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ウクライナ侵攻を目の当たりにし、心を痛めていたゴルバチョフ

冷戦とソ連を終わらせた男は、何を思い永遠の眠りについたか

花田吉隆 元防衛大学校教授

 8月30日、ミハイル・ゴルバチョフ氏が死去した。享年91歳。元ソ連共産党書記長にして大統領。冷戦を終結させ、ソ連を崩壊、消滅させた男。その評価は国外と国内で大きな差がある。冷戦の終結により、人類はいつ終わるとも知れない二大超大国の対立から解放された。冷戦が突然幕を閉じるとは誰も予想していなかった。それが1人の男の勇断で実現した。人類は核戦争の恐怖から解放された。

インタビューに答えるゴルバチョフ氏=2019年12月、モスクワ

 しかし、ロシア国内ではゴルバチョフ氏に批判的な声が依然根強い。かつての超大国を跡形もなく消し去り、その後に、大きな混乱さえ引き起こした。ようやくのことで混乱を脱し、国内が安定を取り戻した時、国はかつてと比べ物にならないほど小さな存在になっていた。

 米国と肩を並べ、二大超大国として覇を競った昔の面影はもうなく、GDPは世界11位へと転落、わずかに保有核弾頭数で米国と肩を並べるだけだ。その張本人がゴルバチョフ氏であるならば、国内で評価が必ずしも高くないのも止むを得ない。

行き過ぎた開明性がソ連共産党を潰した

 ゴルバチョフ氏は開明的だった。いや、開明的過ぎた。ブレジネフ死去後、二人の書記長が短期間のうちに相次いで亡くなった。いずれも健康不安を抱えて書記長に就任したものの、新たなことを成し遂げる余力は持ち合わせていなかった。しかし、今のままのソ連ではこの先、国は停滞するしかない。それは誰の目にも明らかだった。

 ゴルバチョフ氏が54才で書記長に就任した時、彼は、自分こそがソ連を再生し輝かしい栄光を取り戻すのだと心中期するところがあったに違いない。目指すは経済と政治の両面の改革、ペレストロイカ(立て直し)とグラスノスチ(情報公開)だ。

 ゴルバチョフ氏にとり、この二つは共に進めるべきものであり、どちらか一方だけでいいというものではない。ところが、この改革が思わぬ方向に進んで行く。

ソ連崩壊で連邦旗に代わって揚がったロシア国旗=1991年12月25日、クレムリンの連邦大統領府

 経済改革は、経済だけに止まらず次第に体制自体の改革にも広がり、政治改革と相まって、人々の自由と民主化を求める意識を刺激し燃え上がっていった。ゴルバチョフ氏は、あくまで共産党支配を前提に改革を考えていたのであり、その支配を終わらせようなどとは微塵も思っていなかった。ところが歴史の歯車は、そういうゴルバチョフ氏の思いを無視するかのように回転のスピードを速めていく。

 だからといって、開明的なゴルバチョフ氏にとり、不満を武力で弾圧するとの選択肢はなかった。国内で湧き上がる民主化への要求も、東欧で次々に起こる国境開放の動きも、ゴルバチョフ氏はそれを武力で弾圧しようとは考えなかった。わずかにリトアニアとジョージアに対し武力行使に踏み切った例があるに過ぎない。

武力弾圧をためらわなかった鄧小平

 対照的に、鄧小平氏は現実的だった。鄧小平氏は、白い猫でも黒い猫でも鼠をとるのが良い猫と喝破し、頑迷な共産主義のテーゼに縛られない開明さを見せた。しかし鄧小平氏は、開明的というより

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