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護憲派は9条の死を直視し、平和主義と立憲主義を取り戻せ 想田和弘と語る(後編)

「自衛隊は戦力ではない」は世界に通用しない

石川智也 朝日新聞記者

 マハトマ・ガンジーが唱え、政治学者ジーン・シャープが理論化、体系化した「非暴力抵抗」の可能性を訴える想田和弘さんは、ウクライナ問題でも、武力による応戦という手段に疑問を投げかけている。

 これに対しては様々な批判を受けてきたというが、そもそも日本国憲法の第9条こそが、戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を謳う究極の非戦条文だったはずだ。

 しかし、その9条を日本は守ってなどいない、と想田さんは言う。前編に引き続き、非暴力と非武装、そして改憲問題にまで広げて話を聞いた。

想田和弘氏想田和弘氏

自衛隊合憲論者は解釈改憲派だ

石川) 非暴力の考えを突き詰めれば、国家としても軍備を持たない、非武装が理想だという考えになります。あらゆる国がそれを目指せば、結果として地球上から国家間の武力紛争が消える。それが想田さんの理想ということですね。

想田) その通りです。

石川) 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする憲法9条は、字面だけ見るなら、軍備を否定した非武装条文としか読めませんが、日本政府は、国民の生命や自由が根底から覆される急迫不正の事態には必要最小限度の武力の行使は認められるとし、その範囲内の「実力」ならば「戦力」には当たらないとして自衛隊を合憲の存在としてきました。

 また、自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行っても、9条が禁じる「交戦権の行使」とは別の観念のもの、としています。しかし憲法学者の間でも自衛隊違憲説は根強くあります。

 想田さんは、条文解釈においては原理主義的、つまり自衛隊や駐留米軍は違憲の存在だという考えですね。

想田) 当然そうです。いわゆる護憲派と呼ばれている人たちの多くは「自衛隊は戦力じゃない。最小限度の実力だから持っていても問題ない」という歴代政府と内閣法制局の解釈を受け入れているわけです。だから、この人たちは、僕からすれば本当の意味での護憲派ではなく、解釈改憲派です。

日本国憲法9条

1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

安保法制で9条は死文化した

石川 想田さんは2015年の安保法制成立後、「護憲派は9条の死を直視しなければならない。9条が掲げる平和主義を確実に実現できるような新しい9条を創ろう」と提唱しています。これにも様々な批判が寄せられたそうですね。

想田) 9条が徹底した非戦と非武装を宣言するものだったことは、憲法公布時の吉田茂首相の国会答弁などでも明らかですが、朝鮮戦争勃発後、マッカーサーは条文を変えずに日本の再軍備を進めました。この時点で9条は7、8割死んでいた。

 その後も日本はベトナム戦争やイラク戦争といったアメリカの侵略戦争を肯定し、米軍に基地や燃料、カネを提供してきました。それでも、憲法9条は日本の戦争への加担を比較的小さくとどめてきたと、かろうじて言えるとは思います。でも、安保法制で9条はトドメを刺され、殺されました。

 9条が死んだ、と言うとまた反発が起きるでしょうが、僕が言いたいのは、大事なことは日本の平和主義を守ることであり、条文を守ることではない、ということです。そうしないと、歯止めの力を失った9条とともに平和主義は朽ち、とめどなくアメリカの戦争に組み込まれていきます。

 死文化した9条を蘇らせるには、条文通り「自衛隊も日米安保条約も違憲であり、認められない」という解釈を、日本の主権者や政府の意思として明確化することでしょう。僕はそうなることを強く望んでいます。しかし、残念ながら、そういうことはまったく起こりそうにない。

 ならば次善の策として、個別的自衛権・専守防衛に限った戦力としての自衛隊を憲法上明確に位置づけ、その活動範囲を日本の領土領空領海に限定し、海外派遣を明確に禁じるという原則を、恣意的解釈が不可能なように書きこんだ「新9条」を制定する方がまだマシだ、というのが僕の考えです。

 個別的自衛権に限って自衛隊を容認するが海外派遣や集団的自衛権には消極的、というこのスタンスは、日本の主権者の多数意見だと思います。だからそれを素直に憲法に書き込む。

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「日本には戦力は存在しない」はごまかし

石川) つまり多くの日本人が考える「平和主義」は、個別的自衛権の行使まで放棄した絶対的な非戦や非武装を指すものではない、ということですね。しかし、現在の想田さんの非暴力主義からすれば、もはや新9条を創る必要はなく、現状の9条を厳格に守って自衛隊や日米安保条約を破棄すればよい、という話になるのではないでしょうか。

想田) はい、先ほど申し上げたように、僕自身の考えはもちろんそうです。そこは揺るぎません。

 もしも、

 ①現在の9条を変えずに自衛隊を災害救助隊に改組する

 ②新9条を制定する

 ③自衛隊を諸外国のように普通に活動できる軍隊にする

 という3択の国民投票が行われるなら、僕は迷うことなく①に投票します。ただ、こういう人間は残念ながら少数派でしょう。

 多くの日本の主権者はおそらく②を選ぶと思いますが、万が一③が多数派になっても、現在のように「日本には戦力は存在しない」「自衛隊は軍隊ではない」とごまかし続けるよりは、僕はずっとマシだと思っています。

 というのは、こういうごまかしを認めてしまうと、憲法の規範力を損ね、立憲主義というものが成り立たなくなってしまうからです。

石川) 平和主義と言うけれど、9条1項が禁じる「国権の発動たる戦争」「国際紛争を解決する手段としての武力行使」は、すでに日本国憲法制定前から国際法上禁じられていたものです。戦力不保持を定めた2項にこそ特異性があるわけですが、自衛隊合憲論者はあくまで「必要最低限度の実力であって、戦力ではない」「ポジティヴリストで運用される準警察組織だ」と主張しています。

 また「個別的自衛権までは合憲」というのが戦後一貫した有権解釈だったとする説からすれば、条文と現実の矛盾という問題自体が存在しないということになります。

想田) 自衛隊が軍ではない、戦力ではないと言い張るのは、国際的には絶対に無理です。だいたい、land, sea and air forces(陸海空軍)を保持しない、と言いながら、self-defense forces(自衛隊)を現に持っているじゃないですか。これは対外的に公式の英訳ですよ。

 ナイフを手に持ちながら「これはナイフじゃありません」なんて、通用しませんよ。そういう姿勢は国際社会から絶対に信用されないし、無責任、責任逃れです。法の支配や立憲主義も毀損します。

「戦争する」「殺す」自覚をあいまいにする9条

石川) 他国からの攻撃に対して自衛のための武力行使をすれば双方が「交戦」主体となり、交戦法規に律せられる。民間人を殺傷するなどの国際人道法違反があればwar crime(戦争犯罪)として裁かれる。

 つまり、日本人が「交戦ではない」「自衛のための措置だ」「必要最低限の実力の行使だ」といくら言い張っても、それは「戦争」ということですね。

想田) そうです。戦争ではない、と自分にウソをついても、紛争当事国になれば、ジュネーブ条約などを守らなければならない。それなのに、そういう戦時国際法を国内法に組み込むこともできていない。戦力・軍隊が存在しない、戦争をしないことになっているから、法整備することは矛盾になってしまうからです。ものすごく無責任だと思います。

 それと、僕が「責任逃れ」と言うのは、もう一つの理由があります。

 日本人の大多数は、他国から侵略されたら自衛隊に戦ってほしいと思っているわけでしょう。いまのウクライナと同じように、応戦すべきだと。それは、時の首相が自衛隊に対して防衛出動命令を出すということです。もっと本質的で露骨な言い方をするなら「敵を殺せ」という命令ですよ。

 その命令を首相が発するということは、主権者であり権力の源泉である私たちが自衛隊員たちに「殺せ」と命令するということです。そのことを我々は最低限自覚しておかなければならない。それなのに、いまの9条は、その自覚を巧妙に逃れるような装置になってしまっています。

自衛隊観閲式で巡閲する岸田文雄首相自衛隊観閲式で巡閲する岸田文雄首相=2021年11月27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地

 何度も言いますが、僕自身は、条文に忠実に自衛隊の災害救助隊への改組を望むし、在日米軍にも撤退してほしい。

 でも、日本国民の意思として、自衛隊に応戦してほしいと思うのであれば、現在のようにうやむやにせずに憲法に書き込むべきだし、日本国民はその選択に責任を持つべきだと思うんです。憲法で存在しないことになっている自衛隊に人を殺させるなんて、絶対におかしい。

 僕が新9条を作った方がマシだと申し上げるのは、そういう意味です。僕自身はベストだとはまったく思わないけれども、日本国民が専守防衛に限った自衛隊の存在を必要だと思うなら、それにしたがって憲法も改定すべきです。そしてそれが多数の意思なのであれば、僕は異議を唱えつつも、従うしかない。デモクラシーの国なわけですから、当然です。

 同じように、もし日本国民が「普通の軍隊」を持つことを望んで改憲するのであれば、僕は絶対にそれを支持できませんけれども、多数派の選択の正統性を認めざるを得ない。憲法自体に改正手続きが定められているわけですから。

自衛隊を認知した上で統制すべきだ

石川) 共産党はずっと自衛隊も在日米軍も違憲だと主張してきた一方で、政権入りした場合は当面合憲として扱うと言っています。自衛隊違憲論者の多くも政治的には存在を容認しているわけで、それは事実上、違憲の状態のまま固定化しておけばよいという主張にしかなっていない。

 さらには、憲法と矛盾した存在に置いているからこそ、自衛隊の肥大化が防げていると主張する憲法学者もいます。しかしこれは立憲主義を空洞化させてしまうし、法理論というより政治論、ほとんど感情論ではないでしょうか。

想田) 僕もそう思います。法治国家である以上は、自衛隊を認知したうえで統制するのが本来の姿、法の支配のあり方だと思います。でもそれ以上に、やはり倫理的に不誠実で無責任すぎるというところが、僕にはどうしても引っかかるんです。

 僕自身は、やっぱり人を殺したくないんですよ。銃を取れと言われて、侵略してきた相手にそれを向けて撃つ。命中すれば血が噴き出す。自分や家族を守るためにそれを繰り返し、何人も殺す――そういうことを自分が可能だとは想像できないんです。仮にできたとして、その後の人生を心穏やかに生きていけるという気がしない。罪の意識、トラウマから一生逃れられないのではと恐れます。

 相手の兵士も、指導者の命令で駆り出された若者ですよね。彼らを殺すことに、どんな意味があるのでしょう。そんな無意味で有害なことを、率先してやりたい人がいるんでしょうか。

 自衛のための武力行使をするということは、日本の若者たちに、こういう誰もやりたくない仕事をやれと命令することです。ものすごく重大なことです。彼らの人生を180°変えてしまうことになるかもしれない。

 であれば最低限、自分たちが命令したという責任を感じなければおかしい。違憲の烙印を押しながら、その存在に寄生するというのは、許されないと思います。

自衛隊観閲式に臨む陸上自衛隊員=2021年11月27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地自衛隊観閲式に臨む陸上自衛隊員=2021年11月27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地

石川) そういう理不尽が生じないために、あるいは国民が無責任な好戦的選択をしないためにも、完全に公平な徴兵制を検討すべきだ主張する人たちもいますね。

 ベトナム反戦運動が高まった折にアメリカは徴兵制を敷いていたわけですが、アフガン戦争やイラク戦争の際は志願兵制だったために、いわゆる「経済的徴兵」状態になり、エスタブリッシュや恵まれた階層ほど開戦を支持したとも指摘されています。

 これについてはどう考えますか。

想田) 僕は「人を殺す」という悲しいことを誰にも強いたくないし、強いられたくない。だから、軍は要らないと言ってるんですよ。徴兵制なんて、とんでもない。論外です。

 軍隊では、命令がすべてです。それに逆らう者がいれば成り立たない。入隊すれば丸坊主にして制服を着て、徹底的に個を消さなければならない。いくら危険でも、戦地に赴いて前線に立てと言われればそれに従い、銃を撃て、殺せと言われれば、それを遂行しなければならない。自分の考えどころか、自分の存在そのものを場合によっては消すというところまで踏み出さなければならない。「個」というものをないがしろにしない限り、軍という組織は存立し得ないんですよ。

 それでいて、結局は殺し合うのは指導者ではなく、その国の民衆たちです。こういう不条理でバカバカしいサイクルから「いち抜けた」という人間が増えていかない限り、戦争はなくならない。僕は「いち抜けた」んです。考えたくもないことですが、もし徴兵されるくらいなら、僕はそれに抗って投獄されることを選ぶでしょう。

>>インタビュー前編はこちら

立憲主義を守るために、国民投票で新9条を

石川) 日本は後方支援、兵站という形でアメリカの戦争に紛れもなく参加してきたので、平和主義を守ってきた、戦争をしてこなかった、という言い方自体が真実とは言えません。

 また、自衛隊と日米安保破棄を主張する自衛隊・安保違憲論者は、論理的には一貫していますが、心の中では実現不可能だと分かっていて、実際には自衛隊員や米軍基地を抱える沖縄に安全保障のコストを押しつけている。それでいて、自分たちは9条を守り良心を守っているかのように思い込んでいる。

 想田さんの考えとしては、少なくとも、そういう偽善というか無責任さを直視したうえで、丸腰を選ぶのか、新9条で自衛隊の位置づけと役割を明確にするのか、名実ともに軍隊にするのか、主権者として国民がきちんと決めるべきだということですね。

想田) まさにそうです。いまの無責任な状態が一番よくないと思います。戦争を放棄した9条があるから、自分たちはなにかものすごく素晴らしい国にいる、みたいに完全に錯覚してね。

 でも、誰がどう見ても戦力である自衛隊の存在を許して、自衛の措置と言いつつ実際には交戦を認めているんだったら、他の国とまったく変わらないじゃないですか。しかもいまは集団的自衛権まで行使できることになってしまったわけで。

自衛隊の富士総合火力演習=2022年5月28日、静岡県の東富士演習場、代表撮影自衛隊の富士総合火力演習=2022年5月28日、静岡県の東富士演習場、代表撮影

石川) ただ、現実的に新9条を実現するには、憲法審査会で原案を過半数で通し本会議で全議員の3分の2の賛成を得なければ発議できない。現在の国会勢力を前提にする限り、極めて高いハードルですね。また、護憲勢力に分断をもたらし改憲勢力の後押しをするものだ、という根強い批判があります。

想田) そこは本当に悩ましいところです。実際に新9条案を通すには、膨大な時間と政治的エネルギーが必要でしょう。新9条は、自民党が望むような、自衛隊にフリーハンドを与える改憲とは真逆で、自衛隊の活動を厳しく制御するためのものです。それをよく理解している人からも「改憲勢力と同じ土俵に乗るのは危ない」という懸念の声がある。その気持ちはよく分かります。

 実際、たとえば今の自公政権下で改憲が発議されたとしても、条文のまともな選択肢が用意されることは想像できません。緊急事態条項とか、危険極まりない条項をねじ込んでくる可能性も否定できません。だから僕自身も現在の環境での改憲発議には反対ですし、与党や維新や国民民主の動きにはとても警戒しています。

 でも、もし自衛権を持ち、自衛隊を存続させたいのであれば、やはり僕は、我々は将来的に、自分たちの力で主体的かつ民主的に新9条を制定することを目指すべきだと思います。それこそが、日本の立憲主義を守るために、どうしても必要だと思うからです。

 護憲派からは「いまの憲法を守らない政権なら、どんなに厳しい条文を定めたとしてもまた好都合な解釈をするのだから、意味がない」という声もあります。でも、

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