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参院選は難しく、しかも重要だ~結果の見えたつまらない選挙と言っている場合ではない

政治激動の予兆が垣間見えた平成の3つの参院選から考える

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

「敗北」と判定できないからこそ……

 だが、改めて振り返れば「そうじゃない」方の参院選にも、後に判明する政権の弱点なり政治が激動する予兆なりが既に垣間見えていたことに気付かされる。

 指標を全て満たす完全な「敗北」と判定出来なくとも、いや、だからこそ、有権者が示した「変化」への意志を汲み取ることが大切になるのかもしれない。

拡大Ned Snowman/shutterstock.com

政党や党首らの運命を暗転させる芽を生んだ1995年

 例えば、1995(平成7)年の参院選を思い出してみよう。前年に非自民連立政権が倒れ、自民党が社会党、新党さきがけと共に樹立した村山富市・自社さ連立政権が初めて国政選挙の審判を受けた選挙である。

 結果は、一面の見出しにある通り「新進倍増、自社は不振」で、野党・新進党の躍進が際立った。だが一方で「与党が改選過半数、首相続投」でもあり、さらに「投票率 国政選挙最低の44%」でもあった。関連記事には「社党 過去最低の16」「無党派層の棄権目立つ」といった見出しも並ぶ。

拡大朝日新聞1995年7月24日朝刊1面

 勝ち負けの判定に限って言えば、「与党敗北」でも「新進勝利」でもない。判定基準①の改選議席の評価でも、新進党が倍増したとはいえ、あくまで過半数を制したのは与党側だった。②の参院の議席全体でも、与党は辛うじて過半数を維持した。自民党は③の前回3年前との比較でも大きく議席を減らしてはいたのだが、政権の存亡には直結しないとの観点から「不振」や「倍増」といった評価にとどめたのだろう。

 だが、変化の兆しはあり、党首や政党の運命をも暗転させたのである。

 兆しのひとつは無党派層の既成政党離れであり、自社両党がその逆風を正面から受けた形だった。実は95年春には東京と大阪の知事選で青島幸男、横山ノック両氏が当選する「無党派の乱」が起きており、その流れが参院選でも継続した。

浮上したが潰えた「首相禅譲」

 参院選を契機に社会党の村山氏から自民党総裁で副総裁・外相だった河野洋平氏に「首相禅譲」を行う案が浮上したが、参院選の「不振」を受けて自民党内で反発が強まり、それも潰えた。河野氏は再選を賭けた総裁選で出馬断念に追い込まれ、首相になれなかった。

 大敗した社会党は村山首相の辞任後に社民党へと党名を変更し、橋本龍太郎政権下で迎えた次の98年参院選の直前に連立から離脱する。だが、党勢は回復せず、解党した新進党を含む野党再編の荒波の中で主役の座を民主党に譲った。

 リベラル色の強い「自社さ」体制から二大政党が政権を競う体制へと転換する分岐点でもあった。それらの変化と暗転の芽は、95年の参院選で生じていたと言えるだろう。

劇場型政治では勝てない政策課題が見えていた2004年

 次に取り上げるのは2004(平成16)年の参院選だ。自民党総裁選での鮮やかな逆転勝利の勢いのまま、前回01年参院選を制した小泉純一郎首相が二度目の実績評価の審判を受けた選挙である。

 結果は、獲得議席で自民49に対して野党・民主50であり、見出しも「自民敗北 改選数割る」「民主躍進、自民上回る」だった。だが参院の議席全体を見れば「与党なお過半数」であって「首相は続投明言」となる。ここでも四つの指標の全てを満たす完全な「敗北」ではなかったということだろう。

拡大朝日新聞2004年7月12日朝刊1面

 ここで見逃せないのは「年金・イラクが打撃」との見出しである。年金一元化に向けた年金制度改革法や、自衛隊のイラク派遣を巡る特措法を採決強行によって成立させた政権の手法が、逆風を呼んだという指摘である。

4回の国政選挙のうち2回は勝てていない小泉首相

 5年半に及んだ小泉純一郎政権は、衆参で二度ずつ、都合4回の国政選挙を闘った。ともすれば、最初と最後の鮮やかな勝利の印象が強い。01年参院選と、郵政民営化を単一争点にして衆院解散を断行した05年衆院選である。

 確かに、「小泉改革」を拒む「抵抗勢力」を仮想敵にして世論を喚起する「小泉劇場型政治」が成功した例ではあったが、その間の衆参選挙は二度とも勝てていなかったのだ。03年衆院選は自民党の議席減と民主党の躍進が際立ち、04年参院選は前述の通りである。

 内政と外交・安全保障の両面で政策に対する不満が高まり、政権の驕(おご)りへの反発が強まれば、劇場型政治では覆い隠せない弱点があらわになるということだったろう。衆参の多数派を受け継いだ安倍晋三首相が続く07年参院選で惨敗した理由の一つは、まさに「消えた年金」問題を巡る政権の混乱であった。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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