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共産党100年の歴史にみる「強さ」と「危機」の理由~中北浩爾『日本共産党』によせて(上)

「宮本路線」成功の鍵は

木下ちがや 政治学者

深化した野党共闘、一気に「政治史」のなかに

 ところが最近になり、このような分類が崩れる状況が生まれている。

 2015年、安保法制反対運動が数十年ぶりの大規模な集会動員を果たした直後、日本共産党は「国民連合政府」構想を発表し、国政選挙で初の選挙協力に乗り出した。いわゆる「野党共闘」路線は国会内での共闘から地域レベルでの野党支持者間の協力にまで深化し、日本共産党は政権をめざす連合勢力の一角を占めるまでになった。著者である中北浩爾氏が日本共産党を「否応なく意識せざるを得なくなった」のもこの野党共闘が契機である(注1)

拡大市民連合との共通政策に合意し、握手する(前列左から)SEALDsの諏訪原健さん、社民・又市征治幹事長、民進・岡田克也代表、共産・志位和夫委員長、生活・小沢一郎代表、安保関連法に反対するママの会の西郷南海子さん=2016年6月7日、東京・永田町の参院議員会館

 私の実感からも、他党の政治家、マスコミ、学者、社会運動家の日本共産党への関心は3.11後の反原発運動の高揚あたりから強まっていた。反原発運動や反安保法制の運動は「運動共闘」であったが、そこで生まれた運動の熱量を2015年に「政治共闘」に転化させたことで、日本共産党は一気に「政治史」のなかに位置付けられることになった。

 日本共産党の政治学的な分析の必要性が高まるなかで、その役割を引き受け、100年にわたる歴史に社会科学のメスを入れたのが、本書である。

2.本書の意義

分析の条件~左翼全体のなかでつかみ、政治史のなかに据える

 政治学として日本共産党を分析するにはいくつかの条件がある。日本の左翼100有余年の歴史は、アナキズム、社会民主主義から新左翼まで広がる対立と分裂の歴史であり、強烈な体験とイデオロギーが歴史叙述のなかに刻まれている。日本共産党はこの対立と分裂の歴史のど真ん中を歩んできた。だからこの左翼全体の歴史についての相当な知識と俯瞰的な視点がなければ、日本共産党を分析することはできない。

 著者は『自民党―「一強」の実像―』(2017年)、『自公政権とは何か』(2019年)を上梓していることからも、保守政治の専門家と近年はみられがちである。ただ著者は元鉄鋼労連書記長であり、社会党、総評に大きな影響を与えた清水慎三信州大学名誉教授と、その弟子にあたる高木郁郎日本大学名誉教授に師事し、『経済復興と戦後政治―日本社会党 1945-1951年―』(1998年)、『日本労働政治の国際関係史 1945-1964―社会民主主義という選択肢―』(2008年)を上梓している。

 であるから著者は、政治学のなかの「労働政治学」の系譜にあり、日本共産党の「運動史」を分析するうえで不可欠な、日本の社会民主主義と労働運動についての知識と業績を豊富に備えている。

拡大中北浩爾著『日本共産党』(中公新書)の書影
 本書を紐解きまず目につくのは、日本共産党結党時の主要メンバーの多くが後の日本社会党の幹部であること、労働組合のフラクションには戦後民社党を結成する西尾末広もいたことである。共産主義、アナキズム、社会民主主義が未分化な星雲状態から出発した日本共産党の歴史を左翼全体のなかで相関的につかみ、さらに支配的な政治史のなかに据えるという作業を経なければ、日本共産党の100年の歴史を描くことはできない。

本書の2つの意義~100年の歴史を描く、政治史として整理する

 本書の第一の意義は、日本共産党の100年の歴史を描いたことそのものにある。

 実は日本共産党の公式の党史以外に、戦前から戦後の高度成長期以後をカバーした通史はない。公式の党史も、「日本共産党の80年」(2002年)が最後である。そして本書を通じて100年史を俯瞰してみると、日本共産党が各々の時代の歴史的条件に揺さぶられつつも徐々に路線を確立し、高度経済成長期を経て、こんにち知られる党のかたちがつくられたことがわかる。日本共産党は日本の政党のなかでもっとも長年の伝統を有しているわけだが、本書を通読するとその伝統は原初から一貫したものではなく、それが戦後政治の確立過程で「創られたもの」であることがわかる。

 本書のもうひとつの意義は、日本共産党の100年の歴史を「政治史」として整理したことにある。

 それゆえ本書の100年史は、1922年に日本共産党が世界共産党であるコミンテルンの日本支部として結成されたにもかかわらず、国際環境の変化と党内闘争を経て、「宮本路線」を確立し、議会政党として「政治史」に登場するという筋道で描かれている。欧州共産党の先進国革命型でもなく、毛沢東主義的な後進国革命型でもなく、独自の日本型共産党の路線を確立したのが宮本顕治であり、以後その路線の微修正を繰り返しながら今日に至っているというのだ。


筆者

木下ちがや

木下ちがや(きのした・ちがや) 政治学者

1971年徳島県生まれ。一橋大学社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、工学院大学非常勤講師、明治学院大学国際平和研究所研究員。著書に『「社会を変えよう」といわれたら」(大月書店)、『ポピュリズムと「民意」の政治学』(大月書店)、『国家と治安』(青土社)、訳書にD.グレーバー『デモクラシー・プロジェクト』(航思社)、N.チョムスキー『チョムスキーの「アナキズム論」』(明石書店)ほか。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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