元首相の悲劇は日本に何をもたらすのか
2022年07月09日
安倍晋三元首相が銃撃されて死亡したニュースは、私が住むフランスでも衝撃とともに大々的に報道された。国民の関心も高い。米国と異なり、銃撃事件がほぼ皆無の「平和な国・ニッポン」で起きたという意外性に加え、この事件が7月14日の革命記念日の直前に発生したということも、関心の背景にはあるようだ。
というのも、ちょうど20年前の革命記念日、パリで当時のシラク大統領への狙撃未遂事件が発生している。大統領を狙ったライフルの銃弾は外れ、狙撃犯の青年はその場で取り抑えられた。この二つの銃撃事件を見て、日仏両国民の狙撃への反応ぶりや要人警護の違いについて、あらためて考えさせられた。
筆者が安倍元首相の銃撃事件を知ったのは、週刊誌「L’Obs」が8時16分(パリ時間、時差7時間、日本時間の15時16分)に流した電子版でだった。
事件が発生したのは日本時間の11時30分ごろ、パリ時間では未明の4時30分。仏各紙の朝刊はすでに締切後だったので、8日発行の朝刊には「安倍狙撃」は報道されていないが、各紙、各誌は電子版で報じ、国営テレビ「フランス2」をはじめニュース専門局などが2番、3番手で報じた。
国営通信「AFP」やNHKなどの情報をまとめたもので、犯人は海上自衛隊に3年間所属していたらしい山上徹也容疑者(41)で家宅捜査も行われたなどと詳細に報じ、関心の高さを伺わせた。
マクロン大統領も「安倍元首相死去」が報じられた直後の11時30分ごろ、「安倍晋三元首相が犠牲となった唾棄すべき犯罪に多大な衝撃を受けた。偉大な首相だった。安倍氏の家族と近親者に心から哀悼の意を捧げる。フランスは日本人と共にある」とツイッターで哀悼の意を表明した。
夕刊紙『ルモンド』は8日発行の一面でカラー写真入りで報じた。この日の1面トップは、新任のボルヌ首相が施政方針演説で発表した、購買力アップのための「200億ユーロの政府支援金」のニュース。2番手はジョンソン英首相の辞任表明だ。
安倍元首相のニュースは3番手で、「日本・安倍晋三元首相が狙撃の標的」の見出しとともに事件のあらましを報道。安倍氏が倒れている銃撃現場のカラー写真(AP)付きだ。
さらに中面でほぼ全ページを使い、「東京発」のクレジットでフィリップ・メスメール記者が詳細な解説を送稿している。狙撃の状況や参院選前などの背景に加え、銃による暴力事件がほとんど皆無のこの国での、「国民の動揺の激しさ」にも言及している。
締め切りがが安倍氏が亡くなるまえだったので、見出しは「日本・安倍晋三『強度の重体』」だ。大型カラー写真は、緊急医療ヘリが奈良県橿原市の病院の屋上に着陸し、安倍氏が医療団に囲まれて病院内に運ばれているところだ(共同)。
他のメディアもこぞって、この「動揺の激しさ」を報じているが、続いて指摘しているのが、「安倍元首相の警備は十分だったか」という疑問だ。「フランス2」や民営テレビ「TF1」系列のニュース専門局「LCI」などが演説開始時から狙撃されて倒れるまでの映像を何回も流し、安倍氏の傍らにSPはもとより、警備の姿がないこと強調している。
政治家にとって、国民との接触は優先事項のひとつだ。物々しい警備は避けたいに違いない。「民主主義と政治家の重警備は両立しない」と、元国家警察介入班=RAIDのブルーノ・ポマール隊員が「LCI」で指摘していた。
フランスでも最近、3人の大統領が大衆との接触中に被害に遭っている。サルコジは訪問先で待ち構えていた人たちと握手するために近づいたところ、前列にいた男に腕を取られて殴られそうになった。オランドは小麦粉の袋を投げつけられ、頭から足の先まで真っ白になった。マクロンも見物人に握手しようとして近づいたところ、頬を引っ叩(ぱた)かれた。
大統領と見物人の間には腰の高さの柵が設置され、大統領の両脇はSPが固めていても、こうした突発事故は避けられないわけだ。ただ、いずれのケースも、犯人は見物人側にも配備されていた警官らによって、その場で取り押さえられた。
安倍氏の場合、見物人側に警備の警官らが配置されておらず、しかも「バズーカ砲のようだ」(目撃者の証言)とも指摘された、かなり大型の銃(メディアによると二連発式銃)を手にした狙撃犯を見逃している。「安倍氏は十分に警備されていなかった」(ブルーノ・ポマール)と批判されるゆえんだ。
日本の場合、おそらく、現首相、前首相、元首相などのクラス分けによって警備の度合いを決めているのだろう。しかし、自民党最大派閥の長でもあり、影響力もある安倍氏の場合、重要度のランクはかなり上のはずだ。
米映画などでは大統領が狙撃されたら、SPらが身を呈して大統領を警護するシーンがあるが、安倍氏の場合、銃声が響いた際、安倍氏のもとに駆け寄った警官はいたのだろうか。フランスで流れている映像を見る限り、倒れた安倍氏を囲んでいたのは若い女性など選挙キャンペーンのスタッフのように見えた。
それともう一つ、気が付いたのは、シラク大統領(当時)の狙撃未遂事件と安倍元首相の狙撃事件が発生した時の、周囲の見物人の反応の仕方の違いだ。
シラクは今から20年前の2002年7月14日の革命記念日の午前9時ごろ、恒例のシャンゼリゼ大通りでの軍事行進を閲兵すべく、行進に先立って凱旋門から閲兵用のお立ち台があるコンコルド広場にオープンカーで向かおうとした時、約150㍍の離れた場所からライフル銃で狙われた。
幸いなことに銃弾は外れ、狙撃犯のマクシム・ブリュヌリ(25)は周囲の見物人たちに取り抑えられた。彼はリュックを背負い、銃はギターケースに隠して、見物人の間に紛れ込んでいた。
ここで注目したいのが見物人の動きだ。安倍氏の演説を聞こうと集まっていた人は3,400人だったという。日本の各種メディアの報道によると、銃弾は2回発射された。1発目と2発目の間隔は極めて短かったが(朝日新聞の報道によると約3秒)、周囲の人が狙撃犯が1発目を撃った時点で、2発目を撃てなくする何らかのアクションをとることはできなかったのだろうか。
各種メディアの報道や映像によると、銃撃した山上は現場から逃げ出し、追跡した警官に取り押えられて逮捕されている。その時、見物人はどうしていたのだろうか。
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