ウクライナの悲劇……大国外交に翻弄された「軍事的リアリズム」の悲劇
軍事だけがリアリズムではない。政治的リアリズムを模索せよ
渡邊啓貴 帝京大学教授、東京外国語大学名誉教授(ヨーロッパ政治外交、国際関係論)
「力には力で」……防衛力強化論隆盛への懸念
7月初旬のNATO(北大西洋条約機構)首脳会議では、スウェーデン・フィンランドの中立二か国のNATO加盟が正式に決まった。そしてこの会議はロシアを「最大かつ直接の脅威」と位置づけ、中国の「野心と威圧的な政策」への警戒心を明確にし、新たな戦略概念を発表した。
岸田首相は日本の総理として初めてNATO首脳会議に出席し、米欧諸国との連帯を確認し、NATOとインド太平洋地域の日韓豪NZとのパートナーシップを強調するグローバルな安全保障協力関係推進の姿勢を明確にした。同時に、岸田首相は中国の脅威に対抗する「西側結束」の音頭取りを演じ、内外に日本の立場を印象付け、自らも今後5年間で防衛強化を行う旨、公言した。国内の議論も日米防衛同盟の強化と防衛費増大の主張が改めて勢いを強めている。

NATO首脳会議に出席する岸田文雄首相(中央手前)=2022年6月29日、スペイン・マドリード、代表撮影
ウクライナ危機を契機に強まっているこのような今般の風潮に不安を感じている人たちも多いのではないか。専守防衛をはじめとする平和主義をめぐる様々な議論を、中露北朝鮮脅威論で一気に飛び越えてしまうのはどうだろうか。「脅威論」を目の前にして、そうした懸念を正面から議論することに躊躇しているメディアも散見される。
国内の一部で論じられる「敵基地攻撃」の議論は「先制攻撃」の可能性も秘めた議論だ。またいわゆる「核の傘」がどこまで核保有国に対して機能し得るのか。核保有同盟国がどこまで「核報復攻撃」のリスクを冒してまで核兵器で対応してくれるのか。それは核抑止論の「藪の中」の議論だ。それは7月末の一連の米中首脳会議での膠着状態に明らかだ。岸田首相の発言に「前のめり」感を禁じ得ないのは筆者ばかりだろうか。
こうした、あえて言えば「軍事的リアリズム」の隆盛は一見強い危機感を根拠にしているように見えるが、故意に単純化した議論であるようにも筆者には思える。「備えあれば憂いなし」と言えばわかりやすい。しかし同時に、「果たして、それだけでよいのか」というのもまた常識的な問いではないだろうか。
まず、どこまで備えればよいのか。またそれは周辺諸国の目にはどう映るだろうか。それこそ周辺諸国の「防衛力」拡大に対して日ごろわれわれが論じている「脅威論」の本質そのものではないだろうか。「力には力で対抗する」という論法だけでよいのだろうか。
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