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複雑化するウクライナ戦争 マクロンの「ロシアを侮辱するな」発言の深い意味

「軍知複合体」を主張するフランスの軍事評論家ピエール・コネサ氏に聞く

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

 ウクライナ戦争はいつ終わるのか? どのような終わり方をするのか?

 戦争開始から半年を経ても、依然として出口が見えないこの戦争の行方について、「知識人が戦争開始に関与」と「軍知複合体」を主張するフランスの軍事評論家、ピエール・コネサ氏(74)に聞いた。

拡大ピエール・コネサ氏(本人提供)

ピエール・コネサ 軍事評論家
1948年8月4日、当時の仏領アルジェリァの首都アルジェで生まれる。国立行政院(ENA)出身。国防省に長年勤務後、経済関係のシンクタンクを創設。この10年は評論家として活躍。仏露対話協会などでの講演も多い。著書に『戦争を売る 軍知複合体』『敵の生産』など多数。

ソ連の消滅で全てのシステムが変わった

ーー近著『戦争を売る 軍知複合体』の中で、戦争開始を決定する社会学について言及されています。この刺激的なタイトルの意味するところは?

 アイゼンハワー米元大統領は1950年代(当時はNATO軍最高司令官)、冷戦時代の軍と軍事産業が結びついて、戦争を拡大・長期化していった『軍産複合体』を批判している。同じように、現在の戦争では、軍といわゆる知識人階級とが結びついている。この本には、戦争における知識人階級の役割を批判する狙いがある。

――軍事産業と軍の結びつきは強そうです。

 アイゼンハワー元帥はソ連との冷戦において、武器産業の占める重みを危惧していた。しかし、(1991年の)ソ連の消滅後、全てのシステムが変わった。

――冷戦の終焉とソ消の消滅は衝撃的だったでしょうね。

 当時、私は国防省で戦略部門の責任者だったが、私たちにとっては、「敵」の消滅は一種の「危機」と言えた。

 ゴルバチョフのある顧問は我々にこう言った。「あなた方に最悪の仕事を与えます、あなた方から敵を剥奪(はくだつ)します」と。この言葉は我々の世界では有名な言葉として語り継がれている。実際、ソ連という公的な敵は消滅し、従って、あらゆる分析の仕方が変化した。

 その後、ボスニア紛争やソマリア内戦などが発生し、フランスは派兵したが、冷戦中のような、確固たる戦略らしいものはなかった。

第一報をすべてに優先させたメディア

――ソ連消滅と同じ年、1991年1月に湾岸戦争が勃発しました。

 湾岸戦争はロシアが初めて拒否権を発動しなかった戦争だ。このことは非常に重要だ。なぜか。イラクは世界第4位の武器大国と言われていたが、戦争は実質的に120時間、5日間しか続かなかった。米欧諸国による多国籍軍は完璧な軍事的優越感と共に戦争を終え、宇宙の憲兵、世界の警官になった。

 湾岸戦争の開始を最初に伝えたのは、ホワイトハウスではなくCNNだった。その前から、CNNやそれに続く各国のテレビ局が、最後通告から多国籍軍の展開、配置などを毎日、刻々と生中継で報じたが、それは戦争の生中継ではない。あくまで「バクダッド空爆」というスペクタクルの開始の準備であった。いよいよ空爆という大スペクタクルが生中継された。

 第一報がすべてに優先した。かつては事実があり、それから発表があったが、湾岸戦争以降、メディア、テレビによって、それらの要因の順番が覆された。私も、事実関係や背景などが不明なまま、コメントを求められることがあった。

拡大湾岸戦争終結後のイラク・バクダッド。多国籍軍の空爆で破壊されたビルと破壊された建材を集積するブルドーザー=1991年3月0日、イラク、バグダッド

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筆者

山口 昌子

山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト

元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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