国葬儀を実施する正当性はもう失われた
2022年08月20日
安倍元首相殺害事件から1か月余が経過した。
殺害事件に端を発した旧統一教会の反社会的活動や自民党を中心とする政治家との関係性に関する批判は、連日、マスコミでも大きく取り上げられ、大きな社会問題になっている。
岸田文雄首相は、大幅な内閣支持率の低下に狼狽したのか、当初、9月だと言われていた参院選後の内閣改造・党役員人事を、急遽前倒しして8月10日に行ったが、改造内閣発足直後から、新閣僚や副大臣、政務官の統一教会との関わりが次々と明らかになっている。
経済再生担当大臣に留任した山際大志郎氏が、組閣後の記者会見で統一教会との関係を岸田首相に報告せず、組閣に臨んでいたことが明らかになって批判に晒されるなど、統一教会との関係の説明に関する「不誠実な態度」が問題にされる議員も少なくない。政府、自民党にとって、「統一教会問題」は一向に収まる兆しは見えず、一方、岸田内閣が、閣議決定した「安倍元首相国葬」に対しても、安倍氏自身が統一教会への関与の中心だったことが明らかになったこともあって、世論調査では反対が賛成を大きく上回っている。
こうした中、岸田首相は、8月16日から22日まで、家族とともに休暇をとるということで、「1年半ぶりのゴルフ」を楽しむ様子がテレビで報じられていた。
昨年10月に、総理大臣に就任した岸田首相は、自らも「聞く力」を強調しているように、自らの考えによる決断をあまり行わず、行っても他人の意見を聞いて修正するという柔軟な対応を行うことに特色があった。それが、それまでの安倍、菅政権と比較して、「批判」「反発」を受けず、高い支持率を維持することにつながってきた。
首相就任直後の昨年10月の総選挙で、野党側の「自滅」もあって、議席減を最小限にとどめ、その後も、首相としての決断と実行を求められる局面が、それ程多くなかったため、これまで、概ね「流れに委ねること」でやってこられた。
しかし、安倍元首相殺害事件で、政権や自民党をめぐる政治情勢は激変した。
ここで、岸田首相は、自ら二つの「決断と実行」を行った。一つが、殺害事件後間もなく、安倍元首相の「国葬儀」を閣議決定したこと、もう一つが、統一教会問題での閣僚や自民党への批判の高まりを受けて、9月と予想されていた内閣改造を、急遽前倒しして、新内閣を発足させたことだ。
しかし、この二つの決断は、いずれも最悪だった。それによって、岸田内閣は、重大な危機に瀕することになりかねない。
「統一教会問題」については、マスコミの報道が過熱、それによって世の中の関心が高まり、視聴率がとれるので、テレビで取り上げられ、関心が一層高まるという、自民党にとって「負のスパイラル」に入っており、9月27日の安倍氏の国葬に向けて、自民党や党所属議員に対する批判はとどまるとは思えない。当初はネット署名から始まった「国葬反対」の声も、街頭デモも行われるなど、一層高まっていくことは必至だ。
こうした状況において、「安倍支持者」「現政権支持者」の側から、統一教会と政治との関係を問題にすることへの批判として主張されるのが、「犯人の思う壺」論だ。
山上徹也容疑者は、母親が統一教会に入信してのめり込み、高額の献金で破産し家庭崩壊に至ったことで恨みを抱き、同教団とつながりがあると思った安倍氏を襲撃したと供述していると報じられたが、その後明らかになったツイッターのアカウントの内容では、山上容疑者は、思想的には、むしろ「ネトウヨ」に近く、「反安倍論者」の安倍氏批判の影響を受けたとは考え難いとことがわかった。
事件直後のように「安倍批判」が安倍氏殺害事件の原因であるかのような「暴論」を述べることもできなくなった「安倍支持者」側は、「統一教会問題」や政治家との関係を問題にすること自体に対して、「山上容疑者の思う壺」、『テロに「意味」を与えるマスコミはテロリストの共犯者』などと反発している。
しかし、そもそも、事前の意思連絡がない「共犯者」というのはあり得ない。せいぜい事後的な「加担者」と言えるかどうかだが、本件ではそれを問題にして統一教会批判を控えるべきとの理屈は成り立たない。
山上容疑者の殺人行為を機に、「統一教会問題」が世の中で大きく取り上げられるようになったからと言って、犯行は決して正当化されるものではなく、その刑事責任に応じて厳罰が科されることで、同種犯罪、模倣犯の抑止が図られる。そのことと、この事件を機に、カルト的宗教団体である旧統一教会の活動やその被害、政治家の関わり等に注目し、社会としてどう対応すべきかを議論することとは、別の問題だ。
これまでも被害救済活動をしてきた弁護士等から、政治家が旧統一教会に関わることで「お墨付き」を与えることが被害を拡大しているとの指摘があったのに、取り上げて来なかったマスコミが、事件を機に、ようやくそのことに気付いて、取り上げるのが遅きに失しているのであり、それを「犯人の思う壺」だからやるべきではない、というのは、むしろ「旧統一教会」側の「思う壺」だ。
旧統一教会に対する「カルト批判」が不当で、政治家が関わることも、選挙で応援を受けることも問題はないと考えるのであれば、そのように具体的に指摘して反論すればよい。
「安倍支持者」だった人達の「犯人の思う壺」論の多くは、安倍晋三氏という政治的支柱を失ったことへの感情的な反発であり、「統一教会問題」を沈静化させる理屈にはなり得ない。
しかし、一方で、これだけ大きな社会問題にもなっている「統一教会問題」とは、いったいどういう問題なのか、法的にはどう評価されるのか、その本質はどこにあるのか、政治家が関わることにどのような問題があるのか、ということについては、明確にされていないように思える。
岸田首相は、内閣改造後の記者会見で、「国民の皆さんの疑念を払拭するため、今回の内閣改造に当たり、私から閣僚に対しては、政治家としての責任において、それぞれ当該団体との関係を点検し、その結果を踏まえて厳正に見直すことを言明し、それを了解した者のみを任命いたしました」と述べた。
「関係を点検し、その結果を踏まえて厳正に見直す」という言葉がどういう意味なのか、明確ではないが、事実上、岸田内閣の構成員は、今後、「旧統一教会」とは一切関わらない、という方針を示したものと見られている。
岸田首相は、自民党総裁でもあるのであるから、このような方針は、自民党議員全体に対しても向けられているとみてよいであろう。
しかし、なぜ自民党は、「統一教会」と絶縁するのか、「統一教会」の何がどう問題なのか、ということについては、岸田首相も、「党として組織的な関係はなかった」と述べる茂木幹事長も、何も述べていない。その点が不明なままでは、閣僚個人としても、何をどう厳正に見直すのかわからず、「適切に対応」しようがない。
ここで、改めて、「統一教会」と政治との関係に関して、何が、どう問題なのかを、根本から考えてみる必要がある。
「統一教会」に関する問題は、以下の4つに整理することができる。
(1)1990年代に、霊感商法、合同結婚式等で問題となった信者の財産、生活、家族関係等に著しい深刻な被害をもたらした「統一教会」の「カルト性」「反社会性」の問題。
(2)統一教会が名称を変更した現在の「世界平和統一家庭連合」という宗教団体の
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください