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コロナ禍が政治・社会に与えた影響~「耳を傾け過ぎる政治」にどう対峙するか

不公正と説明不足の事態をどう超克するか。コロナの経験を理性的に活かす道はあるか

西田 亮介 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授

 参院選の投開票日(7月10日)が近づいています。今回の選挙で考えるべきテーマのひとつに、新型コロナ感染症があります。感染対策と経済の回復をいかに両立させるかは、今の日本が抱える重要な課題。選挙戦を通じて各党の論戦は低調でしたが、ここにきて感染者が再び増えつつあります。「論座」の過去記事をあらためて掲載します。(論座編集部、オリジナル記事は2021年12月31日公開)
◆再掲にあたっての筆者(西田亮介さん)の一言

 本稿で言及する「耳を傾け過ぎる政治」という概念は、生活者利益の現実的な増大よりも、ネットやワイドショーに溢れる「民意」に過剰適応しようとする政治の姿を批判的に取り上げたもので、『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)において安倍政権における二転三転するコロナ対応を分析するにあたって導入したものでした。そのときから2年。また、本稿を書いてから半年が過ぎました。

 本稿執筆時点では、岸田文雄政権の姿と政策はまだベールに包まれたままであり、自民党総裁選と久々の総選挙を経てハネムーン期間でもありました。期待半分、不安半分といったところだったでしょうか。ところが現在に至るまで、「新しい資本主義」も「資産所得倍増」も中身はさっぱり見えてこず、子ども家庭庁も内閣感染症危機管理庁も、新しい行政組織の新設によって「対策している感」を打ち出すものの、中身は参院選後に先送りされています。いったん落ち着いたかに見えたコロナの感染も再び拡大の兆しが見えています。

 そんななか、人々の不安と不安定な「民意」を背景にした「耳を傾け過ぎる政治」はいっそう顕著になっているというのが、今の筆者の見立てです。脊髄反射的反応を生み出す表現が喝采を浴び、ジャーナリズムの批判や権力監視機能の弱体化と人々の既存メディアに対する不信感もそれらを後押しします。しわ寄せは政治と社会の脆弱な部分に向かいがちです。企業社会に対する莫大な給付と、生活困窮者に対する貸付中心の支援はその最たるものかもしれません。

 我々はこうした「耳を傾け過ぎる政治」とどのように対峙(たいじ)していくべきか? 参院選ではそんなことも考えて投票してはどうでしょうか。 

拡大今年一年を振り返り、記者の質問に答える岸田文雄首相=2021年12月28日、首相官邸

 この1年の政治とメディア、社会を振り返るとき、今年もまた、新型コロナ抜きというわけにはいかない。歴代最長政権となった安倍晋三政権の継承を掲げた菅義偉政権の幕引きには、前政権と同様にコロナ禍が大きく影響した。岸田文雄新政権の行く末にも、コロナの動向が影響を与えるであろう。この10年当然視されてきた政治の常識は大きく動こうとしており、そこにはコロナ禍が大きく影を落としている。

新型コロナの影響を受けた衆院選

 9月に菅首相が「コロナの感染拡大防止に専念する」という理由を挙げ、しかし実際には支持率の低迷と当てにしていた派閥からの支持が得られなかったため、自民党総裁選への立候補を断念したのを受け、4人の候補者が立候補(総裁候補の半数を女性が占めたのは初めて)した自民党総裁選を勝ち抜いた岸田新総裁は、大方の予想を裏切り、G20出席を見送って前倒しの衆院選に打って出た。コロナの感染が小休止している間にというのが判断の基にあったのは明らかだ。

 コロナ禍もあって政権が衆議院解散の機会を見つけられないまま、任期満了選挙になだれ込むなか、野党共闘は進化。候補者調整が本格化し、213の選挙区で立憲民主党、共産党など5つの野党による候補者一本化が行われた。小選挙区は全体で289なので、8割強の選挙区で実現した形だ。結果的に、競り負けてはいるものの、接戦区が増加したのは確かである。

 実際、今回の衆院選は投開票日まで勝負の帰趨が見通し難く、メディアの選挙報道にもブレが見られた。新聞・テレビの選挙情勢は、最近では珍しく各社によって差があり、自民党の危機を伝えるメディアもあった。岸田首相が「勝敗ライン」に挙げた「自公の与党で過半数」という“低め”の水準ですら、必ずしも安泰ではないと空気さえ漂った。

 現実には、自民党が底力を見せ、単独で絶対安定多数の議席を獲得したが、安倍政権下の国政選挙では正しく予測していた事前の情勢報道との乖離(かいり)も含めて、政界はもとより、世間でも大きな驚きをもって受け止められた。

 こうした一連の流れを概観するだけでも、コロナ禍とそれに対する不安、不満が、政治の下部構造と過去10年の「常識」に強く影響したとみなせるだろう。

拡大菅首相退任を伝えるニュースが流れるさっぽろ地下街=2021年9月3日夜、札幌市中央区

「耳を傾け過ぎる政治」が表出

 「コロナ禍」とはよく言ったもので、コロナによる危機は、ウィルスの感染拡大にとどまらず、人々の政治・経済的不満や不信、それらに伴う規範のゆらぎなど、少なからず人間的な側面が含まれている。拙著『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』(朝日新聞出版)でも論じたように、社会不安や不満と政治の関係については、古くからファシズム研究やポピュリズム研究などで論じられ、多くの蓄積が認められる。

 たとえば社会学においては、不安は命や身体的危機に由来する「直接的不安」と、明白な脅威に晒(さら)されていないにもかかわらず生じる「間接的不安」とに区別され、不安がアドホックな行動や選択を引き起こすことで、次の不安に連鎖することが指摘されてきた。

 ただ、コロナへの政治の対応を見る限り、こうした人間的な不安に対して十分配慮された気配は乏しい。それどころか政治自らが、アドホックな行動や選択に走ったようにさえ見える。

 コロナ対策の中核をなすはずの新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、「特措法」)が求めた、そして前年に演習を行った政府行動計画は十分に踏襲されず、徐々に政治の「リーダーシップ」が重要視されるようになった。計画とリーダーシップの選択は本来どちらかというものではなく、両者のバランスが重要だ。しかし、コロナにおける「リーダーシップの重要視」は、政府行動計画に予定されておらず、多くの専門家がその効果や必要性、適切性に疑問を示す施策を、必要性や根拠等を十分に国民に説明せずに、場当たり的に実行することに他ならない。

 それらは往々にして、不安や不満に基づくある種まっとうな「国民の声」に耳を傾けるポーズをみせながら、必ずしも国民の利益にならないどころか、往々にして政治的影響力や推進力を調達する「耳を傾け過ぎる政治」の表出である。

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筆者

西田 亮介

西田 亮介(にしだ・りょうすけ) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授

1983年生まれ。慶応義塾大学卒。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。専門は情報社会論と公共政策。著書に『ネット選挙』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)、『マーケティング化する民主主義』(イースト新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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