メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ロシアのウクライナ侵攻の意図せぬ結果~ポーランドとウクライナ6カ月の友情

オレクシー・ゴンチャレンコ/ステファン・トンプソン

ウクライナを出ようと、ポーランド国境に向かう人たち=2022年2月26日午前、ウクライナ西部・シェヒニ近郊、遠藤啓生撮影

オレクシー・ゴンチャレンコ

南部オデーサ州選出のウクライナ最高会議議員。ウクライナ国内の地方都市に広がる語学無料講座とボランティア活動のネットワーク「ゴンチャレンコ・センター」の設立者で、欧州評議会(CE)議員会議移民・難民・国内避難民委員会副委員長も務める。
ステファン・トンプソン

イギリス生まれのポーランド・南アフリカ人コメンテーター兼テレビ司会者。ポーランドの国境地帯の文化の痕跡や、ポーランドとウクライナが共有する文化や歴史に関するテレビ歴史文化ドキュメンタリー・シリーズ「ポーランドの遺産」の司会を務める。
※この記事は日本語と英語の2カ国語で公開しています。英語版「The Unintended Consequences of War - Six Months of Polish and Ukrainian Friendship」もご覧ください。(論座編集部)

 ロシアのウクライナ侵攻は、第2次世界大戦以来最悪となる難民危機を欧州にもたらしました。しかし、半年経ってみると、ポーランドがウクライナ難民を率先して受け入れ支援したことによって、ポーランドとウクライナは大きな歩み寄りを見たのです。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ロシア侵攻以降、約500万人がウクライナを離れ、700万人以上が家を逃れて国内の他の場所に移動しました。

 合計で、370万人の難民が「一時的保護指令」の下でEUに登録され、2022年8月時点で推定150万~200万のウクライナ人がポーランドに滞在しています。そのうちの120万人が正式に登録していますが、その90%が女性と子どもであるのは驚くべきことです。

〈注〉ロシア軍の侵攻を受けて、ウクライナは18~60歳の男性の出国を原則として禁止した。このため、難民のほとんどが女性と子どもとなった。また、ウクライナで高齢者や地方在住者は避難するより地元にとどまることを望む傾向が強く、国外に逃れた多くが高所得者や都市在住者だったことも、受け入れ国の負担を少なくしたといわれる。

 振り返ると、ポーランドはこれまで、むしろ反移民の国として広く知られてきました。なのに今、2017年以降は移民に対して欧州連合(EU)の他のどの国よりも多くの居住許可を発行しています。その対象の最も多い部分をウクライナ人が占めています。

〈注〉ポーランドの現政権は右翼政党「法と正義」が主導。ロシア軍のウクライナ侵攻以前は、移民や難民に対して厳しい態度を取ることで知られていた。2021年には、ベラルーシ経由から入国を試みた中東などからの多数の不法移民を阻止し、国境に壁を建設した。

 入手可能な中で最新となる2019年のデータによると、200万人の外国人がポーランドに住み、人口の約5%を占めます。

見知らぬ人から友人へ――ポーランド市民社会の進化

 特筆すべきなのは、ポーランド人が単にウクライナに共感を寄せただけでなかったことです。Facebookのプロフィール写真を変更するとかの、見せかけにとどまらない気配りを見せました。

 ポーランド人は、見知らぬ人に住まいを提供し、集団がポーランドを通過するのを助けるために国境まで車を出しました。食べ物や衣服を提供し、献血をしました。

 ウクライナ人に対するポーランドの国を挙げた連帯の表明は、ポーランド人とウクライナ人の間には厳しい過去があることを考えると、さらに感動的に映ります。いざという時に、隣人同士は団結するのです。この数カ月の間に示されたのは、ポーランド人の本来あるべき姿、つまりキリスト教の教えを実践する社会の姿でした。

 ポーランドの世論調査センター(CBOS)の8月の世論調査によると、ポーランド人の84%がウクライナ難民の受け入れを支持していました。これは、戦争が長引くにつれて疲れと不満が出るだろうという多くの人の予想を裏切る結果です。

 たぶん、ポーランド人が何世紀にもわたってロシアに苦しめられてきただけに、ウクライナがいま受けている苦しみを、だれよりもよく理解できるからでしょう。また、ウクライナ人が客として素晴らしかったからでもあります。彼らは、自分たちを迎え入れてくれた人々と国のことを尊重しています。

 戦争は大変悲しいことですが、国と国との結びつきが強まったことは、予期せぬ麗しき成果となりました。

Yuriosav/shutterstockcom

>>>この記事の関連記事

イノベーション、才能、創造性――ITの共通言語

 このような支援体制は、どのようにして生まれたのでしょうか。ポーランドとウクライナの双方でITの能力に恵まれた人材が豊富でしたので、危機を緩和するための独創的なアイデアが生まれても不思議でなかったのです。

 戦争が始まってからわずか数日後、ポーランド人は「IHELPYOU」を開発しました。難民と、難民を支援しようとする人々とを結びつけるアプリです。それは、宿泊施設や交通手段の提供であったり、医療支援を手配であったり、単に何かを購入したりするものでした。

 数週間のうちに、ポーランド人は多数の目的別アプリを開発しました。その一つはSOS UA(難民とボランティアを結びつけるポーランド語、ロシア語、ウクライナ語のアプリ)です。世界で最も安全な通信サービスの一つであるポーランドの通信アプリTokLokは、 ウクライナ人にアプリを無料で提供しました。こうして、ロシアの情報活動に知られることなく、ウクライナへの支援活動を組織できたのです。

 ポーランドのウクライナ人も自らのスキルを使っています。中古品を対象としたネット通販であるLalafoの創設者は、難民の41%が衣類や基本的な物資の不足に悩んでいるとの調査を知り、慈善活動として難民に古着を提供できるよう、ポーランド市場向けに動作環境を修正しました。

ウクライナからポーランドに避難してきた難民たち。両国の国境には多くの支援団体が集まっていた=2022年3月23日、ポーランド東部メディカ

構造的かつ永続的な結びつき――政府の協調的な取り組み

 ポーランドの市民社会が自発的に、しかし多少ばらばらに立ち上がるにつれて、このまま進むと支援活動が行き詰まるのではと、ポーランド政府は懸念しました。

 最初の段階は、何百万人もの人々に必需品、つまり安全な場所と水と食料を提供することでした。この負担はポーランドの市民社会が担いました。ただ、市民が単独では負担を引き受けられないと、ポーランド政府も認識していました。

 政府機関はすぐに対応しました。何十万人もの公務員が長い勤務時間をフルに使い、何百万人もの難民を住まわせるうえで必要な枠組みと支援を、数週間にわたって提供しました。

 支援を調整し、ポーランドの戦略を策定したのは政府ですが、その勘定を請け負い、印象的な様々な試みへの支援を引き受けたのは、ポーランドの国営企業です。

 ポーランド最大の保険会社「PZU」は750万ズロチを費やして、2月24日から4月24日までの間、30日間の民事責任保険契約を5万4000件以上発行しました。

 ポーランド国鉄は、避難したウクライナ人がポーランド国内を移動できるよう、無料でサービスを利用できるようにしました。6月28日から同30日までの間に、230万人のウクライナ人がこの無料サービスを利用しました。同社はまた、列車の一つを改造し、負傷したウクライナの兵士や民間人が国境をまたいでポーランドの病院に運ばれ、治療を受けられるようにしました。

難民にいわゆる故郷を提供する、ただ彼らが望む場合に限って

 戦争が長引くにつれて、いくつかの緊張が浮き彫りになったのは、当然のことです。最近、あるハッシュタグ(ロシアが画策した可能性があります)がポーランドのツイッターに現れました。「ポーランドのウクライナ化を止めよ」と呼びかけるものです。

・・・ログインして読む
(残り:約1922文字/本文:約5162文字)