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非暴力抵抗こそが侵略から国民を守る~非武装の精神で戦争の根を断て 想田和弘と語る(前編)

ウクライナへの自己同一と「敵/味方」議論は危うい

石川智也 朝日新聞記者

 今年も8月がやってきた。

 戦争や平和にまつわる言論や報道が集中する季節だが、戦後77年目の今夏の様相がここ数年と異なるのは、言うまでもなく、ロシアによるウクライナ侵攻が起きたことによる。

 職場やお茶の間、友人たちとの会話にも戦況や兵器の話題が飛び交い、政治家は勇ましい口調で防衛力強化や敵基地攻撃能力、はたまた核共有に前のめりの発言を繰り返す。

 軍事や安全保障の議論が「日常」化する異様な状況下で、他国から侵略された際に私たちはどう向き合うべきか、という根源的な問いもあらためて持ち上がった。

 これに対して、武力による徹底抗戦ではなく、占領を座視して受け入れるのでもなく、非暴力・不服従による抵抗こそが最も有効なのではないか、そう問題提起したのが、映画監督の想田和弘さんだ。

 保守界隈ではこの機に乗じた憲法改正論議もかまびすしいが、想田さんはすでに2015年の安保法制成立時、「新しい9条を創るべきだ」と“改憲”の提言をしている。

 一連の発言の真意はどこにあるのか。あらためて深く聞き込むために、対話的インタビューをお願いした。

 戦争とは、平和とは、国を守るとは――。

後編「護憲派は9条の死を直視し、平和主義と立憲主義を取り戻せ」はこちら

想田和弘氏拡大想田和弘氏

〈そうだ・かずひろ〉 1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。ニューヨーク・スクール・オブ・ビジュアル・アーツ映画学科卒業。日米を往復しながら、ナレーションやBGMや台本を排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』『精神』『Peace』『演劇1』『演劇2』『選挙2』『牡蠣工場』『港町』『ザ・ビッグハウス』などがあり、海外映画祭などで受賞多数。最新作『精神0』はベルリン国際映画祭でエキュメニカル賞を、ナント三大陸映画祭でグランプリ受賞。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』『観察する男』『熱狂なきファシズム』など多数。

非暴力抵抗は「無抵抗」とはまったく違う

石川) ロシアの侵攻後に、朝日新聞などに非暴力抵抗論を寄せました。「主権国家には自衛権があるが、応戦の果てに暴力の連鎖になれば、国民や国土に大きな犠牲が生じる。交戦せずに国を挙げて徹底的な不服従の抵抗をした方が、倫理的にも高潔で、結果的に民の命も国も守れる可能性が高いのでは」という趣旨ですが、SNSなどですさまじい批判を受けたそうですね。

想田) ひどい反応が多かったです(笑)。批判というよりも罵詈雑言の嵐です。きちんと内容を読んでないのでは、というものが多かったですけど。たとえば、僕は非暴力の手段で「抵抗する」と言っているのに、勝手に「無抵抗」と読み替え、「ブチャのような虐殺があっても、家族が殺されたり強姦されたりしても、抵抗しないのか」と非難してくる。

 まさに藁人形論法ですけれど、こういう「認知バイアス」が起きてしまうのは、まあ理解できなくはないです。「非暴力で抵抗する」ということのイメージがつかないのでしょう。だから「非暴力」イコール「無抵抗」「白旗を揚げて降参する」「座して死を待つ」という意味だと勝手に脳内で変換してしまうんだと思います。

 それともうひとつは、「ウクライナ国民に戦うなと言う資格がお前にあるのか」「侵略に対して戦っている者たちに失礼だ」という反発、さらには「ロシアの肩を持つのか」という怒りの声です。

 強調しておきたいのですが、僕はこの問題について話す際、「ロシアによるウクライナへの侵略は人道的にも国際法上も決して許されない」と枕詞のように言っています。そして、主権国家であるウクライナには自衛権があり、ゼレンスキー大統領が自衛戦争を行うと決断したことについて、第三者としてはそれを尊重するという以外の立場は取れない、ということも、大前提です。

 しかし、大義ある自衛戦争であっても、武力で徹底抗戦するという選択が本当に国民を守ることになるのか、応戦することが唯一の選択肢なのかは、別の問題として、現実を直視しつつ議論すべきでしょう。というのは、もちろん、日本にとっても今回の事態は他人事ではないからです。僕が論じたいのは、ウクライナの選択というより、日本の選択についてなんです。

石川) 侵攻直後から数カ月間の議論が冷静さを失っていたというのは、その通りだと思います。ロシアの侵略や戦争犯罪を強く非難することと、侵攻の背景を冷静に複眼的に見ようとすることは両立する。しかし、親ロシア政権が倒れた2004年のオレンジ革命や14年のマイダン革命にアメリカが果たした役割や、NATOの東方拡大の問題などに触れるだけで、「ロシアを擁護するのか」と批判が飛んできます。

想田) それは、多くの人がやはりロシアに対する怒りに支配されているからですよね。そして、同じように日本もロシアや中国に侵略されるのではないか、という恐怖にも支配されている。怒りと恐怖という感情に支配されて、冷静な判断力を失っているように見えます。

キーウの独立広場近くの土産物屋では、ロシアのプーチン大統領の顔がカラーで印刷されたトイレットペーパーが売られていた=2022年6月1日拡大キーウの独立広場近くの土産物屋では、ロシアのプーチン大統領の顔がカラーで印刷されたトイレットペーパーが売られていた=2022年6月1日

 人間は論理ではなく感情、特に恐怖という感情に支配されると、危機や脅威を実際以上に高く見積もってしまう傾向があります。ロシアや中国あるいは北朝鮮が侵攻してくるという想定が心の中でどんどん広がり、それが防衛費増額や敵基地攻撃能力、さらには核共有の議論と結びついてしまう。

 でも軍備の増強が現段階の脅威に対して効果的なのか、そもそも現在の国際政治や外交、安全保障の環境を分析してみて脅威がそこまで大きいと言えるのか、大いに疑問があります。そこは冷徹に判断しなければならない問題なのに、多くの人が浮足立って、増幅した不安が軍備増強の議論に利用されてしまっている。

 僕からすれば、例えば中国や北朝鮮を仮想敵国としているのなら、日本海側にこれほどまでの数の原発が立ち並び稼働していること自体、合理的な判断とは思えない。敵国に原発を攻撃されたり掌握されたりしたら、ゲームオーバーですからね。

 本当に深刻な脅威があるというのなら、軍備増強や核共有より何よりも、原発を廃炉し取り除く作業こそを優先しなければならない。でもそういう議論は全然起きていないでしょう。議論そのものが冷静さを欠いているうえにちぐはぐで、真面目なものに見えません。

 そして、ロシアへの怒りは、そのまま侵略された側であるウクライナへのアイデンティファイ(自己同一化)につながっている。ウクライナは完全に「味方」陣営である、と。そうなると、物事を複眼的に多角的に俯瞰して見る行為自体が、「味方」への振る舞いとして許されない。「どっちもどっち論」ということにされてしまう。

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筆者

石川智也

石川智也(いしかわ・ともや) 朝日新聞記者

1998年、朝日新聞社入社。社会部でメディアや教育、原発など担当した後、特別報道部を経て2021年4月からオピニオン編集部記者、論座編集部員。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所客員研究員。著書に『さよなら朝日』(柏書房)、共著に『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版)、『住民投票の総て』(「国民投票/住民投票」情報室)等。ツイッターは@Ishikawa_Tomoya

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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