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小泉訪朝から20年、いまだに北朝鮮問題が解決できないのは何故か

平壌宣言と6者協議共同声明の実施が進まなかった理由

田中均 (株)日本総研 国際戦略研究所特別顧問(前理事長)、元外務審議官

 小泉首相(当時。以下、肩書はすべて)が訪朝し、北朝鮮金正日国防委員長と会談し、平壌宣言に署名したのは今からおよそ20年前の2002年9月17日だった。その後、北朝鮮が最初の核実験を行った2006年10月までの4年間の間に、拉致・核・ミサイルを中心課題とする北朝鮮問題を前進させる機会は二度あった。一つには日朝平壌宣言のフォローアップであり、もう一つは2005年9月の6者協議(日・米・中・露・南北朝鮮)共同声明の実施である。このプロセスは何れも比較的短期で崩壊する。何故うまくいかなかったか。

お互いに署名した平壌宣言を交換し握手する小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記=2002年9月17日、北朝鮮・平壌市の百花園迎賓館

「田中さん、悔しくないですか?」

 小泉訪朝までの経過はともかく、小泉訪朝後の展開については、これまで多くを語ってこなかったが、先日、友人の祝賀会で偶々席を同じくした初対面のまだ若いビジネスマンから質問を受けた。

 「田中さん、小泉首相の訪朝を仕掛けられたのはもう20年前のことだと思うが、5人の拉致被害者が一時帰国したあと、何故北朝鮮に帰国させず日本に留めおいたのか。北朝鮮との約束通り一旦返して、その後平壌宣言に書かれているような北朝鮮との正常化の道のりを歩んでいれば、日本主導で拉致問題の解決だけではなく核やミサイルなど朝鮮半島の平和を作る外交が出来たのではないか。一貫して準備に当たってきた田中さんは何故、日和ってしまったのか。個人的に悔しくないのですか?」

 これまで、私は、一時帰国した5人の拉致被害者を一旦は約束通り北朝鮮に返すべきだと強硬な主張を行ったのは怪しからんとして強い批判を受けてきたので、このような質問を受けるのは稀なことだ。

一旦返すべきだと強く主張したわけではない

 もう誤解を正す意味もないが、私は一旦返すべきだという強硬な主張を行ったわけではない。

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