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「内閣葬」を「国葬」に見せかける偽装が、エリザベス女王への非礼につながった

松野官房長官は英国「国葬儀」発言を撤回すべきだ

郷原信郎 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

 9月9日、エリザベス女王が逝去されたと報じられた。

 史上最長の在位期間70年の間、国民に愛された偉大な女王であるが、英国では国葬は「議会の承認」を得て行われる。

 一方、日本では、強引な政治手法で、国民の「分断」「対立」を招いたものの、憲政史上最長の在位期間を誇った安倍晋三元首相の「国葬儀」が、岸田文雄内閣によって、国会での議論を全く経ることなく決定され、エリザベス女王の国葬とほぼ同時期に実施することが予定されている。

 女王在任期間の大半を日本で生きてきた人間として、民主主義の「成熟度」によると思われる、二つの「国葬」のあまりの「落差」に、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

 そして、これに関して、強烈な違和感を覚えたのが、9日の記者会見で、松野博官房長官が、エリザベス女王の逝去に関して、「現時点において、『国葬儀』を含めた今後の日程について正式な発表がなされているとは承知していない」と、「国葬儀」という言葉を用いた点である。

 安倍元首相の「国葬儀」は、「国葬令」に基づいて行われていた日本の戦前の「国葬」のように、法令に基づいて、国民全体が喪に服するという性格のものではない。法令上の明文の根拠もなく、国会での議論も経ることなく、国民に服喪を求めるものではない。行政権の行使として閣議決定だけで実施するもので、そもそも、本来の「国葬」ではない。だからこそ、敢えて「国葬儀」と称しているのである。

 一方、英国のエリザベス女王の「国葬」は、英国という国家の歴史と伝統に基づいて、しかも議会の承認を得て行われる「国葬中の国葬」である。そのエリザベス女王の「国葬」に対して、日本政府のスポークスマンである官房長官が、日本で、今、行おうとしている安倍元首相と同じ「国葬儀」などという表現を使うというのは、故エリザベス女王と英国民に対してあまりに非礼であり、撤回すべきなのではないか。

エリザベス女王の死去を受け、雨が降る中でもバッキンガム宮殿の前には大勢の人々が集まったエリザベス女王の死去を受け、雨が降る中でもバッキンガム宮殿の前には大勢の人々が集まった=2022年9月8日

 9月8日、安倍元首相の「国葬儀」について国民にわかりやすく丁寧に説明する、という目的で、衆参両院の議院運営委員会で閉会中審査が開かれた。ここでの「国葬儀」実施理由と法的根拠についての岸田文雄首相の説明内容が、現在の政府としての最大限の説明ということであろう。それらが、果たして合理的で、納得できるものなのか、改めて考えてみることとしたい。

説明のなかった「統一教会票の差配」疑惑

 閉会中審査の冒頭で、岸田首相は実施の理由について、

(1)民主主義の根幹たる国政選挙において、6回にわたり国民の信任を得ながら、憲政史上最長の8年8ヶ月にわたり、内閣総理大臣の重責を担ったこと

(2)東日本大震災からの復興、経済再生、外交などで大きな実績を残したこと

(3)各国で様々な形で、国全体を巻き込んでの敬意と弔意が表明されていること

(4)民主主義の根幹たる選挙運動中での非業の死であること

 という従来の説明を繰り返した。

衆院の議院運営委員会で、立憲民主党の泉健太代表の質問に答弁する岸田文雄首相=2022年9月8日衆院の議院運営委員会で、立憲民主党の泉健太代表の質問に答弁する岸田文雄首相=2022年9月8日

 (1)の「史上最長の在任期間」は、唯一の「客観的事実」だが、それを理由にするのであれば、当時、史上最長の在任期間で、ノーベル平和賞も受賞していた佐藤栄作氏が「国民葬」であったこととの比較が問題となる。この点について、立憲民主党代表の泉健太氏に問われ、岸田首相は何も答えられなかった。

 また、安倍首相が在任中、6回の国政選挙で勝利したことは確かにそのとおりだが、それらの選挙において、旧統一教会との関係が、自民党の大きな力になっていたこと、安倍氏がその関係の中心にいて票の差配まで行っていた疑いが指摘されているのであり、その疑いが払拭されなければ、「史上最長の首相在任期間」は「国葬」実施の理由として重視することはできない。

 (2)の「実績」については、国民の間で評価が分かれるところであり、特に「経済再生」に関しては、安倍氏が主導した経済政策「アベノミクス」が、現在の急激な円安による物価高をもたらす一方で、実質賃金は上がらず、経済政策として成功したとは言い難い。まさに国民の間の評価はむしろ、否定的なものの方が多い。

後退する「民主主義のため」、強調された「外国の弔意」

 (4)の「選挙運動中での非業の死」というのも、銃撃事件の発生当初は、「政治目的のテロ」「言論弾圧」「民主主義への挑戦」というように言われていたが、その後、殺害の動機は、逮捕された山上徹也容疑者の旧統一教会への恨みが、旧統一教会の関連団体のイベントのリモート登壇で安倍氏に向かったことによるものとされ、事件の性格は当初とは大きく異なるものと認識されている。「民主主義を守る姿勢を示すため」という理由づけは大きく後退している。

 そこで、岸田首相が強調したのが(3)の「各国からの敬意と弔意」であった。通常、警備上の理由から葬儀実施の直前にしか公表しない「参列予定の外国要人名」を公表したのも、この理由を強調するためであろう。

 この点に関して、閉会中審査で

(各国からの)弔意が、日本国民全体に対しての哀悼の意を表する、そういった趣旨であったことから考えましても、やはりこうした様々な弔意を我が国としてどう受け止めるのか。やはり国の儀式として、国としてしっかり受けとめることは重要ではないか。こうした判断も重要なこの判断要素であった。

 などと述べている。しかし、外国からの弔意表明に「日本国民全体に対しての哀悼の意」が添えられているのは儀礼上のものであり、そのようなことを「国葬儀」の理由として持ち出さざるを得ないのは、いかに「国葬儀」実施の理由の説明に事欠いているかの表れである。

 そもそも、各国の弔意は、

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