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内なるエネルギーを爆発させた女性たち~セクハラにめげずに政治を変える

「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【6】

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

30代の大学生、命を守るために市議に

 平神さんと知り合ったのは1996年の夏。4期目に入った「女性のための政治スクール」に、鹿児島から参加したのがきっかけだ。

 初当選後すぐ、「鹿児島の女性議員を100人にする会」を立ち上げるなど、目立つ存在だった平神さんが市議に挑戦したのは大学生の時だった。とはいえ20代ではない。5歳と2歳の子どもがいる30代。社会人入試で大学生になっていたのだ。

 以前は高校の看護学科で教師をしていた。社会福祉や政治の勉強をしたいと大学に入ったが、卒業後の進路に困った。教師には戻れない。さて、どうするか。

 考えた末に出した結論は、市議選に挑戦しよう、だった。女性の声を政治の場に届けようと思った。

 知名度も地盤も、もちろん資金もない。できるだけ多くの人に会うしかないと思い定めた。2年生の時、2年後の春の統一地方選に出ると決意し、若い学生たちと後援会を作って次から次に人と会った。この町のすみやすさは? 子育てしやすい? 看護や介護が必要な時は? 議員って勉強してないと思わない? なぜ投票率が低いと思う? 2年間に2000人に会った。

拡大選挙カーの前で手を振る平神純子さん

 いよいよという時、妊娠が分かる。1995年春の選挙時は臨月だった。2年かけて2000人にと会った地道な努力、「君のような人が出るべきだ」という夫の応援もあり、見事に当選した。

 「臨月で選挙」と新聞に載ったのが当選にプラスしたと彼女は笑うが、妊娠の計画もできない人に市政は任せられないと非難した女性もいたそうだ。

 市町村合併の影響もあり、平神さんはその後、2度落選した。看護師として働いていたが、2013年に復活。看護師としても市議としても、「命を守ることが自らの使命だ」と思う。そして、それを使命だと思う女性議員を増やしたい、とも。

 「鹿児島の女性議員を100人にする会」が目ざすの女性議員は現在80人。あと一踏ん張りですねと言うと、「いえいえ、あと20人が難しい」。合併で議員定数が減り、ここまでやっと戻ったが、島嶼部は人々の移動が少なく、保守的な考えが強く、女性が出るのが難しいらしい。

 でも、平神さんはめげない。「最近は30代、40代の候補者が増えてきて、たのもしい」と、元気いっぱいだ。

拡大平神さんは鹿児島で女性議員を100人にしたいと、勉強会を開いている

法務委員会の野党筆頭理事として

 1997年12月に新進党が解党。次々と新党ができ、98年4月に民主党に収斂(しゅうれん)していった経緯は第4話「新進党は男の政党? 苦難の政治スクール 政治へのワクワク感薄れ細川さんも引退」で書いた通りだ。

 翌99年、20世紀最後の統一地方選でも、スクール生が多く出馬した。しかし、私はほとんど選挙の応援に行けなかった。というのも、参議院議員の2期目で法務委員会の野党筆頭理事になっていたからだ。当時、法務委員会は通常国会でいくつも重要法案を抱えていた。

 児童買春児童ポルノ禁止法、指紋押捺改正法案、そして、盗聴法である。盗聴法までは、公明党と協力して反対の論戦をはっていたが、公明党は自民党と組んで与党になったから、こちらは多勢に無勢、どんなに対策を講じても、与党は盗聴法成立を迫ってくる。衆議院の法務委員会はなす術もなく強行採決され、参議院にまわってきて、法務委員会の野党筆頭理事の私にすべてがかかっていた。

 私は、委員会前の理事懇談会で、法案審議の時間をできるだけ確保しようとしたが、それだけではあっさりと成立させられてしまうのは目に見えている。

 しかし、党本部は頑張れと言うだけ。本気で阻止したいなら、民主党をあげて、盗聴法阻止の運動本部を立ち上げてほしいと、鳩山由紀夫さん、菅直人さんに直談判した。その運動本部長として、他の野党、市民の人たち、学識者の応援も得て、国会や星稜会館などで毎夕、盗聴法阻止の会を開いた。

 99年の通常国会は2カ月も延長され、法務委員会の理事懇談会も1日に5回も6回も開くなど、明らかに異常な日々だった。


筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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