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歴史を変えた写真「ナパーム弾の少女」 キム・フックさんが生きた波乱万丈の半世紀

『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』の著者・藤えりかさんに聞く

広部潤 元編集者

拡大今年6月、「ナパーム弾の少女」写真を背にニューヨークでイベントに出席したキム・フックさん(藤えりかさん撮影)

 見た人々に衝撃を与え、世界的に反戦の気運を大きく高めたという点で、史上、屈指の写真であろう。今なおよく語られ、紹介されているという点でも。

 1972年、ベトナム南部の農村で撮影された、泣きながら逃げ惑う裸の少女。爆撃に追われるその姿を捉えた1枚は、世界中にベトナム戦争の残虐さを強烈に伝え、各地の反戦運動をさらに激化させた。撮影者がピュリツァー賞を受賞したこととあわせ、現代に至るまで報道や書籍でしばしば取り上げられ、教科書にも掲載されている有名な写真である。

 ただし、瀕死の大火傷を負わせた超高温の爆弾にちなんで「ナパーム弾の少女」と呼ばれた彼女の人生は、ベトナム戦争が終わった後も続いた。

 社会主義体制のもと、常に政府に監視され、反米プロパガンダの道具として酷使された日々。ひょんなきっかけで実現したキューバへの留学と結婚。命がけで決行したドラマティックな亡命。間断なく激しい痛みをもたらす火傷の後遺症。やがて始めた、ゆるしと平和を訴える世界各国への旅、そしてウクライナ難民への支援──。

 あまりにも数奇なその半生を、朝日新聞記者の藤えりかさんが約10年にわたって取材し、ちょうどナパーム弾爆撃と写真撮影から50年後の今年6月8日に『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』(講談社)というノンフィクション書籍として上梓した。

 59歳になった「ナパーム弾の少女」キム・フックさんは、なぜ苦境の中でも道を切り開き、波乱に満ちた人生を生き抜いてこられたのか。撮影者のニック・ウトさんや夫のトアンさんは彼女をどう支えてきたのか。今なお世界各地で続く戦争を止めるために、彼女の軌跡と数々の発言から何を学べるのか……。著者の藤さんに聞いた。

拡大インタビューに応える藤えりかさん(筆者撮影)

クイズ大会でのニック・ウトさんとの出会い

──世界中で多くの人が「ナパーム弾の少女」の写真を鮮烈に記憶していると思いますが、ご本人のキム・フックさんには失礼ながら、その後も彼女の人生が続いていることに思いを馳せた人は少ないかもしれません。藤さんはどうやってキム・フックさんと出会い、取材を始めたのですか。

 私は2011年春にロサンゼルス支局に赴任しまして、その年の10月、アジア系米国人記者協会のロサンゼルス支部が開催したイベントに参加したんです。そこでクイズ大会があり、景品のひとつとして、司会者が「ナパーム弾の少女」の写真を大きく引き延ばしたものを壇上に掲げたんですね。

 あっ、あの有名な写真だ、と思う間もなく、司会者が「これを撮影したAP通信の写真記者、ニック・ウト!」と言って、白髪のアジア系男性を壇上で紹介しました。そのニックさんの姿を見て、「教科書で見たあの『ナパーム弾の少女』の撮影者が今も現役で、このロサンゼルスで取材しているのか」と驚き、ぜひ話を聞きたいと思いました。

 その帰り、会場の駐車場でニックさんに声をかけて、日本の朝日新聞の記者だと自己紹介すると、「僕も東京支局にいたことがあるよ」と気さくに返事してくれて、「来年、あの写真を撮ってから40年になるのに合わせて、キム・フックがロサンゼルスに来るから取材するといい」とも勧めてもらったんです。今、彼女がカナダに住んでいることもそのとき教えられました。

 その後、キム・フックさんに電話取材などをしてから、翌2012年6月、ロサンゼルスに来た彼女とニックさんが登壇したイベントを取材し、初めて記事に書きました。イベントは、あの写真から40年という節目に開催されたものでした。

 そこからさらにお二人との交流が深まり、食事などをご一緒したりする中で、あの写真の〈その後〉についてもいろいろ聞かせてもらいました。とにかく彼女の半生が波乱万丈なことに驚かされて、中でも命がけでカナダに亡命した話が凄かった。

 「あなたの人生についてきちんと聞いて書きたい」という希望を彼女も受け入れてくれて、以後、私は日本に帰任してからも取材を重ねました。2018年には亡命の舞台となったカナダのガンダー国際空港を訪ね、その上でキム・フックさんと夫のトアンさんに、改めて亡命の話を詳しく聞かせてもらいました。それも記事にしたのですが、膨大なディテールを書き切れず、他にもたくさん話を聞いていたので、彼女の半生を本にして伝えたいと思ったんです。

拡大『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』(講談社)

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筆者

広部潤

広部潤(ひろべ・じゅん) 元編集者

1966年横浜市生まれ。広告会社勤務を経て1991年講談社入社。隔週/月刊誌「Views」、「週刊現代」、講談社現代新書、ビジネス書、ノンフィクション書籍、ウェブメディア「現代ビジネス」「クーリエ・ジャポン」の各編集部や法務部を経て、現在、知財・契約管理部に所属。勤務先の仕事の傍ら、複数のNPO法人で、海外出身の子供たちの日本語習得と学校勉強の支援や、地域の子供たちの学習サポートなどをボランティアで行っている。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです