政権運営のためのOSをつくれず、社会変革への国民の期待に応えられなかった罪は重い
2022年07月14日
令和の政治が抱える課題とそれへの対応を福島伸享(のぶゆき)衆院議員が考える連載「福島伸享の『令和の政治改革』」。4回目のテーマは「民主党政権」です。平成の政治改革が目指した政権交代はなぜ、失敗に終わったのか。福島氏は世間でよく言われる「マニフェスト」が理由ではなく、政策を実現するための政権運営の新しい仕組み、パソコンで言うOSを導入できなかったことが大きかったと言います。どういうことなのでしょうか?(聞き手・構成/論座・吉田貴文)
※連載「福島伸享の『令和の政治改革』」の第1~3回は「こちら」からお読みいただけます。
――2009年に民主党による政権交代が実現。二大政党による政権交代のある政治を目指した平成の政治改革の理想がついに実現しました。
福島 平成のはじめに冷戦が崩壊、イデオロギー対立の時代が終焉しました。と同時に、気候変動や生物多様性など新たな課題が次々と現れ、多様な価値観の中からある価値を選択して政策を大きく転換することが求められる時代になりました。
本来、価値の選択は選挙を通じて主権者たる国民が行うものです。国民が選んだ価値を実現するための政策を、国民から選ばれた正統性を持つ政権が実現する。それを可能にする政治と霞ヶ関の体制を構築することが、平成の政治改革の目的であり、真の政治主導の意味でした。
衆議院に小選挙区制を導入した選挙制度改革も、連載の初回で取り上げた「橋本行革」の目的別の省庁再編も、この目的を実現するためのものです。コツコツと改革を積み重ねた成果が2009年の一つが民主党への政権交代でした。
――世論も盛り上がりました。衆院選の投票率は69%に達し、民主党は308議席を獲得。鳩山由紀夫内閣も70%超の高支持率を記録しました。
福島 郵政解散・総選挙で大勝した小泉純一郎首相が2006年に退陣した後、安倍晋三首相、福田康夫首相と1年の短期政権が続いた。安倍首相のもとで行われた07年参院選では民主党などの野党が勝利し、「衆参ねじれ」の状況も生じた。福田首相の後継の麻生太郎首相は、漢字も読めないなどと揶揄(やゆ)され、自民党政権のダメさ加減が国民の多くに印象づけられました。
そこで、他にいい政党はないかと目を転じると、民主党という政党があった。世襲議員は少なく、名前を知らない議員が多いけれど、みんな若くて優秀で弁舌も爽やか。「政治主導」を掲げて、何かやってくれそうだという雰囲気がありました。
福島 「政治主導」を一言で言うと、あなたたちが選べば、世の中が変わるということです。09年の衆院選で国民は、「投票によって世の中が変わる」、「マニフェストに書かれているピカピカ輝く政策が実現する」という希望を抱いて投票した。だから、投票率も7割近くまで上がったんです。
――09年衆院選で私は期日前投票に行きましたが、会場には長蛇の列ができていました。有権者の熱気を感じたのを覚えています。
福島 選挙は特定の業界団体や宗教団体に締め付けられた人、労働組合に動員された人の票で決まる。選挙で一票入れたって社会は変わらない、とむしろ政治に関心を持つ人が諦めていたのが、09年以前の状況でした。
09年は、もしかしたら、この一票で社会が変わるかもしれないという期待が、もともとは政治に関心を持っていた国民を動かし、それが政権交代につながった。あのときの国民の期待は本物だったと思います。
――05年の総選挙では大敗を喫した民主党ですが、よく挽回できましたね。
福島 確かに05年衆院選で民主党は負けていますが、その前の03年衆院選よりも得票数は増えているんです。私は03年、05年の衆院選で自民党の強い世襲議員と戦って落選しましたが、得票数は77420から86999へと伸びています。
当時、無党派層は自民党ではなくて民主党に投票すると確信していました。世論は新しい政治を求めていた。小泉さんは自民党ぶっ壊してくれるから応援したのであって、自民党を支持したわけではない。2009年に民主党が政権交代は果たし、鳩山由紀夫内閣が発足したのは時代の必然だったと思います。
――この衆院選で福島さんも議席を得たわけですが、政権を間近で見ていてどうでしたか。
福島 民主党政権が失敗したのは、国民に約束した「マニフェスト」を実現できなかったからとよく言われますね。その典型は沖縄の普天間米軍基地の移設問題。マニフェストにこそ書いていませんが、鳩山さんは選挙中、民主党が政権をとったら、普天間基地を「最低でも県外、できれば国外」と発言しましたが、米国を相手にした交渉は難航、迷走した挙げ句、県外移転もままなりませんでした。
2010年には鳩山政権が総辞職して菅直人政権が発足、直後に参院選がありましたが、消費税増税を打ち上げたことで惨敗、「衆参のねじれ」を招きました。11年には東日本大震災が起こり、対応に手間取るなか、内閣支持率が下がって退陣。後継の野田佳彦政権は三党合意で消費税増税を決めたましたが、それに小沢一郎さんに近いグループが反発して離党。12年年末の衆院選で惨敗して民主党政権が終わるというのが一般的に言われている流れです。
民主党系の議員の多くは今でも、民主党政権がうまくいかなったのは、実現できないマニフェストを小沢さんが主導して掲げたこと、「小沢グループ」が離党してばらばらになったとためだと思っているようですが、私はそうではないと思っています。マニフェストは絵空事ではない。基礎年金制度であれ、子ども手当であれ、すべて理屈が通っています。
09年衆院選をマニフェストは絵空事と思って戦った政治家があるとすれば、私は許せません。国民に嘘をついたわけですから。そういう人が現職の政治家だとすれば、即刻、引退しろと言いたいですね。
福島 では、なぜ民主党政権がうまくいかなかったのか。私は、民主党政権がOSの入ってない“パソコン”だったからだと思っています。
――OSの入ってないパソコン、ですか……
福島 OSとはアプリを動かすための土台となるソフトウェア。これがないとアプリがうまく管理・制御できません。たとえて言えば、ウインドウズが入ってないので、ワードやエクセルが起動しないというのが、民主党政権でした。OSは政権運営の仕組み、アプリは政策ですね。
――どうして、OSを入れられなかったのでしょうか。
福島 経産省の先輩でもある松井孝治(参議院議員)さんが当時、官房副長官としてOSをつくる役目を担いました。政治主導確立法案を成立させ、内閣官房の国家戦略室を国家戦略室に格上げして法定化したり、首相補佐官の枠を増やしたりするはずでした。政府の意思決定の仕組みを変えるようとしたわけです。
しかし、政治主導確立法案は成立せず、新しい仕組みは導入されなかった。OSが入ってないから、政策というアプリをいくら入れても実現しなかった。民主党政権の失敗は、政治主導で物事が決める新たな仕組みを、様々な政策を動かす前、とりわけ普天間基地移設のような、外交相手が絡む複雑な案件に取り組む前に、OSをインストールしなかった点にあります。
家を建てるのには、まず基礎工事をしっかりやらなくてはダメです。しかし、その間の2、3カ月間は上の建物は見えません。ただ、国民は建物を早く見たいと思う。そうした世論に応えようとして、基礎をつくる前に柱を建てたり壁の色を選ぼうとしたりしてしまったのが民主党政権の誤りでした。くわえて、民主党という政党の構造にも原因があったと思います。
――政党の構造とは?
福島 民主党は様々な流れの政治家たちがいる寄り合い所帯です。ひとつは新進党やさきがけなど、元々は自民党にいた人たちの流れです。社会党から来た労働組合系の流れもあります。そのほか、日本新党、民主党などの新党に集まってきた松下政経塾出身者などの若い政治家の流れがあります。
なかでも、衆議院に小選挙区比例代表制が導入されて以降、1996年、2000年の選挙において、どちらかと言えば風が吹きやすい都会で当選してきた人が多かった。彼らはまだ若く、社会で組織を動かした経験の乏しい人が少なくありませんでした。
03年の衆院選以降、05年、09年と中央省庁のエース級官僚やビジネスの世界でバリバリ働いていた人たちが、次々と民主党に入ってきました。民主党がまさしく上り調子のときです。そういう人たちには社会経験はありますが、政権ができた際には当選回数の問題もあり、政府には入れなかった。入ったのは、期数の多い96年、00年に当選した議員たちでした。
組織を動かした経験がないそうした議員の中には、組織を動かすにはそのための仕組み、OSが必要だとわかっている人が少なかった。OSをつくる能力にかけて圧倒的にたけていたのは松井さんでしたが、官房副長官になった松井さんは官邸内で足を引っ張られて、改革を進められませんでした。
――OSが欠けていたために民主党政権の看板だった「政治主導」が実現しなかったと。
福島 はい。民主党の人たちは、「政治主導」と「政治家主導」をごっちゃにしていました。多くの民主党の議員が政治主導と考えていたのは、実は政治家主導なんです。当時、テレビで政務官が電卓を叩くシーンが出てきましたが、役人に代わって電卓を叩くのは政治家主導に過ぎない。
政治主導とは何か。別の言葉で言うと、国会主導なんですね。政権をとって、大臣や副大臣、政務官になれば嬉しいかもしれない。でも、国会が決めなければ、法案や予算は通らない。それがこの国の仕組みです。
役所に法律をつくらせている限り、斬新な政策はできません。選挙で勝って与党になり、党が主体となって法律をつくったり、役人がつくった法律を修正したりして、国会で通して政策として実現するのが真の政治主導です。本当の舞台は国会なんです。
言い方を変えると、立法府が法律をつくったうえで、その法律に従って政府が動いているかを監視したり、指導したりするのが、政治家の本来の役割です。憲法第41条で「国会は、国権の最高機関」、「国の唯一の立法機関」と定めている意味は、このことにあるのです。当時の政治主導確立法案にも、あまりこの点は意識されていません。
おそらく小沢一郎さんは、このことをいち早く認識していた。だから、かつては国会答弁に政府委員を立たせるなと言ったわけです。立法府での政府を代表して答弁するのは、政治家である大臣・副大臣・政務官。党側からはその法律をつくった政治家。同じ党の議員でありながら、政府と立法府というそれぞれの立場から、緊張関係をもって議論をするわけです。
福島 実は、政治主導を確立するうえで、国家戦略局や補佐官の増員以上に重要だったのは、国会の改革でした
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