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安倍元首相「国葬儀」が抱える重大リスクに、岸田首相は堪え得るか

さらなる社会の「分断」「二極化」と莫大な葬儀コスト

郷原信郎 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

 7月22日、参議院選挙の応援演説中に銃撃され亡くなった安倍元総理大臣の「国葬」について、9月27日に東京・日本武道館で行うことが閣議決定された。

 これに対して、共産党・れいわ新選組・社民党などが反対を表明しているほか、決定の経緯や予算について国会で説明すべきだとしていた立憲民主党も、泉健太代表が反対を明言した。

 これについては、法的根拠の有無等の法律上の問題と、国葬を行うことの是非という実質面の問題の二つがある。

安倍晋三元首相の「国葬」の閣議決定に反対し、首相官邸前で開かれた集会=2022年7月22日、東京都千代田区永田町安倍晋三元首相の「国葬」の閣議決定に反対し、首相官邸前で開かれた集会=2022年7月22日、東京都千代田区永田町

戦前と同種の国葬は不可能でも、「国葬儀」は可能?

 まず、法律上の問題である。

 国葬は、国家が喪主となって執り行う葬儀のことであり、すべて国費負担のため、財源は国家予算になる。戦前は、明治天皇・大正天皇・初代内閣総理大臣の伊藤博文氏、軍人では東郷平八郎氏らが国葬された。

 戦前の国葬は、天皇・皇族の葬儀のほか「國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ」として、国家に優れた功績があった者の国葬を行い得ることを定める「国葬令」に基づくものだった。

 国葬令は、天皇・皇族の葬儀と同様の「国葬」を、「國家ニ偉功アル者」についても行えることとし、「皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廢朝シ國民喪ヲ服ス」との規定により、国葬の当日は、天皇は朝務に臨まないとし、国民は喪に服すものとされていた。

 この国葬令は、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」が1947年4月18日に公布され、日本国憲法とともに同年5月3日に施行されたことに伴い、同年12月31日限りで失効した。

 国葬令を廃止した法律は、大日本帝国憲法下で出された命令について、日本国憲法施行後における効力を一律に廃止したものであり、「国葬」を特に否定する趣旨ではない。

 しかし、少なくとも、戦前に行われていたような、天皇・皇族の葬儀と同等の儀式で、当日は、国民も喪に服するような「国葬」を行うためには、そのための法的根拠が必要である。

 憲法7条が定める天皇の国事行為の一つに「儀式を行うこと」があり、皇室典範で天皇崩御の際の「大喪の礼」等が規定されている。それと同様に、「国に偉大な功績を残した者」に対する国葬を行うことを定める法律が制定されることが必要であり、国葬令が廃止され、それに代わる法律が制定されていない以上、そのような「国葬」を行うことはできないと解するべきであろう。

 しかし、国葬令によるのと同様の「国葬」を行い得ないからと言って、内閣の権限と判断で、「国が喪主となる葬儀」を行うことができないのか否かは別の問題である。現に、全国戦没者追悼式、東日本大震災追悼式等は「国の主催で行われる儀式」であるが、これらについては格別の法的根拠はなく、内閣の権限と判断で行われている。それと同様の儀式として「国が喪主となる葬儀」が行い得るか否かという問題である。今回、安倍元首相について、岸田首相は、内閣府の所掌事務を規定する内閣府設置法第4条第3項第33号に、

「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」

 があるので、「国の儀式」として、閣議決定をすれば、「国葬儀」の実施が可能との見解を示している。

 岸田首相が、安倍元首相について、「国葬」ではなく「国葬儀」を行うと言っているのは、戦前の国葬令に基づく「国葬」とは異なるとの趣旨であろう。国葬令に基づいて行われた戦前の国葬のように、「国民が喪に服す」ことを事実上強制するような「国葬」は行い得ないが、「国が喪主となる葬儀」自体が行えないというわけではないと解される。

 実際に、戦後に、昭和天皇と貞明皇后以外で行われた「国葬」として、昭和42年の吉田茂元首相の例がある。一方、戦後最長の在任期間だった佐藤栄作元首相については、国葬は行われず、「国民葬」とされた。

葬儀委員長佐藤栄作首相の先導で式壇に向かって静かに進む吉田茂首相の遺骨と遺族ら。戦後初の国葬で皇太子ご夫妻、外国使節ら約5700人が参列して東京・千代田区の日本武道館で行われた=1967年10月31日葬儀委員長佐藤栄作首相の先導で式壇に向かって静かに進む吉田茂首相の遺骨と遺族ら。戦後初の国葬で皇太子ご夫妻、外国使節ら約5700人が参列して東京・千代田区の日本武道館で行われた=1967年10月31日

 ということで、政府の方針どおりに、安倍元首相の「国葬儀」を行うこと自体は、それが戦前の「国葬」のように、国民に服喪を強制するようなものでなければ、法律上許されないとは言い難い。

 問題は、安倍元首相の「国葬儀」を実施することが妥当なのか、適切な判断と言えるのかだ。

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安倍氏の功績の評価と社会の「二極化」

 国民に服喪を強制するようなものではないとしても、全額国費で賄い、国の機関等が弔意で埋め尽くされることになるのであり、それに対して、国民が違和感を持つものでないことが、最低限必要であろう。そういう意味で、吉田元首相が「国葬」、佐藤元首相について、「国葬」ではなく「国民葬」であったこととの比較が重要となる。

 国内経済の繁栄を築き、退任後は日本人として初めてのノーベル平和賞を受けた佐藤元首相であったが、退陣後3年で死亡、退陣後13年保守政界の大御所となっていた吉田元首相ほどに歴史的評価が定着していないことが、「国葬」見送りの理由とされた。
安倍氏の首相在任中の功績については、国民の間で賛否をめぐって意見の対立があるものの、いずれにしても、内政、外交両面にわたって多大な業績を残したことは間違いない。

 しかし、その功績が、佐藤元首相との比較で、国民に違和感を持たれないレベルなのか、という点には疑問がある。

 そして、この点に関連して重要なのは、

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