公明・自民両与党が参院選を終えてやるべきこと~山積する内外の課題を前に
財政、エネルギー、社会保障……連立政権の方向を明らかにして国家ビジョンの創出を
赤松正雄 元公明党衆院議員 元厚生労働副大臣 公明党元外交安保調査会長 公明党元憲法調査会座長
コロナ禍とウクライナ戦争――。この世界共通の難題に喘ぐなかで行われた参院選。終幕寸前の7月8日、安倍晋三元首相が狙撃死した。
最高権力者の余韻消えぬ人物が、公衆の面前で警護も虚しく命を奪われた。「国を守る」ことに最も意を注いだリーダーが、敢えなく瀕死の姿で路上に横たわった姿。これをテレビで見た国民の衝撃はたとえようもなく大きかった。
安倍晋三元首相との二つの思い出
安倍晋三氏と私の個人的思い出は二つ。一つは、「新学而会」という名の学者と政治家の勉強会で席を同じくしたこと。国際政治、安全保障分野の専門家の集いだった。塩川正十郎氏らを始め、著名な保守政治家も少数ながら顔を見せた。
場違いにも私が名を連ね得たのは、ひとえに学問上の師・中嶋嶺雄先生(元国際教養大学学長)の〝引き〟だった。岡崎久彦さんと安倍さんの〝集団的自衛権コンビ〟との出会いもこの場でのことだった。知的興奮を覚えたものである。
もう一つは、私がある国民運動団体の会合に出席した時のこと。「尖閣防衛」の発言をし終えて帰る際にばったりと安倍さんに出会った。笑みを湛えながら「公明党の方が、こんな処に来ていいのですか?」と。余計なことをと、「大丈夫ですよ」と強がりを込めて言い返したものの、彼の忠告が耳朶(じだ)に残った。
今頃になって、彼に対して、ご自身の立場と付き合う団体への距離を考えねばと、〝お返し〟をすべきだったとの後悔の念がよぎらなくもない。
狙撃死をめぐる論評に感じること
安倍さんの狙撃死をめぐる様々な論評を前にして、私はものごとの掌握には、「光と影」の両面からのアプローチの重要さを改めて感じる。政治家・安倍晋三の足跡にも当然ながらそれが付き纏(まと)う。
“決められない首相”による迷走が続いた後、決断と実行の差配ぶりは、米露中のトップと対等に渡り合った外交力の発揮とともに特筆されよう。一方、「もり・かけ・さくら」と揶揄(やゆ)された一連の強権支配の振る舞いは、多くの識者の眉を顰(ひそ)めさせるに十分なものだった。
人の世の常か、日本人の特性か。「死」はある意味で全てを浄化してしまう。影の部分を覆い隠し、光の側面を一段と美化してしまう傾向が強い。今回の事例にあっても、テロが民主主義を破壊し言論を封殺するものだとの非難・断罪に終始しがちになる。
だが、今回のケースにあっては違和感が残る。つまり、安倍氏の政治的な主義・主張、行動に反対するが故の蛮行ではなく、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)に対する個人的恨みの、はけどころとなったものだからだ。それはあまりに虚しい。そこを見据えず、ただ「言論封殺・民主主義破壊」非難の大合唱だけに終わるようでは、ことの本質を見誤ってしまう。が、その危険性はたかい。
要人警護は、正面3割、背面7割が鉄則と聞く。にもかかわらず、あの日の奈良県警は殆(ほとん)どそれを怠っていた。前日の安倍警護に当たった岡山県警の布陣は、犯人をして狙撃を思いとどまらせたほどの堅固なものだったというのに。また、長野での遊説を急きょ変更した自民党当局の判断が現場に異変をもたらしたことと、無縁でなかったかどうか。検証が待たれる。

首相官邸をあとにする安倍晋三元首相の棺(ひつぎ)を乗せた車=2022年7月12日、東京・永田町
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