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つくづく怖い参院選 歴史から見えるその本質~戦後日本政治を決めた三つの選挙

実績評価という本来の役割を越える決定力。令和4年の参院選ははたして……

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

1956年参院選~鳩山一郎政権

 まずは1956年の参院選から見てみる。

自民、社会の勢力比は現状維持

 朝日新聞の縮刷版で7月8日投票の参院選の結果を報じる紙面を確認すると、開票作業が1日ですんでいないことに気付く。初めに地方区の半数、次にその全体、最後に全国区の選挙結果が判明する。刻々と全体情勢が見極められてゆくあたりがかえってリアルだ。見出しは以下の通り。

「地方区の半数確定 自社の分野、余り動かず」「緑風の不振目立つ 新顔進出 無所属はふえる」「全国区開票にかかる 憲法改正をめぐる争い」=7月9日朝刊

「地方区で社会党六名増加 自民、三議席減る 緑風は当選者なし 75議員全部判明」=9日夕刊

「革新派〝三分の一〟すれすれ」「参院の政党化強まる」「全国区 官僚、労組出身が進出」=10日朝刊

 一読して、
①自民、社会両党の勢力比はほぼ現状維持で、鳩山政権の存続は揺らがなかった、
②保守系無所属議員が集まり戦後の国会で存在感を示してきた緑風会が惨敗した、
③参院の政党化が進み、自民党の場合は官僚、社会党の場合は労組といった人材供給源のありかが鮮明になった、
④革新派、つまり護憲派が改憲阻止に必要な3分の1を超える勢力を得た、
ことがわかる。

 ただ、この参院選が持つ「決定力」の本当の意義深さは、当時の政治状況を踏まえてみなければ分からない。

 保守と左派・中道、あるいは保守同士で、政権交代を含めて目まぐるしく政権が移り変わり、政党が離合集散を重ねた戦後の混乱期の直後である。自民党の結党自体、保守勢力の分裂と国会運営の行き詰まり、社会党の統一に危機感を募らせた結果の対応策であり、それまでのように一過性のもので終わる可能性もあったろう。社会党が政権奪取に向けた橋頭堡(きょうとうほ)を築けるか否かも含め、56年参院選は「二大政党」にとって初の試金石となったのだ。

決定づけられた“二大潮流”

 しかも、憲法改正を正面から唱える首相が初めて審判を受けた国政選挙でもあった。鳩山首相は、軽武装・対米協調路線に立った吉田茂前首相に対抗し、改憲や日ソ交渉に強い意欲を示していたのだ。

拡大参院選の応援のため渋谷駅前でオープンカーから演説する鳩山一郎首相。「日本はいま外交、内政両面で重大な時期に立っている。自由と独立に害のあるような占領中の諸制度を改めてゆきたい」と語った=1956年7月3日、東京都渋谷区の渋谷駅前

 参院選前の「激突国会」の実情は「昭和史講義【戦後篇】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書)の第15講「鳩山一郎内閣」(武田知己・大東文化大教授)に詳しい。「憲法改正論者であった鳩山は、日本自身は軍隊を持つべきだと論じて譲らなかった」うえ、「日本は『他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ』ると主張するなど」「たえざる与野党対立の種を撒き続けた」という。

 さらに、「新教育委員会法案や小選挙区法案、あるいは前年に廃案となった憲法調査会法案や国防会議設置法案など一連の重要法案を、一気に国会で押し切ろうとした」結果、「鳩山内閣は戦前の思考そのままの保守反動内閣だとの批判が本格化」したとある。

 だが、参院選の結果は、鳩山政権の存続だけでなく、後に続く“二大潮流”を決定づけることとなった。武田教授は「両院ともに自民党が目指した憲法改正の発議は当分不可能となった」「二大政党下初の国会は政府自民党に不利な結果を生んだと総括されよう」としつつ、「やや強引に解釈すれば、この時、日本国民は自民党に政権は委ねるものの、憲法改正は望まないという信託を下したとも解釈できる」と指摘する。

 強硬で拙速な改憲論は国民に警戒心を抱かせる。だが、護憲論だけでは政権交代を生む決定力は生じない。その二つが歴史的な教訓になったということか。

 ただ、法案修正などで是々非々路線の成果を挙げてきた緑風会が存在感を減じたことにより、国会の「緩衝地帯」は消えた。「官僚組織対労働組合」といった下部構造を含め、「自社対決」の祖型が定まった選挙でもあった。それは、岸信介政権下で大衆運動を巻き込んだ度重なる「激突」を生んでゆく。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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