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ラテンアメリカで左派政権が次々と誕生~根底にあるものは?

バラマキをはじめとする過激な主張よりも必要なこと

花田吉隆 元防衛大学校教授

 6月、コロンビアで左派の大統領が誕生し、10月にはブラジルで左派の大統領返り咲きが噂される。何やら、ラテンアメリカ全体に左傾化の嵐が吹き荒れているかのようだ。しかし、国民は本当に左寄りの路線変更を求めているのだろうか。国民の不満の根底には一体何があるのか。

元左翼ゲリラがコロンビア大統領に

 田舎の教師(ペルー、ペドロ・カスティジョ大統領)、元学生運動の闘士(チリ、ガブリエル・ボリッチ大統領)と続いて、今度は、元左翼ゲリラだ。6月19日、コロンビアで大統領選挙決選投票が行われ、グスタボ・ペトロ氏が実業家ロドルフォ・エルナンデス氏を破り勝利した。もっとも、ペトロ氏は、左翼ゲリラM19のメンバーとして活躍した後、ボゴタ市長や上院議員を務めたから既存の政治に無縁というわけではない。

 8月7日、大統領就任が予定されるペトロ氏は、格差是正、環境保護、石油探査停止、自由貿易協定見直し、富裕層課税強化等を訴えるが、内容はいずれも最左翼の主張そのもの。果たしてこういった政策を本当に実行しようというのか。そうだとすれば、右派支配が続いたコロンビア政治は大きな転換点を迎える。

コロンビア大統領選で決選投票進出を決めたグスタボ・ペトロ氏(中央)=2022年5月29日、ボゴタ、ラファエル・エルナンデス氏撮影

 ただ、ペトロ氏の与党は弱小で15%の議席数しかない。他の左派系政党を糾合するとしても多数派の右派の前にあってはほとんど無力だ。金融政策は中銀を説得しなければならないが、これも至難の業といえる。政府からの独立を標榜する中銀は、ペトロ氏が金利引き上げは経済を失速させかねず慎重であるべきだとしても、これまでのところ馬耳東風の構えを崩してない。ペトロ大統領がどれだけ公約を実現していけるか、今はまだ、未知数といわざるを得ない。

 それにしても、ペルー、チリ、コロンビアと、これらの国々はラテンアメリカでも有数の経済実績を誇る。チリは、長く新自由主義の旗手として群を抜いた存在だったし、コロンビアは、この20年ずっと高い成長を維持してきた。そういう国々で、現政権が軒並み敗退し左派政権にとってかわられるとは一体どういうことか。

ラテンアメリカ各国での暴動

 ラテンアメリカの最大の問題は政治だ。経済がせっかく好成績を上げても、その果実を国民に公平に分配できる政治体制にない。富が一部に遍在し国民全体に均霑(きんてん)しない。近年ラテンアメリカで、デモが暴徒化し社会が騒然とする光景が頻繁に見られる裏にはこういった事情がある。ブラジル(2013,15年)、ベネズエラ(17年、)ニカラグア(18年)、エクアドル、チリ(19年)コロンビア(21年)、ペルー(20,22年)と、政治の不安定化がラテンアメリカを次々に覆う。

ブラジルであった100万人規模の反政府デモ。ルラ大統領の後を継いだルセフ政権に対し、市民が拳を振り上げて抗議した=2015年3月15日、ブラジル・サンパウロ

 もっとも、経済が好調といっても、ラテンアメリカ全体で見れば経済は振るわない。2010年代、ラテンアメリカは「失われた10年」といわれた。世界経済はこの間、年間3.1%の成長を達成したのに、ラテンアメリカは2.2%でしかなかった。人口は経済成長率とほぼ同率で増えたから、一人当たりでいえば実質所得は殆ど上がらなかったことになる。

 2000年代、世界は、ラテンアメリカを含めた新興国の台頭に目を見張った。リーマンショックの時、それまでのG7はもう機能しないとして、新興国を加えたG20こそが世界のリーダー役になるべきとしたが、あの熱気は一体どこへ行ったのだろう。ラテンアメリカに対する期待は、風船が萎むかのように跡形もなく消えてしまった。

ラテンアメリカの「失われた10年」の原因

 思えば、2000年代、ラテンアメリカは資源ブームの渦中にあった。資源価格が軒並み高騰、その恩恵を受けラテンアメリカ全体が大きく沸いた。その前の1980年代、ラテンアメリカは第一次の「失われた10年」だった。債務危機がこの地域を襲い、デフォルトが経済を破綻させた。その失われた時を取り返すかのように2000年代、ラテンアメリカは高成長を謳歌した。有り余る収入が財政を潤し、政府はそれを原資に国民への直接給付を繰り返した。お陰でラテンアメリカの貧困率は大きく改善、中間層が形成され所得格差も縮小に向かうかに見えた。

記者会見するブラジルのルラ大統領=2005年5月17日

 その代表がブラジルだ。ブラジルは世界で名だたる所得格差の国だったが、時のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ(通称ルラ)大統領が貧困層への資金贈与策「ボルサ・ファミリア」をはじめとするバラマキ政策を繰り返した。その結果、貧困は改善、格差は縮小。それもあり、ルラ大統領は2003年の就任から8年もの間、高い支持率を維持した。大統領は連続2期までと決まっている。ルラ大統領は高支持率を維持のまま腹心のジルマ・ルセフ氏にそのポストを譲った。しかし、そのルセフ氏が政権運営に失敗、ルラ前大統領も汚職の嫌疑で収監されてしまった。

 後から振り返れば、ルラ氏の時、世界は資源ブームに沸き、ルセフ氏の時、そのブームが終焉を迎えたということだ。高騰した資源価格を原資にカネをばらまくのはいいが、ブームが去ればバラ撒きは維持不能だ。カネを配らなくなった政権を国民は最早支持しようとしない。

 問題は、

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