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小池百合子を破れ! 4000カ所で辻立ちした女性候補~国会議員になったスクール生たち

「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【12】

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

 元参院議員の円より子さんが1993年に「女性のための政治スクール」を立ち上げてから来春で30年。多くのスクール生が議員になり、“男の社会”の政治や社会を変えようと各地で奮闘してきました。平成から令和にかけて、「女性」をはじめとする多様な視点は政治にどれだけ反映されるようになったのか。スクールを主宰する円さんが、自らの政治人生、スクール生の活動などをもとに考える「論座」の連載「ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」。今回はその第12話です。(論座編集部)
※「連載・ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」の記事は「ここ」からお読みいただけます。

2009年衆院選の最終日、選挙カーの上で演説する左から鳩山民主党代表、江端貴子さん、筆者(円より子)=2009年8月30日、JR池袋駅西口、筆者提供

 闘いには「天の時」がある。選挙もそうだ。2009年、民主党には「天の時」があった。夏の第45回衆院選では議席を115から一挙に308まで伸ばし、歴史的な政権交代を実現したのである。

小池百合子さんを破るために立てた新人女性候補

 その衆院選の最終盤、8月30日の東京・池袋は燃えていた。JR池袋駅西口の駅前広場は人であふれかえり、駅から出てくる人も入る人も、みな立ちどまった。まさしく黒山のような人だかりだった。

 群衆が見上げる先の選挙カーの上には、鳩山由紀夫代表、新人候補者の江端貴子さん、その選対本部長をつとめる私、円より子、手話通訳の女性の4人が立っていた。マイクで演説すると、「日本のためにがんばれー!」「政権交代だ!」「鳩山やれー!」「小池をぶっとばせ~」と、四方から拍手と歓声がわく。

 頭上にはヘリコプターが何機もとび、メディアの注目が池袋に集中していた。というのも、駅の東口では麻生太郎総理と10区の現職議員だった小池百合子さんら自民党が、大々的に最後の街宣を行っていたからである。

 東京10区は豊島区全域と練馬区の東半分が選挙区だ。1993年に私たち日本新党が鮫島宗明さんを公認し、トップ当選させたところである。鮫島さんは96年に自民党の小林興起さんに敗れて落選。2000年に民主党から再び立候補して、小林さんに敗れるも比例復活、2003年も同じく比例復活。

 この選挙区に05年に“刺客”として現れたのが、かつて日本新党の同志であった小池百合子さんだった。

 この年の夏に行われた第44回衆院選は、いわゆる「郵政選挙」だ。小泉純一郎総理が郵政民営化関連法案が参院本会議で否決されるやいなや、衆議院を解散。「反対票を投じた自民党議員は公認せず、全員に対立候補を立てる」と宣言、各選挙区に刺客を放った。小池さんは小泉総理の秘書官・飯島勲氏に連絡し、「小林興起氏の対立候補として東京10区に立ちます」と告げた。

 郵政法案反対派の急先鋒として、各種メディアで小林さんの認知度は高まっていた。小池さんにとって、自分をメディアに売るかっこうのターゲットだった。小池さんは見事、小林さんを破って当選を果たす。

 それから4年。その小池さんを破るために私が立てたのが、新人の江端貴子さんだった。

私が江端貴子さんを推したわけ

 江端さんは私が主宰する「女性のための政治スクール」に参加。1年近くを経て、政策力もマネージメント能力もあるので、スクールの副校長として活動してもらっていた。

 当時、私は民主党東京都連の会長で、東京の25の選挙区の公認候補を小沢一郎代表とともに、決める権限をもっていた。決める権限といっても、現職議員がいれば、よほどのことがなければその人が公認される。だから、現職のいない選挙区に公募で合格した人をあてるのだが、学校縁や地縁、その地域に集票力のある運動体などを持っていたりすればすんなり決まるが、元職が出馬したいといったり、数人以上の候補がいたりすると、調整は困難をきわめた。

 女性に限らず、男性であっても、新人が選挙に出るのは本当に大変だ。江端さんの10区も例外ではなかった。

 小林さんは小池さんに敗れて“浪人中”。民主党の公認を得て10区で返り咲きたいと、小沢さんや石井一・元自治大臣らに懸命に働きかけていた。石井さんは「江端などダメだ。新人に何ができる。小林のようなベテランを入れれば、すぐにも民主党の役に立つではないか。小林にすべきだ」と小沢さんにねじこんでいた。

 これに対して私は、明るくて政策にも強い女性、江端貴子のほうが選挙の顔として党に貢献できると主張した。小林さんの能力は分かっていた。しかし、どうしても「ふつうの女性」のイメージの強い江端さんでいきたかったのだ。

 なにより、小池さんと正反対のやわらかい初々しいイメージがいい。マッキンゼーでは1週間家にも帰らず徹夜で仕事をするような猛烈な仕事人間。東大特任教授にもなった彼女だが、そんな風には全然見えない。「マッキンゼーにいたの。えっ、東大教授!?」と皆が驚く。

 「頼りなげな感じの江端さんで、あの、人を食って生きている小池に勝てるのか」と不安げな小沢さんに、私は反論した。「初々しい江端さんだからこそ、民主党の顔になる。絶対に小池さんに勝ちます。政権交代ができます」

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「円さんは頑固でね」と言った小沢一郎さん

 小沢さんは結局、石井一さんに「小林のことはあきらめてくれ。円さんはあれで頑固でね。江端のこと一歩もひかない」と言った。

 もちろん、私は小林さんにも“救命ブイ”を出した。私の顧問をしていた日本新党の元企画調整本部長に、まず石井一さん、そして小林さんに会ってもらい、彼に比例の候補として出ることを承諾してもらったのだ。

 結果的に、江端さんは小池さんを小選挙区で破り、小林さんも比例で当選を果たした。

 ちなみに、このときは事前に日本新党の細川護煕元代表に江端さんに会ってもらい、小池さんの選挙区で出すことの了承を得ていた。細川さんが、小池を落とすな、といえばやめるつもりだった。

1年半の間、4000カ所で辻立ち

 江端さんが東京10区の公認に決まってから、何度か解散風が吹いたが、麻生総理は任期満了の寸前まで解散をしなかった。その間の1年半、江端さんは連日、“辻立ち”をした。

 辻立ちは住宅地の一角でやるから、朝早くても夜遅くても住民に迷惑がかかる。そこで時間は毎日10時から17時、3分間だけ話をして、車で3分走って、また3分間話す。それを1日なんと70回繰り返す。江端さんはこれを10区全域で続けたのだ。

 小池さんの知名度にはとうていかなわない。そもそも相手は現職で、こちらは無名の新人。それでも、「民主党の新人女性がいつもしゃべってるわよ」との噂(うわさ)がじわじわと流れ始めた。

 冒頭で書いたように「天の時」があったからこそ、政権交代も実現したし、江端さんも当選できたといっても過言ではない。しかし、1年半に及ぶ4000カ所での辻立ちが勝利をもたらす大きな要因になったのは間違いないだろう。

衆院選までの1年半、駅や住宅の一角で江端さんは演説をくり返した=筆者提供

 小池さんはしぶとく比例復活し、次の2012年の46回総選挙で、江端さんを大差で破った。江端さんは比例復活もできずに落選。47回総選挙(2014年12月)にも挑戦したが落選した。翌2015年の統一地方選では10区の総支部長をつとめていたが、定員36人の豊島区議選に5人を立てたものの3人しか当選させられず、政治の世界から引退する決意をする。

一人息子との接点だった弁当づくり

 江端さんはもともと、2014年の選挙を最後にすると決めていた。12月2日が公示日で、その前日に一人息子が20歳になった。

 思えば、民主党の公認候補になった2008年から6年間、「一番被害を受けたのは息子かも」と江端さんは言う。夫は中国や米国への赴任が長く、日本にいても留守がち。母親の江端さんは連日の辻立ち、国会議員になってからも超多忙。息子は平日も休日も、家ではいつも一人だった。

 そこで江端さんが自らに課したのは、息子の弁当づくりだった。息子が通った中高一貫の私立は給食がない。彼女は6年間、毎朝、弁当をつくりながら、息子と言葉をかわし、夜遅くに帰宅してから、からっぽになった弁当箱を洗いながら、「今日も元気に食べたんだ」と息子の健康状態をおしはかっていたという。

国の根幹をなす財政・金融

 衆院議員になった江端さんは、文部科学委員会に入り、高校授業料無償化の法案の質疑にたずさわる。

 厚生労働委員会にも所属した。母親を介護する場合、同居人がいることや働いていることがネックになることを知り、制度をもっと介護される人、介護する人に親切で役立つ形にしたいとの思いが、最初の政治へのスタートだったからだ。厚生労働委員会で介護問題にしっかり取り組むつもりだった。

 しかし、委員会は、国会開会中に政府から提出された法案だけを審議するのが基本だ。一般質問で介護についての質問はできるが、深掘りはできない。民主党の厚労部会で、石毛えい子部会長のもと介護保険の改善に尽力したいとも思ったが、そこで分かったのは。「結局、金、金。財源をおさえないとどうしようもない」という現実。次の年からは財務金融委員会、予算委員会に所属することにした。

 「円さんが、女性がほとんど希望しない財政金融委員会を希望し、長くそこで委員から理事、委員長を二度もつとめているわけがよく理解できた。経済・財政・金融が国の根幹で、人々を助けることにすべてつながるんですものね」と江端さんは述懐する。

 10話「働く現場の差別に奮起して女性議員に~上り調子の民主党と小沢一郎さんの思い」で書いたように、財政金融委員会に所属した私は、中山素平さんら興銀関係者の薫陶を受けた。財務大臣だった「塩じい」こと塩川正十郎さんに「円さんは本の読みすぎ、勉強のしすぎ」とからかわれたり、やはり財務大臣だった宮澤喜一さんとの議論が「まるで大学の教授と学生の議論みたいで、難しすぎるよ」と言われたりしたが、この時の経験は私の政治活動を大いに深めてくれた。

財政金融委員会で宮澤喜一財務大臣とかわした為替の話は面白かった=筆者提供

財政・金融に強い女性議員が増えることに期待

 ただ、財政・金融が、私のように大学で経済学も金融も勉強していなかった素人には、難しい分野だったのも事実だ。

 女性の大学進学率があがっても、かつてはほとんどが家政学部や文学部に進み、理系・工学系、金融経済系の学部に入る女性は少数だった。

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