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「台湾有事は日本有事」の思い込みは危うい~米中パワーゲームの駒になるな

日中国交正常化50周年の日本に必要なのは現実的で冷静な対中戦略だ

藤原秀人 フリージャーナリスト

台湾を訪問した米国のペロシ下院議長(中央)との会談で、歓迎のあいさつをする蔡英文総統(右)=2022年8月3日 、台湾総統府、総統府提供

 米国のペロシ下院議長の台湾訪問に反発した中国による台湾周辺での大がかりな軍事演習は、日本の主張する排他的経済水域にも及んだ。

米中衝突に巻き込まれる不安「感じる」76%

 こうした中国の傍若無人のふるまいに対して、日本では多くの政治家や少なからぬメディアが台湾有事の恐れを指摘するだけでなく、「台湾有事は日本有事」と離島防衛など国防の強化を唱える。

 米国で日米防衛相会談を終えたばかりの浜田靖一防衛相も9月21日、日本最西端で台湾に近い沖縄県与那国島を訪れ、陸上自衛隊与那国駐屯地を視察。朝日新聞の報道によれば、「南西地域の防衛態勢の強化は、我が国にとって喫緊の課題だ。目に見える形で強化していきたい」と述べた。

 日本と中国が国交を正常化して9月29日で50年になるのを前に朝日新聞社が10、11両日に実施した世論調査で、日中関係の現状について「うまくいっている」という回答は11%にとどまり、「そうは思わない」が83%と圧倒的多数を占めた。全国対象の世論調査では初めてという、台湾をめぐり米国と中国の武力衝突が起きて日本が巻き込まれる不安感を聞いた質問では、「感じる」という回答が76%に達した。調査結果からは、日中国交正常化50周年を祝う雰囲気は希薄だ。

 台湾と中国の関係は本当のところどうなのか。日本は防衛を強化するしかないのか。まずは、この半世紀の台湾をめぐる推移を振り返りたい。今や台湾情勢を危機と呼ぶことが当然のようになっているが、台湾海峡両岸関係はずっと緊張していたことを知らない人が少なくないからだ。

陸自与那国沿岸監視隊から情勢報告を受ける浜田靖一防衛相=2022年9月21日午前、沖縄県与那国町

「台湾統一」は中国国民共有の悲願

 中華人民共和国は1949年に中国共産党主導により建国されたが、台湾統一は未完の大業だ。憲法には「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を成し遂げることは、台湾の同胞を含む全中国人民の神聖な責務である」と規定されている。

 共産党の宣伝活動は虚実入り混じるが、「台湾統一」は長期の権力掌握を狙う習近平国家主席・党総書記の野望というだけでなく、多くの国民が共有する悲願であることは、長年中国人と付き合ってみて私は実感している。

 共産党との内戦に敗れ台湾に逃れた蒋介石率いる国民党の息の根を止めるため、中国はいわゆる第三世界との共闘を進めた。その結果、1971年の第26回国連総会では、中華人民共和国が安全保障理事国としての代表権獲得と「蒋介石の代表」の追放を認める決議が採択された。これを受けて、台湾は国連を脱退し、国際的に孤立する。

 中国は常任理事国となり、冷戦下の国際環境が激変した。日本は翌年、中国と関係を正常化した。

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台湾の民主化が招いた第3次台湾海峡危機

 中国は次に経済の改革開放により、台湾からの投資も積極的に取り込んで経済成長を続け、台湾を追い詰めた。蒋介石は大陸反攻の旗を降ろすことなく死去、国民党独裁の台湾の前途は風前の灯のようになった。

 しかし、息子の蒋経国は大陸反攻より足元の台湾の発展に注力し、李登輝ら台湾出身者の登用を進めた。

 日本は台湾と断交したが、植民地だった歴史もあり様々な民間の関係は続いた。ただ、共産党と同様に独裁を敷いた国民党に対する評価は芳しくなかった。それが87年の戒厳令解除に始まる民主化の進展により、日本だけでなく欧米からの注目が台湾に集まるようになった。

 その台湾の民主化の歩みを世界に強く印象付けたのが、1996年の初の総統直接選挙だった。台湾当局が支配する地域だけで投票される総統選挙は、台湾独立の道を開きかねないと警戒した中国は、弾道ミサイル発射など軍事演習を繰り広げた。これに対して米国は、空母機動部隊を派遣し事態収拾に動いた。第3次台湾海峡危機である。

初の台湾総統直接選挙で当選を決め、笑顔で支持者にこたえる李登輝氏(中央)=1996年3月23日、台北市内の選対本部前で

「眠れない夜が続いた」と語った橋本龍太郎首相

 当時、新聞社の特派員として香港に駐在していた私は、中国を激怒させた95年の李登輝総統訪米から総統選挙まで現地に出かけ取材した。中国は李氏訪米直後から台湾を標的にした大規模な軍事演習を重ねていたが、日本では対岸の火事のような扱いだった。それが変わったのは96年3月、中国が日本の領海に近い海域でミサイル演習を設定してからだ。

 東京では台湾在住の邦人避難をどうするかが話題となったが、有効な手段は見当たらなかった。救出策の検討を指示した、当時の橋本龍太郎首相は心配で「一週間ほど眠れない夜が続いた」と後に語っている。

 東京本社からは毎日、「ミサイルは飛んだか」と問い合わせが来た。

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