医系技官はなぜ保健所をPCR検査の要の位置に置いたのか~上昌広氏に聞く
コロナ対策徹底批判【第五部】~上昌広・医療ガバナンス研究所理事長インタビュー⑲
佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長
厚生労働省・医系技官たちの恵まれた天下り先。それが保健所長だ。定年延長が普通で、いったんなってしまえば毎年1000数百万円の収入が約束されている。
しかし、「中曽根行革」以来、保健所は常に行政改革の嵐におびえ続けてきた。今回のようなコロナウイルスの襲来は、医系技官にとっては「保健所有用論」をPRする絶好のチャンスになる。
そして、やはり医系技官は保健所をPCR検査の要の位置に置いた。世界中でほとんど唯一、日本だけが採った無意味なウイルス対策の体制だった。その結果、国民は地獄のような日々を迎えることになった。
臨床医でありながら世界最先端のコロナウイルス対策文献を渉猟する医療ガバナンス研究所理事長・上昌広氏。インタビューに応える上氏の批判の矛先は、当然ながらそこに向いた。

上昌弘・医療ガバナンス研究所理事長
医系技官の天下り先になった保健所長
――前回「新型コロナPCR検査をめぐり『非常識』が横行した日本」のインタビューでわかったのですが、厚労省・医系技官の天下りポストというのは公衆衛生関係に多いんですね。
上昌広 戦後すぐのころから説明しますと、日本の公衆衛生というものはアメリカから導入したんです。日本で一番古い公衆衛生教室というのは東京大学にあるんですが、これですら1947年にできたんです。
これがなぜできたかと言えば、アメリカが中心となったGHQ(連合国軍総司令部)が「つくれ」と言ったからなんです。GHQはアメリカの公衆衛生モデルを日本に入れようとしたんですね。
アメリカの公衆衛生モデルというのは、連邦政府や州政府は関与していなくて、人口10万人くらいの自治体がやっていたんですね。
戦後日本の警察組織の動きを見ますと、最初に自治体警察ができましたよね。その自治体警察が都道府県警察になっていって、その後、元々の内務省、後の警察庁に吸収されていきました。これと同じことが公衆衛生部門にも起こるんです。
公衆衛生は先ほど言ったようにGHQが人口規模を小さくして自治体にその権限を振るんですが、しばらくすると旧内務省、厚生省に戻ってくるんです。そして現在は厚労省が仕切っている形になって、保健所長は医系技官の天下り先になっていくわけです。だから、保健所長も結局、予算とポストの割り振り先になるんです。
PCR検査から保健所を外せたはずなのに……
――コロナウイルスが日本に入ってきた2020年の最初のころ、PCR検査は保険適用がなく、ほとんど保健所や国立感染症研究所の独占状態でした。そのために、一般の国民はほとんどPCR検査が受けられなかったですよね。
上 そういう状態でした。しかし、実際のコロナ対策を公衆衛生の側面ではなく純粋に医療の側面だけでできたとしたら、PCR検査から保健所を外すことができたんです。
たとえば佐藤さんが感染して、臨床医である私が診断を下して入院できるのであれば、保健所でPCR検査をする必要がないですよね。つまり、一般の検査会社でPCR検査をして診断ができれば、保健所に情報を入れなくてもいいわけです。
本来、隔離目的だけだったら検査のデータを全部取る必要はないし、入院するだけであれば入院時のデータだけ取ればいいんですね。
厚労省がたとえば罹患(りかん)率とか全体のデータが欲しいのであれば、サンプル調査をすればいいんです。1週間に1回、1000人か1万人調査をすれば、それで済むわけです。だけど、今は悉皆(しっかい)調査をやっていますから、全国津々浦々の保健所まで全部ポストが作れますよね。
つまり、悉皆調査をやるから感染研に大きなお金が落ちて保健所長ポストが必要だとなるわけです。そういうところが一番大きいと思います。
――なるほど。それにサンプル調査すれば間に合うわけですよね。
上 バイアスがかからないので、むしろサンプル調査の方が正確なデータが出るんですよ。感染率を調べる場合、無症状も合わせてサンプルで調査した方がいいんです。

連日行列ができていた那覇市PCR検査センター=2022年1月9日、那覇市
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