山下裕貴(やましたひろたか) 元陸将、千葉科学大学客員教授
1956年宮崎県生まれ。1979年陸上自衛隊入隊、自衛隊沖縄地方協力本部長、東部方面総監部幕僚長、第3師団長、陸上幕僚副長、中部方面総監などを歴任し2015年に退官。現在は千葉科学大学客員教授、日本文理大学客員教授。著書に『オペレーション雷撃』(文藝春秋)など。アメリカ合衆国勲功勲章・功績勲章を受章。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
憲法に則った抑止を確実にする能動的防衛に転じよ
2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻を開始し約4カ月が経過した。現在、予想を超えるウクライナ軍の抵抗に遭遇し、東部地区において両軍は激しい消耗戦に陥っている。この間、ウクライナ市民に多くの犠牲者を出し、戦場となった地域の街は破壊され、その有り様は惨憺たるものである。
ウクライナは戦前に主権宣言で(1990年7月16日最高会議議決)「将来において軍事ブロックに属さない中立国となり、核兵器を使用せず、生産せず、保有しないという非核三原則を堅持する国家」となることを明らかにするとともに、軍事ドクトリン(93年10月19日発効、2004年6月改訂)において、ウクライナ軍の主たる任務を国家防衛と規定していた=注1。
軍事ドクトリンにおいて軍の行動を防衛に限定し、いわゆる「専守防衛」を基本とし、非核三原則なども防衛政策としていたが、これらの政策では戦争は防げなかった。
わが国の防衛政策の基本もウクライナと同じ「専守防衛」や「非核三原則」である。年末には外交・安全保障政策の骨幹となる戦略3文書の改定もひかえており、今回は「専守防衛」について考えてみたい。
令和3(2021)年度版防衛白書において、「専守防衛」とは憲法と自衛権の項で『わが国は、憲法のもと専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきている』としている=注2。
また同じく、基本政策の項で『専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう』と規定している=注2。
「専守防衛」という言葉が初めて使われたのは、昭和30年の第22回国会衆議院内閣委員会において、杉原荒太防衛庁長官が田原春次委員の「防衛目標は何か」の質問に対し、「わが国の今の防衛の建前として、法律上からも非常にはっきりしています。(中略)あくまで侵略に対して守ることで考えている。言葉は少し固苦しいかもしれないが、専守防衛、もっぱら守る。こういう考え方である」との答弁である=注4。
その後、昭和45(1970)年に「防衛白書」が初刊され正式に用語として記載され、昭和56(1981)年刊「防衛白書」において、受動的な防衛戦略の姿勢として記載された。
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