メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

安倍元首相の不条理な死と漂流のとば口に立つ日本政治~歴史に重く刻まれた参院選

「安倍政治」のレガシーを超えてわれわれがつくっていくしかない未来のゆくえは

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

不条理を不条理として捉えられない人間の弱さ

 今回の事件を受けた人々の動揺に随伴する情念は、不条理を不条理そのものとして捉えられない人間の弱さである。

 日本にたびたび表出するこの「因果応報」的言説は、不条理に対するもっとも大衆的な反応なのである。反対に「民主主義に対する挑戦」として積極的に政治的テロ行為に位置づけようとする態度も、不条理に過剰な意味を見出そうとする点で、背中合わせになっている可能性がある。

 ただ、多少なりともそういった文脈を事件の解釈に入れ込むことで、人々が党派の違いを超えて協力できるならば、それはそれで意味ある表現なのかもしれない。

 安倍さんは民主主義の根幹をなす国政選挙の応援演説中だった。衆人環視の中の元総理への発砲が、国家を愚弄する行為にあたることも間違いない。しかし、事実が明らかになる前に、事件の本質が「民主主義に対する挑戦」であると断言することはできない。

拡大自民党本部前には銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の献花台が設置され、長い列ができた=2022年7月11日、東京・永田町

惻隠の情は「我がこと化」ではない

 不条理は、それを経験し飲み込んだ者にしか、なかなかそのままに捉えることはできない。安倍氏が亡くなっても選挙戦を続けるのは、われわれがそれでも生きてゆかねばならないからで、それでも治安を維持して統治していかなければならないからだ。

 安倍さんの不条理な死が、仮に「民主主義の真の意味」を教えてくれたのだとすれば、そんなか弱い民主的精神であってよいのだろうか。ほとんどの場合、選挙は命の危険を感じずに行われている。そもそもあなたは標的になどなっていないし、部外者が命は平等などといって、即座に直近の他の死と比較して相対化しようとするのも暴力である。

 圧倒的な不条理に苦しまないですんできた人は幸いである。そういう人ほど、居心地の悪い現実を前にすると、相手の不幸を相対化しようとしたり、まるで成り替わったかのように「我がこと化」したりしがちである。

 惻隠(そくいん)の情は「我がこと化」ではない。相手の立場に立って苦しみを理解し、思いやるときには、自他のあいだに一線が引かれていなければならない。相手の気持ちなど本当には分からないからである。最後まで届かずとも、相手の立場を慮り、手を差し伸べようとするのが惻隠の情というものだ。

 残念だったのは、同じ対立する政党でも、それを自然に示すことができた志位和夫共産党委員長と、福島社民党党首の言動が正反対であったことだ。

 不条理がひとたび訪れれば、その苦しみを受容して乗り越えた先にしか日常はない。安倍昭恵さんやご家族に日常は戻ってきていないし、それを我がことのように簒奪(さんだつ)するのは暴力的なことだと思う。「民主主義に対する挑戦」というメディアのまとめ方に私が違和感を覚えるのは、そうした理由からだ。

>>>この論考の関連記事

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

三浦瑠麗

三浦瑠麗(みうら・るり) 国際政治学者・山猫総合研究所代表

1980年神奈川県茅ケ崎市生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。専門は国際政治、比較政治。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。著書に『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書)、『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『21世紀の戦争と平和 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)など。政治外交評論のブログ「山猫日記」を主宰。公式メールマガジン、三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」をプレジデント社から発行中。共同通信「報道と読者」委員会第8期、9期委員、読売新聞読書委員。近著に『日本の分断―私たちの民主主義の未来について』(文春新書)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

三浦瑠麗の記事

もっと見る