メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

最強台湾派・安倍晋三氏なき後の日台関係の行方~断交50年、関係は良好

自民党右派が主導してきた日台関係の裾野が広がる可能性も

藤原秀人 フリージャーナリスト

 日本は9月29日、中国との国交正常化50周年を迎えた。裏返せば、台湾と断交して50年になる。日中関係がこのところ芳しくない反面、日台間には大きな軋轢(あつれき)もなく、双方の好感度も高い。正式の外交がなくても日台関係が安定している背景には、台湾との様々な交流を担ってきた自民党青年局や青年局出身者が多い超党派の日華議員懇談会の存在がある。

 なかでも青年局長を経験した安倍晋三元首相は最強の台湾派とされ、「台湾有事は日本有事」という持論は台湾で高く評価されている。その安倍氏は断交50年の節目に銃弾に倒れた。安倍氏なき日台関係の今後を心配する声がある一方で、安倍氏ら右派が主導してきた関係の裾野が広がる可能性もある。

台湾との交流窓口だった自民党青年局

台湾の国慶節祝賀会であいさつする萩生田光一・自民党政調会長=2022年10月5日、東京都港区のホテルオークラ東京、藤原秀人撮影

 10月10日は日本が中華人民共和国と正常化する前に国交のあった中華民国の建国記念日だった。それを前にした5日、東京都港区のホテルオークラ東京で開かれた「中華民国国慶節」を祝う会には、ともに青年局長を経験した萩生田光一・自民党政調会長、古屋圭司・日華議員懇談会会長ら多くの国会議員が出席し、安倍氏の日台交流での貢献を讃え、遺志を継ぐことを誓った。

 自民党の青年局は1955年の結党とほぼ同時期に、社会主義や共産主義への警戒を訴えて発足した。台湾を独裁していた国民党の青年組織「中国青年反共救国団」と交流を始めたのが縁で、断交後は台湾との交流窓口となった。

 首相経験者では安倍氏以外に竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、麻生太郎、そして岸田文雄の各氏も局長を務めたことがある。岸田氏は安倍氏の後任の局長だった。このため青年局長は首相の登竜門といわれるが、一般の注目を集めたのは小泉進次郎氏が東日本大震災直後の2011年10月に就任した時だった。人気のあった小泉氏が遊説先で多くの聴衆を集めるなかで、青年局の名前も浸透した。

「台湾派を抑えられるのは台湾派」

 私が青年局の存在を意識したのは1997年3月、北京で新聞社の特派員をしていた時だった。中国は前月に鄧小平が死去し、7月の香港返還や9月の共産党大会を控えあわただしかった。

 台湾では96年5月に初の直接投票で当選した李登輝氏が総統に就任し、民主化の評価を高める一方で、日中関係は96年の中国の核実験、橋本龍太郎首相の靖国神社参拝などで揺れていた。日中間で意志の疎通が滞ることへの危機感からか、政治家の訪中が相次ぎ、中国側も与野党を問わず受け入れに熱心だった。

 97年3月の太田誠一・自民党副幹事長を団長とする訪中団には、当時青年局長だった安倍氏、また岸田氏も加わっていた。太田氏は中国の人権問題に厳しく、日中国交正常化15周年の際に「日中友好関係の一層の増進に関する決議」に反対したことがあり、安倍氏は李登輝氏と交流があった。

 太田氏は「中国側からは台湾派と見られているが、意見を交わすことは大切なので訪中した」などと記者会見で話した。一方、中国共産党で外国との政党交流を担う中央対外連絡部の幹部は「台湾派でも将来有望な政治家が含まれているので重視している。台湾派を抑えられるのは台湾派だから」と私に話していた。中国側は後に国家主席・党総書記になる胡錦濤党常務委員との会談を設定し、将来への期待を表わした。

台湾の国慶節祝賀会で記念写真を撮る日華議員懇談会のメンバーら=10月5日、東京都港区のホテルオークラ東京、藤原秀人撮影

>>>この記事の関連記事

初の外国訪問先に中国を選んだ安倍首相

 それから9年後、安倍氏は首相就任後初の外国訪問先として中国を選んだ。99年の小渕恵三氏以来の首相公式訪中だった。北京でトップの座に就いていた胡氏と会談、世界の課題の解決にともに取り組む戦略的互恵関係を築きあげていくことで一致した。

 私はこの時も北京特派員をしていて、人民大会堂前で開かれた歓迎式典に臨む安倍氏を間近で見ていた。安倍氏は緊張した面持ちだったが、歴代首相とは異なり、初の外国訪問に米国ではなく中国を選んだ意気込みも感じた。

 8年ぶりの共同文書となった日中共同プレス発表で、中国側は日本の戦後の平和国家としての歩みを文書の形で初めて評価した。会談では97年の訪中も話題になったという。先に紹介した中央対外連絡部の幹部は、「安倍氏は期待した通り首相になり、いい仕事をしてくれた」と得意げに話していた。中国側の見込みは当たったというわけである。

初めての訪中で胡錦濤国家主席(右)と会談する安倍晋三首相(左)=2006年10月8日、北京・人民大会堂

変わらなかった台湾への愛着

 一方、首相就任後も安倍氏の台湾への愛着は変わらなかった。台湾の対日窓口である台北駐日経済文化代表処の代表を務めた羅福全氏は、「安倍さんの台湾への思いに終始ブレはない」と語る。私は台湾で「安倍氏が権力の座にある間に台日安全保障の強化をしてほしい」との声を何度も聞いた。

 安倍氏もこの声にこたえ、安全保障面での連携の重要性を、繰り返し内外で呼びかけてきた。首相就任後は外交関係のない台湾と距離を置く政治家が多い中で異例だった。

 公にはしなかったが、訪日した李登輝元総統と会談したこともある。自民党青年局のメンバーが台湾を訪問した際は必ずと言っていいほど、安倍氏に成果を報告した。安倍氏は中国から禁輸とされた台湾産パイナップルを自身のSNSで宣伝したり、コロナ禍で台湾へのワクチン提供に尽力したりした。

「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事」

 その安倍氏が死去した。蔡英文総統率いる民進党政権は総統府に半旗を掲げ、哀悼の意を表した。全土の行政機関や公立学校でも半旗が掲げられた。安倍氏遺族の弔問のため、頼清徳副総統を派遣した。国葬には王金平・元立法院長(元国会議長)らが参加、他の国の出席者と同様に祭壇へ献花した。

 蔡総統は8月、自民党月刊誌「りぶる」の取材に対して、「ロシアによるウクライナへの侵略が始まった時、安倍元総理は台湾の安全保障を大変気にかけてくださいました。国際社会に向けて『台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である』と発言され、いつも台湾のことを思い、台湾の国際参与も積極的に支援してくれました」と語った。

 そのうえで、「安倍元総理の後を受け継いだ菅義偉前総理、岸田文雄総理も台日関係を非常に大切にされ、両者の関係はここ数十年で最も良い状態にあることを実感しています。台湾に心を寄せてくださった安倍元総理の思いを忘れずに、これからも台湾と日本は手を合わせて協力し、両者の友好関係をさらに深化させていくことに努めます」と述べている。

台湾の双十節(建国記念の日に相当)の式典で演説する蔡英文総統=2022年10月10日、台北市

70%が対日関係は「良好」

 蔡氏が指摘するように日台関係は良好だ。日本台湾交流協会が1月に台湾人約1千人を対象にした世論調査結果では、「最も好きな国・地域」として日本を選んだのは60%、「今後最も親しくすべき国・地域」も46%で過去最高だった。現在の対日関係を「良い」と答えたのは70%、日本を「信頼できる」としたのは60%で、いずれも過去最高だった。

 一方で台湾与党の民進党と自民党との関係は複雑だ。自民党は独裁政権時代に民主化運動を弾圧した国民党と強い絆を持つ。民進党の原点は国民党と人権や民主めぐり闘った活動にある。そのリベラルな民進党と、反共保守の色合いが濃い自民党の友好関係は、現実的ではあるがやはり奇妙ではある。

 安倍氏の国葬をめぐって世論が割れたように、日台関係における安倍氏の存在に違和感を感じて距離を置いたり、「中国をまったく忖度(そんたく)しない」(古屋会長)という日華議員懇談会を敬遠する政治家も少なくなかった。

疎遠だった政治家らが合流か

 安倍氏なき日台関係がどうなるか。有力な後継者が見当たらない中で、逆にこれまで日台交流に疎遠だった政治家らが合流する可能性もある。中国の軍拡がそれに拍車をかけるという見方もある。

 台湾有事の可能性がとりだたされるなか、日中関係とともに日台関係に目を凝らしたい。

>>>この記事の関連記事もお読みください