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共産党100年の歴史にみる「強さ」と「危機」の理由~中北浩爾『日本共産党』によせて(上)

「宮本路線」成功の鍵は

木下ちがや 政治学者

1.政治史のなかの日本共産党

政党の存在感が薄まるなか、有権者とのつながりを保つ2つの党

 政党の存在感がわれわれの日常世界から失われて久しい。政党がたんなる政治家の集まりではなく、無数に張り巡らされた利益集団を包括する政治マシーンとして、あるいは政治的理念にもとづいて結束する社会集団として、政治のみならず社会、経済、文化領域にまで浸透していた時代を知る者はもはや現役世代にはいない。

 ただ束の間とはいえ、近年政党が一般大衆に存在を意識されたのはおそらく2009年の民主党政権交代であろう。その民主党政権の崩壊とともに、国政選挙の投票率は史上最低の5割程度で推移し、政党の社会的存在の希薄化は極まりつつある。

 戦後政治において、政党の存在低下の決定的な節目は1990年代初頭であった。1993年の細川連立政権樹立から社会党の消滅に至る政界再編により、1950年代以来つづいた保革対立の枠組みが崩壊し、激しい政党の離合集散が生じたことで多くの有権者が政党との安定的なつながりを失い、投票率が低下していったからだ。

 ただこうした離合集散の荒波を超え、党名を変えることなく有権者との安定的なつながりをある程度維持してきた政党もある。このうち特定宗教団体が支持基盤である公明党は脇に置くとして、多様な階層の個人、団体を組織し、政治的堡塁を築いてきた結社は自由民主党と日本共産党だけである。事実こんにちにおいても――もちろん悪名も含めて――広く有権者に党名を知られているのがこの両党であることはいうまでもない。

拡大田村智子副委員長(右から2人目)が当選確実となり、花をつける共産党の志位和夫委員長(左)。右は小池晃書記局長=2022年7月11日、東京都渋谷区

自民党は「政治」を、共産党は「運動」を代表してきた

 ただし両党には決定的な違いがある。自由民主党は野合としかいいようがない1955年の結党以来、政権政党であることだけが結束軸の政党である。構成されているメンバーのイデオロギーは相当に多様であり、時代によって変化する支配様式に適応しながら支配政党として存続してきた。したがって自由民主党の歴史はそのまま政治支配の歴史として描かれてきた。

 それに対して日本共産党は科学的社会主義の理論を結束軸とした、単一のイデオロギーにもとづく政党である。構成されているメンバーは理念と実践の一致が求められ、時代によって変化する支配システムに一貫して対抗する政党として存続してきた。したがって日本共産党の歴史は統治権力に対抗する反システム政党の歴史として描かれてきた。

 統治権力に対抗する反システム政党である日本共産党の歴史は、支配的な政治過程を描く「政治史」よりも、支配に対抗する「運動史」のカテゴリーで扱われてきた。膨大にある日本共産党関係の書籍、論文、ルポルタージュが結党当初から1970年代までの社会運動叙述に集中しているのも、議会政党としてよりも反システム運動として歴史に刻まれてきたからである。現代史において自由民主党は「政治」を、日本共産党は「運動」を代表してきたともいえる。

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筆者

木下ちがや

木下ちがや(きのした・ちがや) 政治学者

1971年徳島県生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。著書に『「社会を変えよう」といわれたら」(大月書店)、『ポピュリズムと「民意」の政治学』(大月書店)、『国家と治安』(青土社)、訳書にD.グレーバー『デモクラシー・プロジェクト』(航思社)、N.チョムスキー『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)ほか。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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