業者は、私企業である(=つまり、本質的に政府ではない)にもかかわらず、コンテンツ・モデレーションのためのルールの形成や執行プロセスを有し、自社の「場」を管理するための高度な統治システムを備えているというのです。

 そして、この統治システムによって、私たちのオンライン体験が巧妙に創り上げられていることを考えるなら、その仕組みを創り変えることで、当然ながら私たちのオンライン体験を大きく変化させることも可能になります。

 この点、マスク氏は以前から「言論の自由絶対主義」を名乗ってきましたし、Twitterのモデレーションに不満を漏らしてきたことが指摘されています。買収に際しても言論の自由の実現のためである、とほのめかしています(*8)

 そうした方針から、マスク氏が、現在のところTwitterで行われているモデレーションを緩める措置をとる可能性はあるでしょう。現に、彼は永久凍結されているトランプ前大統領のアカウントを復活させる意向(*9)を示しています(もっともトランプ前大統領は「トゥルース・ソーシャル」という独自のSNSを作っているので、Twitterに復帰するかは定かではありませんが)。

 このように、マスク氏が買収をほのめかすTwitter社とは、ただの私企業に留まらない、民主政システムにとって非常に重要な表現環境を左右することのできる存在なのです。

新聞社の買収とは何が違うのか?

 ここまでお読みいただいた読者の皆さんの中には次のような疑問を持つ方もおられるのではないかと思います。確かにTwitterという場は、私たちの社会の民主政システムや自由な表現活動において欠かせない存在と言えるかもしれないが、同じく民主政システムにとって重要な存在と考えられるマスメディア企業が買収される場合と何が違うのか、と。

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